11 捜索(一) ①
シーナが十八歳になった頃、ダラン総合魔法学校の授業で「城」が何かを教わることとなっていた。彼女は初任務で知ったことが、これからの子どもたちには初等部の段階で教わることとなる。
講義室で行われる講義を横目に眺めながら、シーナは足早に総合指揮官室へと向かっていた。リリアに呼ばれたのだ。ただし、今回呼ばれたのはシーナ一人だけ。
「リリア、どうしたの?」
シーナが総合指揮官室の扉を開くと、リリアは部屋の奥に置かれたデスクから入り口へとやってきた。
「ごめんね、ちょっと急用で。まあ、座って」
言われるがまま、いつものソファに腰を下ろした。リリアもローテーブルを挟んで反対側にやってきた。その手にはクッキーがいくつか握られていた。黙ってシーナに手渡すと、再び口を開いた。
「ちょっと、アイアン島に行ってほしくて」
「アイアン島? って、観光地としてちょっとだけ有名な、ケアノス海峡を挟んでハルセロナ地方の向かいにある?」
「そう。今回の任務は重要で、さらにとても危険」
シーナは話を聞きながら、受け取ったクッキーを口に運んだ。
「そこに何が?」
「内々に入手した情報によると、そこで、極秘の現代魔法の研究が行われているらしい。その状況を確認してきてほしいの」
「どうして私一人だけ? アイリスは?」
「もちろん、アイリスにも伝えるわ。でも、今日は彼女、お休みなのよ」
それは知らなかった。イールスと結婚してから通勤ルートが変わったため、アイリスに出会うことも少なくなっていた。今日は確かに出会っていないが、休暇だったとは。
「なら、明日アイリスと一緒に出ればいい?」
「いや、あなたは今日行って」
「何の研究か知らないけど、今日か明日かでそんなに変わる? 危険ならなおさら、体制を整えて明日行った方がいいと思うけど」
リリアは首を横に振った。
「いや、今日。研究の状況がわからないから。もしかしたら、ほとんど終了しているのかもしれない」
「その研究は、どんな魔法のもの?」
「……世界を変える魔法よ。文字どおり、世界のすべてを変える」
「…………」
シーナは俄に信じられない部分もあったが、リリアが言うなら仕方がない。しかし、念のためイールスに一言入れておく必要がある。
「わかった。イールスに言ってくる」
「それは大丈夫よ、もう私から伝えている。あなたには、少しでも早く準備して、アイアン島に向かってほしいの」
「……わかった。アイアン島のどこに行けばいい?」
「イルケー地方のマッキンガー・ブリージュを渡って東に進んだところに、もう一つエニンスル半島に続く橋があって、そのすぐ前に大きな建物があるはず。名前は『現代魔法研究所』よ」
「現代魔法研究所ね。……で、何それ?」
どこかにそんな言葉が書かれたバッジがあった気がする。結婚のときの引っ越しの際に、荷物のどこかに突っ込んだはずだ。一見何を示すものなのか全くわからないため、とりわけ気にすることはなかった。
「うーん。まあ、よくわからない組織よ」
「……そこに一人で行けって?」
「仕方がないじゃない。今日アイリスが休暇なのは、私もさっき知ったところだし」
「まあ、アイリスも後から来るならいいけどさ。じゃあ、着替えてくるよ」
部屋から出ようとしたシーナを、リリアが呼び止めた。
「着替える必要はないわ。ローブのままで行きなさい」
「でも、現代魔法研究所の中に入るんでしょ?」
「大丈夫。むしろ、今回は後からアイリスが来るから、わかるようにしておきなさい」
「……わかった」
シーナは総合指揮官室を後にし、学校を出る準備をした。
レッグホルスターに二本、右腕に一本のナイフを装備し、少しの食料を入れたショルダーバッグを肩にかけると、シーナは真昼の学校を、食堂に向かう生徒たちを横目に飛び出した。今日中に辿り着けということは、馬車では行けない。校門を出てすぐにアープで飛んだ。
何度かのアープで到着した先は、イルケー地方の観光名所、ベル・ヴィラージュ。ケアノス海峡に近いこの地は、わずかに流れる潮風に、街を彩る赤、桃、黄、橙、青といった色とりどりの花が揺れ、ゴシック様式の街並みと相まって何重にも美が敷き詰められている。が、シーナはそんな美しい景色を少しだけ楽しんだ後、街を出てすぐ目の前のマッキンガー・ブリージュを渡った。
ここからでも見える。目指すべき大きな建物が。外から見れば一体何が問題なのかわからないが、リリアはそこに行けという。
シーナは真っ直ぐその建物に近付いてみた。門の前に二名の男が立っている。彼らはオームなのだろう、ローブを羽織っていない。
正面切って入るのは難しそうだ。何か研究が行われているというその建物に、よそ者が簡単に入ることができるはずがない。
彼女は建物を取り囲む背の高い塀の周りを歩いた。手前の五階建ての建物の奥には、高く聳え立つ円筒型の建物があった。一般家庭に見られる煙突とはまるで規模が異なる。……ケルンの時計台から見たもので間違いないだろう。
塀の周りを一周しようとしたが、ケアノス海峡側は急峻な坂となっていた。しかし、その途中の一部だけ塀がないところがある。見れば、地下水路があるらしい。地下を巡っていた水路が、研究所の敷地内で姿を現し、この崖のような坂を下ってケアノス海峡へと流れ込むのだ。
正門から入ることは難しそうであり、塀は背が高いため時間をかけてよじ登る必要がある。しかし、ここからなら誰の目にも留まらず敷地内に入ることができそうだ。シーナは周囲に誰もいないことを確認して崖を滑り降りた。
水路にはわずかな水が流れていた。どこから流れてきているのかはわからないが、おそらくアイアン島の中心部から来ているのだろう。先ほどのベル・ヴィラージュとは似ても似つかぬ小さな観光地があるため、そこから排水が流れてきているという可能性もある。いずれにせよ、この水路から誰かが入ってくるとは、研究所も想定していなかったのだろう。
足の甲まで水に浸り、シーナは水路を歩いた。ここから見ると、五階建ての建物と円筒型の建物は、その二階の高さで繋げられていることがわかった。
この水路はその向こう側から顔を出しており、そのような構造にせざるを得なかったのだろう。つまり、最低でもどちらかは水路ができた以降に建設されたということだ……と判断することはできるが、水路は非常に古そうで、どちらが新しい建造物かがわかったところで、意味はなさそうだった。
周囲を警戒しつつ、シーナは水路を出て五階建ての方に向かった。建物の影に隠れて正面の入り口を見ると、先ほどの男たちが体勢も変えず立っているのが見えた。彼女が敷地内に入ったことは誰も気が付いていないようだ。
五階建ての建物から誰かが出てくる様子はない。シーナはしばらく建物の正面を見守っていたが、ようやく入ることに腹を決めた。