2 リラ地方往訪 ③
イールスとリナは対峙した。
「リラ地方において勝手に分離政策を進めるなら、アールベストは口出ししない。ただし、アールベストにも影響があったり、こちらにも同様の政策を求めてくるとなれば話は別だ。本番においても強く却下する」
「いいでしょう。他は? 他に何か議題はあるのですか?」
「ない。……魔法運用に話を戻そう」
「いいや、その必要はない」
ジャックの声だ。野太い声が特徴的だ。
「その話をこれ以上続けても、進展はないだろう。何しろ、我々が関与したという証拠はない」
「ありますよ」
イールスはリリアに視線を送った。
「こちらが、その証拠です。アールベスト北東部のリラとの境界に近い村において、少し前に争いがありました。関与したのは現地住民とダランの教員、そして、カクリスの教員と生徒だと見られます。その証拠に——」
リリアは手に持っていた袋から、白色の小さな布切れを取り出してみせた。
「これが現場に落ちていました。……カクリスのローブのものです」
シーナはこの事件のことを知らない。時々同様の事件は発生するため、わざわざ誰も話さないのだ。だが、今回、ようやくカクリス魔法学校が絡んでいるという決定的な証拠を手に入れたということだろう。それも、生徒ではなく教員が関係している案件だ。
「これがカクリスのものであることは、成分を調べればすぐにわかります。それに、この配色は教員のものですよね」
リリアは、テーブルを囲む全員から見えるように掲げた。確かに、布の色合いがジャックやリナが着ているものと一致する。
「……なるほど。それは確かに、カクリスのものだろう。だが、その現場で押収されたものだということは何を見ればわかる? それに、我々の魔法の使い方が間違っていたわけではなく、そちらの人間が我々に手を出してきたということも考えられるが?」
ジャックはうっすらと笑っていた。自分が負けたとは微塵も思っていないのだろう。
「現地の人々が、カクリスの人間が一方的に襲ってきたんだと証言している」
「アールベストの人間が言うことを鵜呑みにはできない」
「…………」
イールスは閉口した。これ以上は無駄だと悟ったのだろう。
思い出せば、ここしばらく、魔法運用協議会において目に留まる決定はなされなかった。魔法運用協議会は毎年の定例開催ではなく、随時開催が基本だ。そのため、どこかの学校で、世界皇帝を通して決定したいことがあれば議題を提案し、世界皇帝御所において開催が決定されることとなる。ただし、少なくとも直前の開催日から三年が経過するまでには開催が必要となっており、今回はその「仕方がなく」開催される回となる。
通例、三年に一度の会においては魔法の運用状況の報告のみとなることが多い。今回、別の件についても議論しようとしていることが異例なのだ。
「ダラン総合魔法学校は、我々を悪者にしようとする傾向がやや強いようだ。だが、言っておくが、我々は魔法がこの世界において冠たる能力であることを示したいだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。ダラン総合魔法学校が物事を深読みしたい気持ちはわからなくもないが、自分たちの身を案じるならば控えた方がいい」
ジャックはそこまで言い終えると立ち上がった。
「ダラン総合魔法学校が我々を変えた。それは理解しているんだろう? イールス・ダラン学長」
イールスはジャックを睨んでいたが何も答えなかった。シーナは一人そわそわと緊張していたが、この場がもうすぐにでも解散となることは理解していた。
「当日、どちらの意見が通るだろうな。あるいは、どちらの意見も通らないかもしれない。ダランとカクリスが真っ向から対立していては、世界皇帝も決定に至るのは難しいだろう。そのための今日だったんだが……」
「カクリスが聞く耳を持たなかった、ということでよいか?」
イールスがようやく口を開いた。窓際に立っていたジャックは振り返って彼の目を捉えた。同時に、リナとメラニアが構えた。
「冗談はよしてくれよ」
咄嗟にフェデラックとリリアも構えた。イールスの次の発言によっては争いが始まりかねない。
「冗談かどうかはその日になればわかる」
しばらく沈黙が続いたが、やがてイールスは立ち上がった。
「ここで戦えば、余計な犠牲を払うことになるだろう。今日は帰るとしようか」
「賢明な判断だ。当日もそのようであることを望んでいる」
イールスに続き、シーナたちも彼に続いてカクリス魔法学校を出るに至った。
◇◆◇
「学長、どうしてここに?」
リリアが声を出したのは、シーナたちがロベリアに到着したからだ。ロベリアというのは、リラ地方の中心市街地のことで、カクリスから少しだけ馬車で移動したところにある。
ロベリアはカクリスの方針を強く受けている街であり、住民のほとんどがマージだ。
「我々四人だけなら、こんなところに立ち寄ることはしないのだが」
イールスはそう言って向かいに座るシーナを見た。
「ロベリアを見せようと?」
「そうだ」
彼は立ち上がり、シーナを手招きして並んで馬車を降りた。
「ここがリラ地方の中心市街地、ロベリアだ。雰囲気はグランヴィルととても似ているが、視界に入る人間の九割はマージだろう。そういう地方なんだ、リラは」
シーナは無言で見回していた。
イールスはさらに続けた。
「魔法学校に入学すれば、自分の周りは全員魔法を扱える。しかし、世間に出てみれば、魔法を扱える人間は半分より少し多いぐらいだ。そうでない人々を蔑ろにしていいなど、おかしいだろう。だからダランは、マージとオームの共存の仕方を探っている」
「……アールベストの人……マージが、オームを殺すようなことはない?」
「……もちろんないさ。……どうしてそんなことを聞く?」
「……いや、わかんない。急に思い付いただけ」
シーナはぼんやりとロベリアの街並みを眺めていた。自分でも、どうしてそんなことを口にしたのか全く理解していなかった。身体の奥底から、急に飛び出した言葉だった。
「疲れたんだろうな。さあ、ダランに戻ろう」
イールスがそう言うので、シーナたちはまた馬車に乗り込み、束の間のリラ地方の滞在を終えてアールベスト地方への帰路についた。




