9 黄泉の客(一) ①
ある日のこと、シーナはアールベスト地方から出て、プラル地方へとやってきていた。街の風景はアールベストとさほど変わらないが、大きく違うのは、マージがほとんどいないことだ。それゆえ、プラル地方には魔法学校がないが、ホール一般学校がアールベストから馬車で二時間ほどの場所にある。
しかし、シーナが来ていたのはホール一般学校ではない。アールベストとプラルの境にあるアイザック教会群遺跡を超えて、プラルからその東部に位置するペール地方のある方向に向かって馬車で三時間程度の場所だ。なお、実際には、すでにアープを使うことのできるシーナは、数秒でここまで辿り着いていた。
アイザック教会群遺跡の「アイザック」という名称は、その教会群のある旧市街地の名称である。旧魔法暦の時代、アールベスト地方の大都市グランヴィルからアールベストとプラルの境界の街アイザックを通り、プラルの市街地へ入っていくルートが交易の主流だった。時代が進むにつれ、次第にいくつもの境界の道路が整備され、人々は分散し、今となっては昔ほどの利用者はいない。
なお、「アイザック」というのは、「アーム教徒の」という意味もあるという。
シーナは十三歳になっており、高等部に入っていた。彼女の周りには新しい友人ができていたが、昼休みは約束したとおりフローラと過ごすことが多かった。多くの生徒や教師からそのことは認識されており、二人の関係は公知の事実となっていた。
ただし、この日彼女がプラルにやってきていたのは、それらの友人たちと遊びに来ていたわけではない。横を歩いているのは、リリア・ボード総合指揮官だった。彼女は空間系魔術が専門だが、コントロール系魔術も難なく使うことができ、したがってアープも使えた。
「シーナ、この先でカクリスの教員がいたと情報があった。気を付けて」
「わかった。でも、こんな辺鄙なところにカクリスの人が来ているなんて、珍しいよね」
「そう。それに、それだけじゃない。目撃者の情報によると、戦闘していたとのこと。カクリスの教員が、プラルで戦闘する理由は何がある?」
「……単なる領土争い?」
シーナは首を傾げた。高等部に上がったシーナは、中等部のときよりもずっと凛々しくなっていた。魔法の扱いについては、やはり学年一で、こうして総合指揮官にも頼られる存在となっていた。また、しばらく不慣れだったナイフの扱いも、幾度の実習のおかげで教員並みになっていた。
なお、そのような彼女であっても、いわゆる座学については人並みと、それほど成績が良いわけではなかった。
「ではないわね。周囲を見ればわかるように、アールベストの北部のように土地がいいわけじゃない。ここの領土を奪ったとしても、何の恩恵も受けないわ」
「であれば、歴史的な事情?」
シーナの再度の答えに、リリアは首を横に振った。
「それもない。プラルとリラの間で戦闘になるような問題は過去に起きていない」
「じゃあ、なぜ?」
シーナは視線をリリアに送り、回答を求めた。が、
「だから謎なのよ」
「だから私たちが来たのか——」
ぼんやりと呟きながら、シーナは視線を前方に戻した。
アールベストの北部とは異なり、背丈の低い雑草だけが無秩序に広がっている。木は言うまでもなく、背の高い雑草でさえほとんどない。無論、民家などどこにも見えない。
「ねえ、リリア。その目撃者って、この辺に住んでいる人なの?」
「多分そうじゃないかな。そうじゃないと、こんなところにいないでしょう」
「どこに住んでいたんだろう。さっきからどこにも家なんて見当たらないけど」
「少しだけ離れたところなんじゃない?」
シーナはその場で一周見回した。そして、進行方向に向き直ると、突然リリアの腕を掴んで立ち止まった。
「待って、本当にその人は目撃者で合ってる? というか、その情報を信じてもいいのかな」
「シーナ、何を言いたいの?」
リリアはシーナの顔を見たが、すぐに状況を理解したようだった。
「まさか……」
「多分。これは誰かの狙いだったんじゃないかな。そもそも、誰から聞いた情報だったの?」
「私は教員からの定期報告でしか聞いていない。けど、もし本当に、実は私たちを誘き出すための罠だったら——」
シーナは再び一周見回した。そして、唇を濡らすと口を開いた。
「ちなみにだけど」
シーナはリリアを見ることなく、周囲を警戒したまま話した。
「今回の件で、リリアが出てくると予想できる人はいる?」
「……内部を疑っているのね」
「仕方がないよ。外部の人間が、この件でリリアが出てくると予想できるとは思えないから。きっと他の普通の教師が出てくると思うだろうね」
「あなたの言うことは筋が通っている」
リリアも目を鋭くして周囲を見回した。
「けど、残念ながら、ほとんどの教師は、私がくると予想できたはず。アールベストから離れる場合は、調査は私がすることがほとんどだから」
「大変だね」
「仕方がないの。アールベストから出るということは、基本的に重大な問題が多いから。他の地方の小さな事件に関与していられるほど、ダランの規模は大きくないのよ。だから、総合指揮官と、他一名で行くことが多い」
「それは理解する。とすれば、どうして今回は重大な問題だと?」
「……戦闘に関与したのが、ダランの人ではないかと報告があったからよ」
シーナは咄嗟にリリアの横顔を見た。しきりに周囲を見回しておりシーナの方を見ないその横顔には、シーナには見えない風景が見えているのだろうと理解した。
「心当たりがあるの?」
「……いや、ないわ」
彼女の答えに、シーナは少々疑問を感じていた。
「……私に何か隠している?」
「そんなことはない」
リリアは歩き出そうとした。しかし、シーナは彼女の腕を掴んで制止した。
「嘘」
「本当よ」
「嘘だ」
「嘘だと言える確信があるの?」
「ダランの人があちこちに散らばっているはずがない。ここにダランの誰かがいたのであれば、きっと特定できるぐらい選択肢は少ないと思う」




