7 最初の任務(二) ①
進路を変えた馬車は、ヒールフル地方の南側へと向かっていた。左手に見えるスプラー山脈では、あれ以来全く爆発は起きていないし、誰かが叫ぶなどの様子もない。
「何だったんだろう」
シーナが独り言を呟いたが、イールスがそれを汲み取った。
「誰かの悪戯、という可能性もあるが、やはりあれは何らか意図があったと思いたいな」
「意図があったとすれば、何?」
「いくつか考えられる。たとえば、良い例としては、スプラー山脈には危険があって、私たちが山脈内に入ってしまわないように誰かが爆発を起こしたというもの。逆に悪い例としては、私たちがもう山脈内にいると思った誰かが、私たちを殺す目的で爆発を起こした。実際にはまだ外にいたが、それは犯人の計算間違いということになろう。全く別の誰かが、何らかの被害に遭ったという可能性も否めない」
「だろうね。いずれにしても、誰がやったのか、という点がポイントになりそう。特に、悪い方だとカクリスの関係者かなと予想できるけど、良い方だと一体誰なのか気になるし」
「それはそうだな。こんな場所で私たちのことを助けようとした人間がいたということだ。本当に気になるばかりだ」
そのようなことを話しながらしばらく進み、見渡すばかりに砂漠が広がる景色にようやく緑が彩り始めた。
「あそこに街が」
アイリスが窓の外を指差した。馬車から向かって右側に、大小様々な建物が見える。街のようだが、やはりアールベストやプラルに比べたら小さそうだ。
「ああ、ヒールフルの中心市街地だな。あそこにはヒールフル魔法学校という学校もある。小さい学校で、財政的にも厳しいところだ」
「こんな場所に学校があるなら、生徒も集まらないだろうしね」
ぼんやりとシーナも告げた。すでに彼女は、その反対側のスプラー山脈側に向き直っていた。
そのような調子でしばらく進んだ先だった。少しずつ草木が見え始め、ヒールフル地方がもうすぐ終わりであることが感じられてきた頃だった。
「あそこに誰かいます」
アイリスが指差した先には、今回は人が立っていた。それに、その人の前には何か、獣のようなものがいる。両者対峙しあっているが、その人は魔法が使えないらしく、貧弱な体で短剣を構えているだけだ。今時短剣を持っているような人間を見るとは、とシーナは目を丸くしていた。
「もうヒールフルは過ぎたか?」
「はい、先ほど、ウラノン地方に入ったという看板を確認しました」
「ウラノン地方……。オームの街だな。エニンスル半島では珍しいが、人口のほぼすべてがオームの街だ。スプラー山脈の最南端に位置していて、特に観光地もないことから、人が訪れることもほとんどない。だから、マージが入ってくることもなかったし、まだ城を建てているような時代遅れの地方だ」
「城って……?」
シーナが目を丸くした。アールベストにはそのようなものがないし、他の場所でも聞いたことすらなかった。
「まあ、あれだ。世界皇帝みたいに偉い人が住んでいる、巨大な家みたいなものだ」
「ダランに帰ったら、その説明を授業に組み込まないと……」とシーナは呟いた。
貧弱な体で弱々しく立っているその男は、時折獣に向かって拳を振り回しているが、如何せん攻撃はできておらず、ただ近付こうとする獣を一時的に遠ざけているのみだった。そのままの調子では、いつかその獣に襲われるだろうということは容易に予想できた。
「あの調子だと……、死にますね、彼」
シーナがイールスに告げると、彼は数度首を曲げてから答えた。
「仕方がないな。時間は惜しいところだが、あの程度なら一瞬だ。助けることにしよう」
「わかりました、私が行きます」
アイリスが馬車から降りたが、後ろからイールス、続いてシーナもやってきた。
「私がすぐに片付ける」
イールスはそう告げると、獣の足元に魔法陣を出現させ、瞬時に獣を弱らせた。恐れをなしたのか、獣はすぐにその場から去ってしまった。
ほんの数秒で事は終わり、三人は馬車に戻ろうとしたが、男が彼女らを呼び止めた。
「あ、ありがとうございます。助けていただいて……」
「礼はいらない。当然のことをしたまでだ」
イールスが答えたが、やはり男は数度感謝を告げ、さらに続けた。
「名前は、……名前を教えてください」
「イールスだ」
それだけ答えると、また三人は馬車へと向かって歩き進めた。後ろから、「イールスさん、ありがとうございます、ありがとうございます」と言っているが何度も聞こえたが、誰も足を止めることも振り返ることもなかった。