11 スプラー山脈の麓の町(一) ②
ホール一般学校を横目に見ながら美しい街並みの間を進み、馬車はプラル地方の中心市街地へやってきた。雰囲気はグランヴィルと似ているが、ここにいる人々はオームが多い。
最初の停留所で馬車が止まった。人々が大きい荷物を持ちながら次々に馬車に乗ってくる。
この馬車は数名用の小さいものではなく、およそ二十人程度が乗ることのできる大きいものだ。それゆえ、馬車馬も六頭いる。
馬車が賑やかになったところで、再び馬車がゆっくりと走り出した。
プラルの中心市街地を走っている間はゆっくりと走っているが、市街地を抜ければ徐々にスピードを上げる。まともに話せるのはそれまでだ。
シーナは口を開いた。
「フローラはダランを卒業したら、イッサールに行くんでしょ? どうやって連絡とったらいい?」
「そうだね、基本は手紙になるよね」
「じゃあ、どうやって会いにいったらいいかな?」
フローラが少しだけ考える様子を見せた。馬車が一番思いつきやすいが、シーナたちは魔法を使える。
「馬車でもいいし、アープで来てくれてもいいよ。それに、基本的に僕が会いに行くから、あまり心配しなくていいよ」
シーナは「そっか、ありがとう」と笑顔で返した。
車輪が騒がしくなり始めた。これまでよりも振動が大きく感じられるが、最近発明されたサスペンションが衝撃を緩和し、気分的にそれほど辛いものではなかった。
馬車の走るスピードが速くなるにつれ、乗客たちは次第に口を開けなくなっていった。シーナたちも同様だった。
それからさらに進めば次第に空は暗くなり始め、眠気が彼女らを襲ってきた。最初は振動でゆっくり寝ることなどできるまいと強く思っていたシーナだったが、知らぬ間にフローラが寝ており、自身の睡魔もより一層強くなってきたために、気が付けば彼女も目を閉じてしまっていた。
激しく揺られながら過ごしたその夜には、穏やかな風が彼女らを優しく撫でていた。
周囲の音が静かになり、シーナは目を覚ました。フローラはまだ寝ているし、他の乗客も半分以上が寝ている。
彼女はその場で大きく伸びをし深呼吸をした。再びフローラが寝ていることを確認しては、寝ていたときと同じように彼の肩に頭を乗せた。
「フローラぁ。朝ですよぉ」
朝日によって作り出された彼女らの影は馬車に引き摺られていた。そうであっても、二人の並んだ影は分かれることなく隣り合っていた。
シーナの甘い声はフローラの耳まで確実に届いたようだ。ほんの少しだけ目を開いた彼は、シーナの顔を見ると微かに微笑んだ。
「ああ、朝か。おはよう、シーナ」
彼はシーナのことが本当に大好きだ。そして、シーナ自身のことが好きであることに加え、シーナという名前も好きなようだ。
「本当にいい名前だよね」
「え、嬉しい。どんな意味があるのか全然知らないけど」
「親から聞いたことないの?」
フローラの言葉に、シーナは顔を暗くした。俯いた彼女の背中に、彼は手を当てた。
「親は、……会ったことがないから」
「そ、そっか。……変なこと言ってごめんね……」
フローラは申し訳なさそうな顔をした。が、シーナは彼に悪気がないことを理解していたため、すかさず返事をした。
「で、どういう意味なの?」
「……希望、って意味だよ」
彼の言葉を消えそうな声で復唱しながら、シーナは足元を眺めた。
彼女はすぐに必死で笑顔を作り、顔を上げると彼に向いた。
「そうなんだ。どうして知っているの? アールベストの言葉じゃないよね?」
「いいや、アールベストの言葉だよ。でも……」
フローラは言葉を詰まらせた。シーナは微笑んでいたが、彼の様子が変わったことで目をぱっちりと開いた。
「グランヴィルの言葉じゃない。イッサールとか、北部で使われる俗語だよ」
「……どうして、私の名前がそんなところから……?」
シーナは、やはり顔を暗くした。無理して作り出した笑顔は長くはもたなかったのだ。彼女の様子を見て、彼はすぐにその肩を抱いた。
「きっと、シーナのご両親が、北部出身とか、そういうことなんだよ。気にすることないさ」
「……そうかなあ。そうなのかなあ」
シーナはやはり納得していなかったが、彼が懸命に彼女の肩を撫でているので、少しずつ心が和らいできていた。
馬車はそれでも何も知らない顔をして彼女らを揺らしながら真っ直ぐ走り続けている。
「シーナは、……シーナはご両親のことを知らないのかい?」
フローラの目が泳いでいる。この質問をするかどうか悩んだ挙句、質問しようと決心したのだろうが、いざ口に出してみるととんでもないことを聞いてしまったと後悔しているのだろう。
「……知らない」
「全く?」
「全く。……自分でも怖いぐらいに」
フローラは「そっか……」とだけ呟き、顔を俯かせた。シーナも同じく俯いていた。朝日に照らされながら、彼女ら二人は深刻な空気感に包まれていた。他の乗客の様子など、全く気にすることすらできなかった。
「忘れてしまったんだよね、きっと」
気を取り直すように横から声が聞こえ、シーナは少しだけ顔を上げた。瞬きを繰り返したが、やはり彼の言葉がすっと頭に入ってこない。
「まあ、それでいっか。私が忘れちゃったのかな」
心の中では理解できずにいたが、表向きは同意することとした。これで、この場がもっと深いところまで沈んでしまうことを避けられる。
「……楽しみだね。どんな場所なんだろう」
「そ、そうだよね。本当に楽しみだ」
彼の顔は楽しみだと言っていなかった。複雑な思いはシーナも同じだ。口先だけの「楽しみ」は、きっとお互いに理解していたのだろう。




