8 知らなかった現実 ④
昼休みになり、シーナは一人寂しく食堂へと向かっていた。ルアがいるときは二人でビュッフェボードに程近い席に座っていたが、いなくなってからは入り口から一番遠い、奥の薄暗い席を使うようになった。入り口に近い方が混みやすく、奥の方は人が少ないため、彼女にとって多少居心地が良かったのだ。
しかし、居心地の良さは、突然に壊されるものである。
「シーナじゃん。久しぶりだな」
唐突に声をかけてきた人物。一瞬誰だか認識するのが遅れてしまったが、初等部の頃にシーナをいじめていた二つ年上の男、アブラハム・ハーンだった。彼とは実際には二学年離れており、中等部に上がってから出会うことはなかったが、ここに来てあまりにも偶然だった。
「…………」
無視を決め込み座って食べているシーナの前に、アブラハム、そして、彼の友人と見られる男二名が立ちはだかった。この上なく最悪な時間だった。
「元気だったか? あ?」
「…………」
「あ? なんとか言えよ、このチビが」
「…………」
「聞いてんのか!」
早くも鬱憤が溜まったのか、短気極まりないアブラハムはテーブルを拳で叩いた。食器の振動する音が周囲に響いた。近くにいた生徒たちが一斉に振り向く。
「俺のこと無視するってのか? 痛い目見るぞ」
「やめとけよ。彼女は魔法の扱いでは学校一だ」
誰かが言った。しかし、アブラハムはまるで聞き入れようとしない。
シーナは掻きこむように昼食を食べ終え、スッと立ち上がった。そして、アブラハムには目もやらずにトレーを返却台へと戻しにいった。
「おい、待てよ! せっかく俺から話しかけてやったのに、無視してると痛い目みるぞ!」
アブラハムはうるさい足音で歩み寄ってきたが、シーナは振り返ることもなく足早に食堂を出た。
「シーナ、シーナ」
誰よ、と振り返ったが、彼女を追ってきていたのはジェイクだった。グレアの姿はない。気が立っていて、声で彼だと認識できなかった。
「あ、ジェイク。どうしたの?」
「どうしたんだよ、さっきの奴。何かあったのか?」
「気にしないで。彼は以前からあんな感じなの。大したことのない人間だから」
「そうは言っても、随分と食ってかかってきていたじゃないか。信じられない」
「私も信じられないわ。けど、ああなの」
アブラハムが追ってきていないことを確認してから、二人は並んで廊下を進んだ。
「ところで、今日はグレアはいないの? いつも一緒だと思っていた、勝手に」
「今日は休みだ。グレアの故郷で何かあったらしい」
「また?」
詳しくジェイクに聞いてみたところ、グレアの故郷はアールベスト地方の北部でリラ地方に非常に近い村、エッペルゼらしい。オームが住民のほとんどを占める村らしいが、珍しくグレアはマージとして生まれたようだ。
エッペルゼに行ったことはないが、小さな村だという。確かに、授業か教科書かどこかで、アールベストで最小の村の一つであるなどと聞いた覚えがあった。元々は本当に小さな魔法学校があり、その周辺のいくつかの村からやってきた生徒たちがいたようだが、あまりにも規模が小さく、合併の話が常に飛び交っていた。そして、前ロマンス時代にはいよいよ学校の合併が本格化し、エッペルゼにある魔法学校も次か次かと騒がれることとなった。エッペルゼではオームが多くを占めることを鑑みると、カクリス側に吸収されることを嫌い、結果的にダラン側に吸収されることによりアールベストで平穏な時間を過ごしているということである。
エッペルゼについて学ぶことは、ダランとカクリスについて学ぶことと同義であった。すなわち、どちらに属するかで、その後の村の在り方が大きく変わることを示唆しているのであった。
「一体、カクリスは何をしているのかしら。というより、ダランも、もっと強く言うことはできないのかな。この前の一件以降、何をしたのかも知らされないし……」
シーナはため息をついた。
「何かがあるんだろうな。……ただ平和であってほしいだけで、何があるのか知りたいわけでもないが」
「そうね。私もただ平和を望むわ」
講義棟に戻った二人は、そのままの流れで、その後の授業を共に受けることとなった。
その日の夕方、少し早い時間だったからか、シーナが寮の食堂でただ一人夕食をとっていたところにフローラが現れた。彼もこれから夕食らしい。チキンのプレートを持ってきて、彼女の前に座った。
「食堂でアブラハムと口論になったって聞いたけど、大丈夫?」
「口論? それは誰かの勘違いね。私は一言も話していない」
「そっか。これからは一緒に昼食を食べる?」
それまで暗い表情をしていたシーナは、一転して目を輝かせた。
「本当? いいの? フローラに変な噂がまとわりつくかもしれないけど」
「噂を避けて生活するより、シーナといる方がずっと楽しいからね」
「なら、そうする!」
シーナは食べ終わったプレートを返却し、再びフローラの前に戻ってきた。それから夜まで談笑し、いろいろな感情と共に真っ暗な自室で深い眠りについた。
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