9 黄泉の客(一) ④
リリアはハッとした。シーナも同様に理解した。
すなわち、リリアに総合指揮官を降りてほしい人間がいて、その人物がメラニアに接触し、リリアに交渉を持ちかける。四年後にはカクリスが交渉の進捗状況を確認してくるだろう。そこで、もし進捗が芳しくなければ、一斉に攻撃を仕掛けてくるつもりだろう。もちろん、アールベストを攻撃したカクリスが他の地方から非難を浴びることは予定済みのはずだ。それを逃れるための口実が、今回の交渉ということだ。
もしリリアがこの交渉を放り投げ、ダランに戻っても何も話を動かさないとする。すると、四年後にカクリスが攻めてきたときに「リリアがしっかりと情報を共有しなかったから」などと主張するつもりなのだろう。そうすることで、あらかじめ知っていた情報に先手を打たなかったリリアが非難されることになり、総合指揮官を辞めることになるのは確実だ。
一方で、このタイミングでリリアがきっちりと情報を展開したとしても、アールベストの北部全域をリラに譲り渡そうという主張をすれば確実に人望は消失する。その場合であっても、やはり総合指揮官としても面子が立たないということだ。また、カクリスと戦うなんてことは、今のダランの生徒たちに高い戦闘能力がないことを考えると、負け戦も確定だ。もし四年後にある程度の戦闘力を身につけていても、カクリスと全面戦争するための教育などと世間に知られては、なかなか収集がつかなくなるだろう。
とすれば、リリアが総合指揮官であるためには、情報を展開しつつカクリスからの攻撃を防ぐようにするしかない。
しかし、それをどのように成し遂げるか。
「私は総合指揮官に留まりたいと思っていない。そのときが来れば、辞めることは最初から予定している」
「そのとき、が来たというわけよ」
「学長からは何も言われていない。私はまだ総合指揮官でいる必要がある。それに、総合指揮官を辞めたところで、私は何も困らない。偉そうに言えば、すでに財力も地位もある」
「あなたが総合指揮官を辞めたとして、次になるのは誰かしらね」
「反逆者が総合指揮官になる可能性がある、けど、その可能性を知ったからには、私は総合指揮官を辞めることができない」
「そういうこと」
シーナはぼんやりと頭の中で思考を繰り広げていた。
「リリアが次の総合指揮官を指名すればいいんじゃないの?」
「総合指揮官を指名するには、基本的に立候補者がいることが前提。やりたくない人間にやらせるわけにはいかないから。もちろん、前もって見込みのある誰かに根回ししておくことは普通にあるけど——」
リリアは唇を湿らせてから続けた。瞳は厳しくメラニアを捉えているが、額には汗が流れている。
「誰が裏切り者かわからない以上、安易に根回しもできない。私が信用している人間が裏切り者の可能性だってあるから」
「そういうこと」
メラニアはようやくシーナに目線を向けた。
「今、リリアは総合指揮官を降りたくても降りられない、それに、降りろと言われても降りにくい状態にいる。じゃあ、降りなければ今後どうなるかと言えば」
「あなたたちが攻めてきたときに吊し上げられる、最悪の場合はアールベストを窮地に陥れたとして刑罰が下る——反逆罪の場合は死刑があるし。どのように判断されるかは、そのときにならないとわからないけど……」
シーナは状況を理解した。誰かがリリアを総合指揮官から降ろしたい。それは生ぬるいものではなくて、欲を言えば殺したいと思っている可能性だってあるのかもしれない。
「死ねと言われたら死ぬわ。それぐらいの覚悟があって総合指揮官をしている。けど、裏切り者に殺されるのは受け入れ難い」
「さて、その裏切り者は一体誰なのでしょうか」
メラニアは笑いながら、背を向けて向こう側に歩いて行った。
シーナは改めて話を整理していた。
まず、誰かの目的について。誰かは、どういった理由によるものかは不明だが、リリアを総合指揮官から降ろそうとしている。
その方法は、今後カクリスがアールベストに攻めてくるという不確かな情報に対し、リリアがどのように対応するかを世間に知らしめることによる。要すれば、今総合指揮官としての面子を潰させるか、四年後に今日の事実を世間に広めるかだ。
前者の場合、四年後に十分備えることができればリリアの面子は保たれるし、そうでなければ総合指揮官を降ろされることは必須だ。後者の場合、総合指揮官を降りざるをえないことはもちろん、場合によっては反逆罪の一種だとみなされ死刑になる恐れもある。
しかし、実際はいずれを選択するにせよ、彼女が総合指揮官を辞めにくい状況に陥れることで、問題をあえて緩やかに肥大化させることにあるのだろう。
シーナは、ここで疑問を感じざるをえなかった。それでは、リリアを総合指揮官から降ろすのが今すぐではいけないのだろうかと。
考えてみれば、やり方が姑息だ。もしユキアが死んだことでリリアを誘き寄せたいなら、それなりに実力のある教師であれば、自らユキアを暗殺し、その場所にユキアが倒れているのを見たという目撃情報をダランに送るだけでよかったはずだ。それが、拒否されるリスクを負ってまで、メラニアに接触する必要はあったのだろうか。
そもそも、今回の件の目撃情報というのも怪しい。こんな場所に、一体誰が何の目的で来ており現場を目撃したというのだろうか。雑に言えば、こんなところにやってくる人間がいるとは到底思えなかったわけだ。
これが正しいならば、最初にこの一件を語り出した誰かが怪しいということになる。そして、殺害現場を遠目に目撃したわけではなく、メラニアと一緒にその場を設けた人物の可能性もある。
今のシーナに考えられるのは一つだった。
「リリア……。ダランの中に、カクリスの人はいる?」
その質問を聞いた途端、リリアの表情が固まった。少し遠ざかったメラニアには聞こえなかったようだ。
「ど、どうしてそう思うの……?」
これまで隠し通していた秘密が暴かれたかのような、そんな表情をしたリリアを、シーナは初めて見た。
「単なるダランの教員の一人が、カクリスの総合指揮官に近付いて、さらにここまで用意周到な作戦を遂行できるとは思えないから——」
シーナは言葉を切った。一息ついた直後、さらにリリアの表情が硬直することを見てからシーナは語り始めた。
「カクリスの人がダランにいるとしたら、ダランの人もカクリスにいるのかな」
「シーナ、そんなことわからないでしょう。まるで小説の中の話みたいで……」
「でも……」
シーナは唾を飲み込んで続けた。
「でも、もしダランにカクリスの人がいるなら、きっと先生たちが気付いているよね」
「そ、そうよ。絶対先生が気付いているから」
「ほとんどはダランの卒業生だしね」
リリアは数回頷いて黙った。二人の間に暫時の沈黙が流れた。
メラニアは二人の様子を知らず、二人から遠い位置を歩き回っていた。




