6 最初の任務(一) ①
一週間が経過した。シーナとアイリスは、ダランの噴水前で待機していた。イールスがやってくるのを待つためだ。
「今日からだね。忘れ物はない?」
シーナの問いに、アイリスは緩やかな笑みを見せた。
「大丈夫。それより、もう一度今日の流れをおさらいしておこう?」
まず、イールスは現在学長室にいる。これからダランを発つための準備をするためだ。彼は、準備が完了次第、ここ、噴水前に来る手筈となっている。
イールスがやってきたら、すぐにダランを出発する。まだ生徒たちが学校に来るには早い時間だ。生徒たちの登校時間と被らないように、素早く対応する予定となっている。
その後、まずはプラル地方に入っていき、プラル地方の真ん中を横切るように東に向かう。その後、ペール地方を左手に見ながら、その周りを回るようにして少しだけ北上し、エザール地方とヒールフル地方の境界付近を東に進む。
スプラー山脈が見えてきたら、目的地までのちょうど半分ほどだ。スプラー山脈を抜け、最初はイルケー地方に入り、すぐに南下してケルンに入る。ケルンに入った後は、そのまま東へと進み、中心市街地まで向かう。
このルートは、リリアから提示されたものを参考にした上で、シーナとアイリスで相談して決定した。イールスも特に意見を述べることなく、このルートに了承した。
校舎からイールスとリリアが出てきた。
「それでは、行ってくる。こちらのことは、副学長らとうまくやっていてくれ」
「わかりましたよ。気を付けて行ってきてください、イールス学長」
リリアはそう言ってイールスを送り出すと、シーナたち一向が乗った馬車が学校の敷地から出て見えなくなるまでその場に立って見送っていた。
「準備は良いか?」
ダランを出て間もないタイミングでイールスが口を開いた。誰に言っているのかはわからないが、シーナの方を向いているのでシーナが答えることにした。
「大丈夫。……一応改めて確認しておくけど、今日のルートは——」
「大丈夫だ。もう覚えている」
「わ、わかった」
「イールス学長」
シーナがあまり話さないからか、イールスを挟んでシーナの反対側からアイリスが声を出した。
「どうした?」
「もし、もしですが、今回の任務中に問題が発生したら、どのような解決方針ですか」
「……というのは?」
「可能性の話ではありますが、……もし、偶然にも、たとえばカクリスの教員たちと出会い争いになった場合、私たちは逃げれば良いでしょうか。あるいは、応戦でしょうか。それに、応戦するにしても、戦意を喪失させれば良いか、再起不能となるまで応戦すれば良いか……」
「なるほど」
イールスは少し考えたが、やがて時間を置かずに口を開いた。
「問題が起こった場合は、もちろん、そのとき次第だ。だから、一義的にこの場で答えることは難しい。ただし、基本的には逃げる方針だ。校外調査員二人とはいえ、二人ともまだ慣れていないだろう。応戦するにしてはリスクが高い。教員と出会うとかそういうことでない他の問題であっても、基本的にはリスクを下げる方針を基本としよう」
彼の答えを聞いて、アイリスは何度か頷いて顔を前に向けた。応戦する、と言われなかったことが彼女にとって良かったのだろう。
「まあ、今回は問題が発生することはあまり想定していない。リリアからも報告を受けている。君たちが提案してくれたルートで、最近大きな問題は起こっていないと」
「なら、よかったです」
アイリスは安堵した表情を見せた。要するに、彼女は戦闘を避けたい一心だったのだろう。それが今イールスの口から保証されたのだから、彼女が嬉しくないはずがない。
その後、プラルに入る頃には三人とも黙った状態で、各々景色を眺めていた。馬車はすでに浮いた状態で高速移動しているため、揺れることはほとんどない。次に車輪が地面に着くのは、スプラー山脈を越えるときだ。
◇◆◇
突然馬車が大きく揺れたので、シーナは目を覚ました。隣のイールスやその向こう側のアイリスも辺りを見回している。二人も寝ていたのかはわからないが、その様子から察するに何が起きたのかわからないという雰囲気だ。
まだ陽は高く登っている。周囲を見回してみたが、ちょうど砂漠を抜ける頃のようだ。後方には砂の大地が広がり、前方のすぐそこにスプラー山脈が広がっている。
シーナたちはすぐに発生している問題を理解した。
「どうして馬車を止めたんですか?」
シーナは馬車の扉を開き、御者に声をかけた。
「前を見ろ」
御者が示す先を見ると、そこには何台もの馬車が列を成して立ち往生していた。
「これは……?」
「わからないが、この進路の先で何かあったらしい。経由地を変更しないと、予定の時刻に確実に到着できるかわからない」
馬車の列のずっと先に目をやると、ローブを羽織った人物が数名立っているのが見えた。並んでいる馬車に状況を説明しているのか、何やら御者と話しているのが見える。いずれにせよ、それぞれ穏やかではなさそうなことが理解できた。
「何があったのか、聞いてきます」
シーナは馬車から降り、彼らの方向へと向かった。後ろからアイリスもやってきた。
「何があったんだろう?」
「わからない」
「事故かな?」
「そうかも。いずれにせよ、経由地を変更する必要があるかもしれないんだって」
シーナはアイリスに端的に答えると、早歩きで男たちの立っている場所へと向かった。
二人が彼らの場所に到着すると、彼らが何やら揉めていることがわかった。
「だから、俺は早くハルセロナまで行かないと行けないんだ。さっさとやってくれ」
「待っていてください、今確認していますから」
「何をしているの?」
到着したシーナが聞くと、揉めていた御者とローブを羽織った男がこちらを向いた。
「誰だ、お前」偉そうに言ってきたのはローブを羽織った男だ。
「シーナです。ここで何を?」
「ほんの少し前、近くで事故があったんだ。それに関係している人物がいるかもしれないと上から聞いていて、ここを通過する人を確認している」
男は過剰にハキハキと説明した。
「私たちは関係者じゃないわ。そんな事故があったなんてことも知らない」
「だから、それをここで一台ずつ確認しているんだ。ここで聞き取った情報を上に伝えて、上から通過許可が降りたら通過させる。順番が来るまで待っていてくれ」
この殺風景なローブを着ているのは、他でもない、治安維持局の人間だ。魔法学校の関係者であれば、その魔法学校の校章が背中に描かれている。しかし、治安維持局のローブはそのような柄がなく、文字どおり無地だ。卒業直前に学校の授業でも習った内容だ。
「でも、私たちは何も目撃していないわ。だから、関係者ではない」
「言っているだろう。順番が来たらそう言ってくれ。君らの前で待っている人たちが先だ」
「彼らのほとんどはそんな事故知らないんじゃない? そんなに躍起になって探して、事故ではなくて事件とでも言いたいわけ?」
シーナがそう言うと、男は首を左右に振りながら大きなため息をついた。
「ああ、そうだ。ここでは事故だと説明しているが、上は事件だと思っているようだ。だから、目撃者ではなく関係者を探しているんだ」
「……いずれにせよ、私たちは関係ない。横を通って行ってもいいでしょ?」
「ダメだ。勝手にこのライン上から外れたら、お前たちは治安維持局の監視対象だ」
シーナも大きなため息をついた。彼にお返しするように。
「アイリス、馬車に戻って対応を考えよう」
シーナとアイリスは馬車に戻り、御者に状況を説明した。そして、馬車に乗り込むと、今度はイールスにも同じことを伝えた。
「仕方がない。時間には余裕を持たせている。まずはその検問を受けて、その後はスピードを上げてケルンに向かうとしよう。確か、予定の到着は夕方ぐらいだったよな?」
「そう。それに、今日の夜は予定がない。だから、ここで少しぐらい時間を使っても問題はない」
ならそうしよう、とイールスは答え、問題は終結したはずだった。