9 黄泉の客(一) ②
「……わかったわ」
リリアは大きなため息をついた。シーナは彼女の腕から手を離した。
天候は悪くない。見晴らしは十分だ。一方で、周囲の様子は先ほどから全く変わらない。
「そこまで読まれているなら、しらを切ることはできなさそうね」
「教えて」
二人は再び並んで歩き始めた。目的地は——特に定まっていない。
「ユキアよ」
「え……?」
シーナの頭の中でさまざまな考えが巡り巡ったが、結論は導き出されなかった。
「それは、つまり、……どうして?」
「ここでする仕事はなかったはず。だから、本当にダランに帰る途中とかだったと思われる」
「ごめん、全く理解できない。ユキア先生は、リリアのせいでいなくなったとか言ってたよね?」
「そう。私が、彼女の派遣を止めることができなかったから」
「派遣?」
シーナの頭の中は疑問でいっぱいだった。一方で、ここまで話してくれるということは、彼女はリリアからの格別の信頼を得ていたとも言えるだろう。
「どこへの派遣?」
「ハルセロナとアイアン島よ」
シーナはやはり首を傾げた。場所はわかるが、どうしてそこなのか。
「ハルセロナはエニンスル半島の東の玄関口でしょ? それに、アイアン島は、沿岸部は少しだけ観光地だったはずで、それ以外は特段大きな街もなかったはず。それなのにどうして?」
「……あなた、普段は大したことないのに、こういうときは頭が冴えてるのね」
リリアは小さく笑った。シーナは少しだけ膨れっ面になった。
「アイアン島には、重要な場所があるの。けど、アイアン島には滞在施設がないから、滞在先としてハルセロナに行くの」
「重要な施設?」
シーナはちらりとリリアの顔を見たが、彼女は真っ直ぐ先を見据えていた。
「そう。……それも、とても重要な」
「ダランの施設?」
「違う。もっと得体の知れないものよ」
そのとき、二人の間を強い風が吹き抜けていった。思わず二人はその風の向かった後方を振り返った。
目に入ったのは、地面に倒れた誰かだった。
「あれは……!」
シーナは駆け寄ろうとした。だが、彼女をリリアが制止した。
「どうして気が付かなかった? 誰かが、たった今、あそこに出現させたとした考えられない」
二人はしきりに周囲を見回した。しかし、彼女らの他はそこに倒れている人物のみだ。
「……誰もいない、か……」
リリアは倒れている人に駆け寄った。その後ろをシーナも追いかけた。
ユキア。ダラン総合魔法学校のローブを羽織り、その明るいブロンドの髪を見れば、二人にとってそれが彼女であると即座に認識するのは容易だった。
「リリア、どうしてユキア先生が……」
ローブやブラウスには大量の血が付着しており、腹から首にかけては深い切り傷が複数見られた。明らかに戦闘したことがわかる。死因は、魔法による何かではなく、ナイフや鋭利なもので切られたことによる外傷性ショック死か失血性ショック死だろう。
「ユキアがここまでされるなんて……」
ユキアの遺体のそばにしゃがみ込み、リリアがその身体をそっと撫でた。
「まだ綺麗な状態ということは、異空間に飛ばしてた可能性が高いわね……」
「ユキア先生……」
シーナは驚愕してまともに話すこともできていなかった。
立ったままのシーナに、リリアは顔を見ることなく言った。
「学校に連絡して。遺体の回収の依頼もお願い」
「リリアは?」
リリアは立ち上がると周囲を見回した。
「ユキアの遺体を出現させた人物は、きっとまだ近くにいる。警戒しておかないと、私たちも彼女と同じ運命になりかねない」
「……わかった」
シーナは両手で両耳を塞ぎ、学校へと連絡をとった。多くは広域監視で使われる特殊魔法であるが、習得が比較的容易なため、シーナもリリアに教えられ使えるようになっていた。なお、血液の消費はそれなりに激しく、あまり使いたくない魔法の一つでもあった。
「リリア、学校には伝えたよ。すぐ来てくれるって」
「ありがとう」
リリアは少し離れた場所を歩き回っていた。しかし、どこにも異変はなかったらしい。シーナ、ユキアのいる場所に戻ってきた。
「犯人は誰だと思う?」
「場所的に、カクリスの教師でしょうね」
「カクリスの生徒という可能性は?」
「それはないわ。さすがに、生徒にやられるほど弱くはない」
「なるほど……」
リリアは空間を生み出し、その空間からダランの校章が描かれた小さな旗を出現させた。
「そんなこともできるんだね」
「慣れたらできるわ。ポケットみたいなものよ」
リリアはこの現場にダランの旗を立てると、両手を合わせて数秒留まり、そして再びペール地方の方向に向かって歩みを進めた。
「ユキア先生は? ダランの遺体回収班を待たないの?」
「大丈夫よ。きっとあと数分もあれば来るだろうから。それに、敵はユキアの遺体をどうにかしたいわけじゃなくて、私たちに挑発しているのよ」
シーナは無言でリリアを追った。なんとなく、リリアの歩くスピードが速くなった気がしていた。心の焦りだろうか。
「ねえ、リリア。ユキア先生は派遣先で何をしていたの?」
「目の前のことに集中して」
リリアはまるで彼女を寄せ付けないように、突っぱねた態度だった。リリアがそのようであることを、シーナはこれまでで初めて見た。相当に穏やかではなかったのだろう。