7 最初の任務(二) ②
スプラー山脈の南端に到達し、山脈沿いに進めばまた北上することで、一時的にベール地方に入り、そのままケルンに入る流れとなる。
スプラー山脈の南端をなぞるように進み、ようやくベール地方が見えてきたところで、シーナたち一行は少しの休息を取ることにした。ヒールフルで進路を変えてからここまでのところ、獣と男が対峙していたことを除いては、何の問題も起きていない。
「この調子だと、ケルンまで無事に到着できそうだね」
馬車から降りて伸びをしているところ、アイリスがシーナに声をかけた。
「そうかもね。このまま順調にいけたら、本当に嬉しいけど……」
シーナはそう答えてしばらくしてから、また続けた。
「アイリスは、さっきのイールスの話、どう思う?」
「どうって?」
「本当だと思う? リリアがカクリスの人間かもしれないってこと」
「……どうだろう。今の私じゃ、どっちかって答えられないかな」
アイリスがそう言ったのを聞いて、シーナは伸ばしている腕を降ろした。
「まあ、そうだよね。私も何が真実かわからない。けど、わかったこともある」
「わかったこと?」
アイリスがシーナの方を向いた。それに気が付きシーナもアイリスの方を向けば、互いに目が合った。アイリスの目は疑問を抱いているが、シーナはそうではなかった。
「この世界で、何が真実かなんて、わからないということ」
彼女の言葉を聞いて、アイリスは数度黙って頷きながら前に向き直った。
ここはスプラー山脈の南端。目の前には山脈の端があり、後方にはウラノン地方の平野が広がっている。右後ろを見ると遠くに森が見えるのは、立ち入り禁止とされているエビルの森があるからだ。
この静かな大地で、真実と嘘があちこちに横たわっている。一体何が真実なのか、シーナたちにはわかるはずもなかった。
ただし、自分が過去の記憶を失っていることは、おそらく何者かによる意図的なものだろう。そして、その何者かがわかれば、自分の過去、なぜ消されることが必要だったのか、がわかるはずだ。
そこまで考えてもなお、シーナの頭の中では葛藤が繰り広げられていた。
——それでは、自分の過去がわかった、真実がわかった、となったことで、一体自分は何をすることができるのか。何をするべきなのか。悪いと思う人を、端から順に殺していけばいいのか。それとも、恩赦の気持ちで許せばいいのか。
隣のアイリスは何を考えているのだろう。後方の馬車で休んでいるイールスは、何を知っているのだろう。
エニンスル半島で起こっていることは普通のことなのだろうか。半島の外に出れば、人々は全く違う生活をしているのだろうか。何が真実か、などと考えることなどなく、長閑に暮らしているのだろうか。もしそうであれば、どうしてエニンスル半島はこうなってしまったのだろうか。世界の中心地としてのこの半島は、実は世界から孤立しているのではないだろうか。
そんな考えを巡り巡らせ、疲れ果てたシーナは、雑草のベッドに横になった。隣で急に地面に横たわったシーナに、アイリスは驚いた表情を見せた。
「シーナ、どうしたの?」
「うーん、……なんだか、どうしようもないんだなって思って」
「……どうしようもない?」
「そう。どうしようもないの。私も、この世界も」
「……ごめん、あまりわからない」
アイリスの言葉に、シーナは高らかに笑った。
「何かおかしかった?」
「ううん。偉そうにこんなこと言ってるけど、私もわからないんだよね」
シーナはまた笑った。アイリスは戸惑っている様子だったが、そんなことには構わず笑い続けた。彼女にも、どうして笑えるかなんて、わからなかった。どうして「どうしようもない」と思ったかなんて、わからなかった。
馬車に戻ると、仮眠をとっていたイールスが目を覚ました。
「少しは休めたか?」
「うん、休めたよ。イールスは?」
イールスは小さく頷き、前を向いた。
「ここからケルンまではあと少しだ。時間はまだあるが、現地に到着するまではゆっくり休めないだろう。最後まで気を引き締めていこう」
「もちろん」
シーナが答えると、イールスは彼女の方を向いた。そして、アイリスに聞こえないような小さな小さな声で、彼女に話しかけた。
「外であまり名前で呼ぶな」
「いいじゃん。内のことだってないんだし」
「だからって……」
「それに、アイリスは知ってるよ?」
「知ってる?」
「うん。言ったもん」
イールスは一瞬目を丸くしたが、諦めたようにため息をこぼすと前に向き直った。
「では、ケルンに向かおう」
ウラノンからベール地方に入ってからは、しばらく広大な草原が続いた。小さな丘になっており、少しずつ登っているのが感じられた。もう空は随分と暗くなってきているのに、大きな鳥が空を雄大に飛び交い、草むらの上を小さな虫が忙しく飛び回っている。
ベール地方の西側はほとんど草原となっており、市街地は東半分となっている。とは言っても、たとえばグランヴィルのように巨大な街が存在するわけではなく、オームを中心とした小さな町が点在するイメージだ。そのため、現在シーナたちがいる草原から東の町を遠望することもできず、半ば退屈な景色が続いているというわけだ。




