12 スプラー山脈の麓の町(二) ③
町に出た二人は、早速、昨日も歩いたワイン屋の並ぶ街道を歩いていた。今日も天気が良く、汗が出そうなほどだった。
「あ、あそことかどう?」
シーナの指差した先には、他の場所より少しだけ小さく、屋根には「ヴィッカーおじさんのワイン屋さん」と書かれていた。
フローラは「いいね」と頷き、二人はそのワイン屋へと向かった。
「いらっしゃい。どうぞ、ゆっくりと見ていって」
店主らしき老爺に軽く会釈して、二人は店内へと入った。とても小さな店の中に、所狭しとワインが多数並んでいる。見たところ、この町のワインが多いようだが、他の地方からのものも多く売っているようだった。
二人はいろいろと見て回っていたが、買う気に見えたのか、店主らしき老爺が歩み寄ってきた。名札には「ネオ・ヴィッカー」と書いている。この人が店主であることは間違いないらしい。
「お二人さん、お探しのものはあるかい?」
「いえ、あまり辛くないものがいいんですけど……」
シーナが答えると、ネオは近くの棚からボトルを一本手に取りラベルを二人に見せた。
「ここにある中では、これが一番甘いよ。氷神のワインとも呼ばれている。スプラー山脈の周辺にはたくさんのワイナリーがあるが、その中でも最も標高の高い雪の降るワイナリーだけで作られている特別なワインなんだ」
華奢で繊細なボトルの中で、美しく黄緑がかった白のワインにシーナは見惚れた。
「フローラ、これでいいんじゃない?」
「そうだね、そうしよう」
二人は会計を済ませ、ボトルの入った紙袋を持って広場へと向かった。この広場は最初に馬車がやってきたところだ。端には停留所があり、中心部にはいくつかのハイテーブルと小さなワゴンの出店があった。ワッフルを売っているようだ。
「ワッフルを二つお願いします。それと、グラスを二つもらえたら」
「はいよ」
シーナたちはハイテーブルの一つにワッフルを並べ、グラスに先ほど買ったワインを注いだ。液体の流れるコポコポという音が耳を心地よく刺激する。
視線を合わせ小さく乾杯した二人は、早速ワインを少量飲んでみた。アルコールが喉を通っていくのが伝わってくる。
「……おいしいね! ジュースみたい」
「本当だね。今まで、こんなに甘いワインを飲んだことがないよ」
このような調子で、「おいしい、おいしい」などと言いながら二人はワインとワッフルを堪能していた。立ちながらの昼食だったが、足の疲れなど全く感じなかった。
その後もしばらく町中を歩き回り、改めてネオ・ヴィッカーのワイン屋へと訪ねてワインを一本購入した。そのような調子で町を楽しんでいたところだったが、とうとう出発時刻も近付いてきたため、二人は宿へと戻ることとした。楽しい旅行で最も気持ちが落ち込む、「帰る」ときだ。
◇◆◇
先ほどの広場で馬車に乗り込んだ二人は、名残惜しそうにしばらく町の方を見ていたが、やがてスプラー山脈へと差し掛かる頃には前に向き直った。まだ陽は高く昇っており、山肌を煌々と照らしていた。
しばらく思い出話を語り合っていた二人だったが、気が付けば眠りに落ちていた。フローラが眠ったところを見なかったため、今度はシーナが先に寝たのだろう。夢を見ることもない深い眠りだった。
次に目を覚ますと、目の前にはグランヴィルの夕方の風景が広がっていた。寝ているうちに一夜を越し、プラルも通り過ぎて、アールベストまで帰ってきたということだ。フローラがシーナの顔を覗き込むようにしていることから察するに、彼は先にどこかのタイミングで起きており、彼女が起きるのを待っていたのだろう。他の乗客の姿はあるが、馬車から降りようと立ち上がっているか、すでに馬車から降りて荷物を降ろしているかだった。まだ座っているのはシーナたちだけだった。
「ごめん、降りよう」
シーナは早口に告げて立ち上がったが、寝起きの足にそれほど力が入らず、思わずよろけてしまった。
それを抱き抱えるようにして支えてくれたのは、やはりフローラだった。
「そんなに慌てなくていいよ。ここが終点だから、馬車はしばらく停まっているよ」
彼の言うとおり、この馬車はグランヴィルから出発するものだし、グランヴィルに帰ってくるものでもある。しばらくここに停留するため、それほど急ぐ必要はない。それに、もし馬車を車庫に戻すとなれば、必ず係員が声をかけるはずだ。
「ありがとう……」
シーナは、早く降りるか降りないかではなく、咄嗟のタイミングで彼に支えてもらったことが嬉しくて恥ずかしく、どうしようもない気持ちだった。
二人はそんな調子で馬車から降りると、最初に歩いた道をそのまま逆方向に歩き、ダラン総合魔法学校へと戻っていった。
こうして、丸四日かけた小さな旅行は、二人の微笑みと共に幕を閉じたのだった。




