10 結婚 ①
シーナが十七歳になりしばらく経過した。
よく晴れた日のこと、シーナはある部屋の窓際で、ぼんやりと外を眺めていた。グランヴィルの大通りがよく見える。
「シーナさん、そろそろ準備をよろしいでしょうか?」
部屋の扉を開け、女性がシーナに声をかけた。「はい、お願いします」とシーナは立ち上がり、慣れないドレス姿で、女性に連れられるまま部屋前の廊下を進んだ。
メイクアップ・ルームと書かれた部屋に通されたシーナは、女性に指示されるままに鏡の前に置かれたイスに腰を下ろした。
「何もしなくても本当に美人なシーナさんですけど、これからもっと綺麗にしていきますね」
別の女性や男性が数名入ってきて、そのうちの誰かがそのように声をかけると、早速化粧下地を塗り始めた。シーナは目を瞑り、後ろの人々が時折話しかける言葉に返答するのみだった。
「さあ、終わりましたよ。どうですか?」
頭上からその言葉が聞こえ、シーナは目を開いた。ひとつ前に目を開いたのは数十分前だったかもしれない。
「わあ。本当に綺麗。これ以上何もお願いすることはありません。ありがとうございます」
シーナは何度も瞬きし、鏡を通して自分の顔や髪を眺めていた。
「じゃあ、あっちの部屋で新郎様がお待ちですから。どうぞ。……あ、ドレス踏んでますよ。お気を付けて」
「あ、はい……」
シーナはドレスを持ち上げ、メイクアップ・ルームを出て廊下を進んだ。
「イールス? 入っていい?」
ノックに応答するように中から「入って」と声が聞こえたので、彼女はそっと扉を開いた。
彼は部屋の奥で紅茶を飲んでいた。いつもとは異なりタキシードを着ているが、どうもローブの姿が馴染んでおり、シーナの頭の中で不調和を起こしていた。
「どうかな?」
シーナが声を出して、イールスは振り返った。顔に紅葉を散らした彼女は髪を梳いた。
「とても似合っているよ。今までで一番綺麗だ」
「本当に?」
「ああ、本当だよ」
イールスは立ち上がり、シーナに近付いてきた。
「まさか、こうなるとは、ね」
「本当に。昔は……想像もしていなかったんだろうね。……入学した頃とか」
「それはそうだろうな。君が入学したのは二歳のときだぞ? 結婚なんて言葉も知らない」
「二歳なら、そうだね」
彼女らは笑い合った。
しばらくして係員に呼ばれ、二人はチャペルへと向かった。
◇◆◇
結婚式は滞りなく執り行われた。途中でするべきことを忘れることもなく、リハーサルどおりにすべてが終了した。控室に戻ったシーナは、倒れるようにベッドに横になった。
「シーナさん、お疲れ様でした。本当に素敵な式でしたよ」
担当の女性がノックをして部屋に入ってきた。きっと彼女も大変に疲れているだろうに、どうしてそんなに涼しい顔で声をかけられるのだろうか。
「ありがとうございます。……本当に、疲れました。ドレスを早く脱ぎたいです」
シーナはベッドから立ち上がった。本来的に、ドレスを着たままうろうろされるのは式場としても迷惑極まりないだろうと察した。
「もちろんです。今、係の者を呼んできますから」
手際よくドレスを脱がされたシーナは、行く宛もないため、式場のロビーにやってきた。そこにはリリアとアイリスが立っていた。待っておいてほしいと頼んだわけでもないのだが、彼女らが自発的にそこにいたということだ。
「あっ……、シーナ、お疲れ様。本当に疲れたでしょう」
「ありがとう、リリア。アイリスも今日は来てくれてありがとうね」
「ううん。綺麗なシーナを見れて、本当によかった。もっと見たかったぐらい」
リリアもアイリスも笑顔だった。
「ありがとう、アイリス。うーん、でももういいかな。結構疲れちゃった」
シーナが笑って誤魔化すと、アイリスは彼女の後ろに周り肩を揉み始めた。
「冗談だよ。ゆっくり休んでよね」
「そうよ、明日はゆっくり寝ればいいから」
リリアは腕を組んでホッとした顔をしていた。
このリリア、今はこんな顔をしているが、ケルンでの学長会の後は大変だった。リリアがカクリスの人間でないかと疑っていたシーナたちは、アールベストに戻った翌日、早速総合指揮官室を訪れた。イールスもシーナ、アイリスと共にやってくるという、学長直々の案件となった。
なお、副学長らは来なかった。イールスは副学長らには伝えなかったらしい。確実でない話のため、無闇に関係者を増やしたくなかったということだ。
結論的に、リリアは最後まで口を割らなかった。当たり前のことだが、もしその一件でカクリスに圧力をかけることができたならば、それはそれで有意義だったとも言えるだろう。
その狙いどおりか、それ以来カクリスの人間がアールベストにやってくることはほとんどなくなったし、やってきたとしても以前のような問題を起こすようなことはなかった。いくつかの境界の村では目撃情報があったが、いずれも目撃しただけとのことで、アールベストへの実害は全くなかった。なお、依然としてリリアは総合指揮官の座にいる。
一方で、進展もあった。レオ・セガールの件だ。イールスが密かに調べており、ちょうど数週間前、ようやく彼からの呼び出しがあった。学長室に訪れたのは、もちろんシーナとアイリスのみだ。
「彼だが、エザールが出身のようだ。それに、エザールにある魔法学校を出ている。ダランの教員になるときはイルケーからだと偽っていたようだが、アールベストの地方役場にいる知り合いに調査をお願いしたところ、地方役場同士のコネクションで彼の素性が判明したらしい」
「ということは、カクリスの人間というわけではないのか……」
安心したような不安になったような、そんな中途半端な気持ちがシーナの心に降りかかった。レオ・セガールがどこの人間であろうと、重大な疑問が残っている。どうしてシーナたちが校外調査員であると知っていたかだ。
いずれにせよ、彼がエザール出身ということがわかっただけでもよかった。リラの出身であるならば急な攻撃なども想定されたかもしれないが、過剰に心配する必要もなさそうだ。




