7 最初の任務(二) ③
疲れてきたかのようにアイリスが声を出した。
「イールス学長、少しお伺いしたいのですが」
「どうした?」
アイリスがイールスに新しい話題を持ちかけるのは珍しいかもしれない。少なくとも、彼女がそうしているところをシーナは初めて見た。
「ケルンでのパーティーは、一体何のための集まりなんですか? 恒例行事だって聞きましたが」
「まあ、正直なところ、パーティー自体に大きな意味はない。ただ単に、アールベストを代表して行くというイメージだ。アールベストとケルンはそれなりに仲がいいからな」
「そうなんですか? あまりそのようなイメージはありませんでした」
「ああ、もちろん表向きいつでも仲良し、というわけではない。何かあったときは助け合おう、という程度のものだ。だから、出席するのは学長が多い。……何かあったときというのは、つまり、学校が表に出ていくということだからな」
「なるほど。……学校って、結構学校らしくないですよね」
アイリスが呟いた。独りで呟いたようだったが、イールスは彼女の言葉を拾い上げた。
「全くそのとおりだ。地方ごとの争いなどでは、基本的に学校が矢面に立つ。治安維持局が来てくれたらいいんだが、そういうわけにはいかない。彼らは個々の事件を解決するだけの組織だからな」
「……難しいですね。でも、学校が矢面に立つということは、その前線にいるのは生徒ってことですよね。生徒よりもずっと数の少ない教員が前線で戦うとは思えません」
彼女の言葉に、イールスはため息をついた。
「よくわかっているな。そうなんだよ、そういうことなんだ。何かあったときに失うものは、多くは生徒たちだ。教員は後ろから後方支援する形となる」
そう答えながら、彼は何度も頷いていた。
「これまでにそのようなことはあったのですか?」
「少なくとも、私の知る限り、ダランがそのような場面に直面したことはない。だが、他の学校ではあった。特に、こっちの方はな」
彼が「こっちの方」と言ったのは、スプラー山脈の東側ということだ。今いるベール地方やケルン地方には難しい歴史があったはずだが、それは随分と前の話で、ここ数年内の話ではない。
「歴史的に『戦争』と言われるほどのものではないが、こっちの方では学校間の意思疎通がうまくいっていないことが多かった。それこそ、言った言わなかったの問題が起こって、エスカレートして魔法の争いになるようなものだった」
「まるでそれを見たかのような話ぶりだね」
シーナが横槍を入れたが、イールスは表情を全く変えなかった。彼女自身も、何か疑念を抱いているわけではなかったのだが。
「学長ともあれば、昔何があったのか、ある程度は把握している。……臨場感も合わせてな」
冗談らしく付け加えたが、シーナもアイリスもまるで反応しなかった。
「二人とも、今後のこともあるから、ここでこっそりといいことを教えてやろう。……過去を知ることは、未来を救うことでもあるんだ。だから、歴史はきっちりと勉強しておくんだ。これまで授業で習ったこと以上に」
「授業で習ったこと以上に?」
シーナとアイリスは口を揃えて尋ねた。
「ああ、そうだ。授業で習ったこと以上に、歴史は奥深いし、それでいて複雑だ。知っていると思っていたことが、実は事実ではないことだってあるかもしれない。だから、授業で習ったこと以上に、自分たちでいろいろ調べて、世界のことをよく知るんだ。……真実を」
シーナとアイリスはごくりと唾を飲み込んだ。彼が言っていることが本当ならば、授業で習ったことのすべてが真実ではないということを示唆しているのではないだろうか。そして、そうであるならば、ダラン総合魔法学校は生徒たちに平然と嘘を教えているということになる。だが、当の生徒たちはそんなことを知るはずもなく、ただ教科書に載っていることを疑うことなく記憶していく。
——ともすれば、私たちの頭の中で形成されている世界は、嘘と真実が混じり合った状態で作られたものではないだろうか——
シーナの頭の中ではそんなことを考えていた。
「そうだ、もう一つ、いいことを教えよう」
少しの沈黙の後、突然イールスが声を出したので、二人は顔を彼に向けた。
「君たち二人も、今は嘘はいけないものだと思っているだろうが、時には嘘をつくことが重要だと気が付くときが来るだろう。しかし、嘘を最後まで突き通すのは難しい。嘘で作り上げたストーリーは、ただ真っ直ぐ積み上げた石のように、少しでも揺らせば崩れるようなとても脆いものなんだ。だから、嘘の上手なつき方を教えよう。嘘のストーリーの中に、時折真実も組み込むんだ。もちろん逆でもいい。真実のストーリーの中に、嘘を組み込んでもいい」
シーナは目を見開いて彼の話に聞き入るアイリスの顔を見た。もしかすると、彼女自身もアイリスと同じような顔をしていたのかもしれない。
「そうすれば、ストーリーはほんの少しだけ頑丈になる。積み上げた石の柱を接着剤で補強したように、少しぐらい揺らしても、すぐには崩れないようになるのさ」
イールスが話し終える頃には、馬車はベール地方の北端までやってきていた。次第にケルンの境界の壁が見えてきた。
ケルンは他の地方と異なり、きっちりと境界に壁を作っている。と言っても、まだ作っている途中ではあるが、どうして突然壁を作り始めたのかは不明だ。聞いたところによると、地方全体を壁で囲む予定らしく、すべての工事はおよそ二十年かかると聞いている。どうしてそこまで時間をかけて作っているのかは不明だが、いまいち工事が十分に進んでいる様子はない。まだ骨組みだらけだ。
「あの壁、まだ全然できていないね。もう数年経つのに」
「そうだな、まるで、まだ工事に着手したばかりのようだ」
そんなことを言い合いながら、一向はベールを後にし、壁の途中にある門からケルンへと入っていった。




