12 スプラー山脈の麓の町(二) ②
しばらくして宿に戻った二人は、順調に寝る支度を済まし、ダブルベッドの上で並んで横になっていた。昼間は賑やかだったが、夜になると本当に静かになるようだ。物音ひとつ聞こえない。単に宿の中にいるからではなく、本当に野外が静かなのだろうということは、空気感から感じ取れた。
窓を閉め切っているためか、全く風が流れない。それでも暑いことはないが、妙な静寂で逆に落ち着かない夜だった。
横にいるフローラは起きているのだろうか、などと考えながら、シーナは目を丸く開いたまま寝付けずにいた。フローラと背を向け合って寝転がっているが、本当は向き合って寝たいと思っていた。
「フローラ? 起きてる?」
シーナはか細い声を出した。これ以上弱々しい声など出すことができるまい、というレベルで。
しかし、彼の応答はない。シーナは身動きせず目を開いたまま寝転がっていた。
「寝た? ……よね?」
彼女は目を閉じた。不気味な静寂に包まれて、なんとか眠ろうと決めた。
「……シーナ?」
突然、背後から声が聞こえた。あちら側もとても弱々しい声をしている。死ぬ間際になんとか絞り出した声のようだった。
「静かだね」
「そうだね」
今にも切れてしまいそうな声を出して答えるフローラ。
「ちょっと怖くない?」
「そうかな?」
フローラがもぞもぞと動き、何となくこちらを向いたのだろうとわかった。
「……そっち向いてもいい?」
「……いいよ。こっち向いて」
促されるようにシーナは身体の向きを変えた。
真っ暗な部屋の中に、窓から差し込むほんのわずかな光に照らされ、目の前にフローラの輪郭が映し出された。
「フローラ……」
シーナはまた身体を動かし、彼に近付いた。
「はあ。落ち着く……」
フローラに抱き付いたシーナは、ため息をこぼした。ゆっくりと彼も抱き返してくるのがわかった。確かに強く。
「フローラも起きてたの?」
「うん。寝ようとがんばっていたけど、寝れなくて」
「どうして?」
「……どうしてだろうね。わかんないや」
フローラは肩を竦めるようにして笑った。
「最初は返事してくれないから、寝ているのかと思った」
「寝言かと思ってね。でも、二言目もあったから、起きているんだろうなってわかったんだよ」
「まあ、起こしたわけじゃないならよかった」
シーナは彼を抱く手に力を入れた。
「どうしたの?」
「ううん、なんだか落ち着くなと思っただけ」
「嬉しい」
フローラも返してきた。
このような調子で少し雑談していたが、気が付けば、二人は深い眠りへと誘われていた。安心を身体いっぱいに感じながら。
◇◆◇
小鳥の囀りに誘われるように、二人はほとんど同時に目を覚ました。
「おはよう、フローラ……」
まだ寝たいとうるさい目を擦りながら、絡まり合う手を解いてシーナは上体を起こした。
フローラも彼女に続き、上体を起こして横に並んだ。
「シーナ、おはよう。……まだ、眠たいね」
「本当に。眠すぎて……」
腰の力が抜けたように、シーナは倒れるようにベッドに横になった。座っているフローラが上下に揺れていた。
「シーナ、もう少しだけ寝る?」
「うん……寝たい……。寝たいんだけど……」
彼女はまた起き上がると、今度はフローラに抱き付いた。
「ずっと寝ていたら、フローラといる時間が勿体無いから……」
しかし、そう告げる彼女の目は閉じていた。
フローラは彼女の頭を優しく撫でながら、
「シーナが寝ていたって、僕はずっと隣にいるのに」と言ったのものだから、シーナは小さく「好き」と呟いて彼により強く抱き付くのだった。
しかし、シーナに残された選択肢は、起きるか寝るかだ。
彼女は精一杯に背伸びをすると、ようやく目を開いた。フローラと目が合った。
「よし、起きるか」
シーナが目を覚ましたので、彼はベッドから立ち上がった。
この日の予定は、昼過ぎまではこの町で観光をし、その後馬車に乗ってアールベストへ戻るというものだ。馬車はイルケーの港の方からやってくるので、この町を出発するのが昼過ぎとなる。この町に到着したのは昼前だったが、帰りのアールベストに到着するのは夕方となる。また馬車で一泊するのだ。
「今日は何を見たい?」
「おいしいものを食べたいかな。そんなに時間もないし、見るものはいいや」
シーナがそう答えたので、フローラは顎に手を当てた。
「ここの特産品はなんだろうね。それを食べられたらいいんだけど」
「もしかしたら、ワインかも」
シーナは、昨日町を散歩したときに、たくさんのワイン屋があったことを伝えた。さらに、スプラー山脈側にはワイナリーも点在している。
「なるほどね。ちょっと飲んでみようか」
「うん!」とシーナは上機嫌だった。
エニンスル半島において、飲酒が可能となるのは九歳からだ。つまり、生徒たちは中等部になれば酒類を飲むことが可能となる。すでに高等部になっている彼女らは、ワインを飲むことができるのだ。
「着替えるからこっち見ないでね」
シーナに言われ、フローラは素直に反対側を向きながら着替えた。
しばらくして、シーナの「もういいよ」の声が聞こえ、フローラは振り返った。
「……今日もかわいいね」
髪をハーフアップにし紺色のボウタイブラウスを着たシーナは、紺、青の花柄の描かれた美しい白地のロングスカートの、腰の部分に付いている黒のリボンを結んでいるところだった。
彼の言葉に、シーナは振り返って笑顔で応えた。
「ありがとう。フローラも、今日もいい感じだね」
シーナはフローラに歩み寄った。彼は白のカットソーの上に薄手の黒のジャケットを羽織り、昨日と同じ黒のズボンを履いていた。
「ジャケット、好きだよ」
彼女にそう告げられフローラは恥ずかしがっていたが、シーナはすぐに持ち物を整理するためスーツケースの置いているところに向かった。
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