16 無情 ③
シーナは「入って」と伝えたが、ベッドに寝たままだった。念のため時刻を確認したが、ちょうど授業が始まるころだった。レイチェルがここにいるということは、これから授業があるわけではなかったのだろう。
「私の部屋、知ってたっけ?」
姿を見せたレイチェルに対し、ベッドに横たわったままシーナは言った。
「生徒の家がどこかぐらい、調べればすぐにわかるからね」
レイチェルはベッドの横まで歩いてくると、床に膝をついてシーナと目線を合わせた。
「大丈夫? ちょっと心配になって来ちゃった。迷惑だったらごめんね」
「ううん、全然迷惑なんかじゃないよ。むしろ、心配してくれて嬉しい」
「それならよかった。……ただ様子を見たかっただけで、何も目的はないんだけどね」と、彼女は困ったような顔をした。
「なら、ゆっくりしていってよ。いつから授業?」
「昼からよ。だから、午前中は暇なの」
「そんなにないんだ。なら、昼までここにいたら?」
「そうするわ。……ベッドから起き上がるの、辛かった?」
レイチェルはシーナの手をそっと握ってきた。非常に自然な動作で、シーナは何も嫌がることはなかった。
「辛い……、まあ、辛かったかな。学校に行く気がしなかったというか」
「どうして学校に来るのも辛かった? その、……フローラの事故と学校に何か関係が?」
「……ここだけの秘密にして」
シーナはレイチェルの耳に顔を近付け手を添えた。
「ダランが関係してるんじゃないかって思ってる」
「どういうこと?」
レイチェルが驚いた表情を見せたので、シーナは「静かに」と一言告げて続けた。
「フローラが亡くなったのは、単なる事故ではなかったかもしれない。転落事故ではなく、ダランが何かを操作したのかもしれないって思ってる」
「根拠は?」
「それが、ほとんどないの。ただ、治安維持局で働いているマックスっていう人がそう言っていた」
「治安維持局が……」
レイチェルの視線が泳いでいた。信憑性の高さに驚いたのだろう。
「もちろん、可能性があるだけだけどね」
「前にも言ったとおり、何が起こっていたのか、私は全く知らない。でも、もし何かわかったことがあれば、シーナに言うわ。そのときは、この場だけ、でお願いね」
「もちろん」
特に深くシーナに問い詰めるでもなく、レイチェルはシーナの味方でいてくれるということだった。
◇◆◇
それから長い月日が経過し、シーナの高等部三年生が終わろうとするころだった。これまでの間にフローラが事故ではなかったとする証拠は何も見つからず、結局何も前進しないまま一年を迎えようとしていた。
進展がなかったからか、シーナの心は変わらず壊れたままだった。レイチェルと話した後で変わったことは、学校を休むことが多くなったということだった。それに伴い、シーナの成績は下落を続ける一方となり、他の生徒たちに順位が抜かれ続けていた。
シーナはこの日、寮の自室からグランヴィルの中心部を眺めていた。グランヴィルはダラン総合魔法学校からは少しだけ遠い程度で、寮からも見ることができる距離にあった。建物が邪魔になるため人々の歩く姿までは見えないが、距離的に聞こえない人々の話し声が空気を通して感じられた。——不思議な感覚だった。
「シーナ、入っていい?」
扉をノックするこの人、声から察するにリリアだ。シーナの部屋に来るのはいつぶりだろうか。
「……リリア? 入って」
扉がゆっくりと開き、その陰からリリアが姿を見せた。久しぶりに彼女の顔を真っ直ぐ見た。
「シーナ、今大丈夫? 来てほしいんだけど」
「え、どこに?」
シーナは目を丸くしたが、リリアは全く何も動揺していなかった。
「校舎の方」
「今日は何かあったっけ?」
シーナの記憶では、今日は休校日だ。したがって、特別な用事がなければ校舎に入ることはない。
「ちょっと用事があって。来てほしいの」
「……わかった、行くよ。そこで待ってて」
シーナはベッドから立ち上がり、部屋を出る準備をしてダランのローブを羽織った。
廊下で待っていたリリアに「いいよ」と声をかけると、リリアはシーナの全身を一瞥し校舎へと向かった。
「どんな用事?」
「あなたにとって大事なことを話そうと思って」
「私にとって大事なこと? ……って、何だっけ」
シーナは後ろからリリアの様子を伺おうとするが、歩くのが早くて横顔を見るのも難しい。
「……フローラ・モナコよ」
「…………!」
シーナはその言葉を聞き、頭を叩かれたかのように目が覚めた。これまで何の進展もなかった彼の事故について、何らかの手がかりがあるというのだろうか。
とにかく、一刻も早くリリアの話を聞きたいという気持ちになった。
「こっちよ」
リリアが先導した先は、「立ち入り禁止」と書かれた扉の奥だった。扉は激しく軋むし、どこかじめじめした感じが苦手に感じられた。
「この部屋、前の廊下は何度も通ったことがあるけど、何があるのか知らない……」
シーナの呟きには全く興味を示さず、リリアは先にある階段を下っていった。
「地下室? ダランに地下室があるなんて知らなかった」
「足元に気を付けて。滑りやすいから」
リリアがそう言った矢先、シーナは踏み板の上で足を滑らし、階段から滑り落ちそうになった。幸い、咄嗟に壁に両手を着いたため階段から落ちていくのは免れたが、その壁はやはり湿っぽく、思わず顔を顰めてしまった。
「ほら、気を付けて。……こっちよ」
「待って、リリア」
慣れた足取りで進むリリアを追いかけるように、シーナは急いで階段を駆け降りた。
階段を降りて右に折れたところにあったのは、再び「立ち入り禁止」と書かれた扉だった。しかし、階段の上にあった木製の扉とは異なり、金属製で重たいものだった。




