9 俺の愛車ですね
──しばし、のち
僅かな衝撃。そして酩酊感。
そして俺の足が、硬い地面をとらえる。
「う──ん? 一体どうなったんだ?」
一つ頭を振ると、次第に思考がクリアになっていく。
周囲を見回し……
「ここは──?」
気がつけば、周囲の情景は一変していた。
石畳の床。石造りの壁と天井。薄暗く──湿気の多い室内。
壁際には、本棚。そして、何やら怪しげな器具が並んだ棚もある。
おそらくは地下の一室であろうか?
中庭とは言え室外であった先刻とは大違いである。
う〜む。信じがたいが、おそらく瞬間移動でもしたのであろう。あの屋敷から──どこともしれぬこの場所まで。
最も、俺自身が日本からこの世界へと転移してきているのだ。信じるも信じないもない訳だがな。
『ここも私の研究室の一つさ。申し訳ないが、しばらくここで過ごしてもらいたい』
「──わかりました」
レジューナの言。
そう言われたら仕方あるまい。──とはいえここで眠れるのだろうか?
『とりあえず、君たちの部屋に案内しよう。少し暗くて湿っぽいが、我慢してくれるとありがたい』
「了解です」
そしてレジューナは歩き出した。
なるほど。他に部屋があるのか。
俺たちは彼に従い歩き出した。
──しばしのち
研究室を出ると、そこは廊下であった。
それは緩やかにカーブしており、その両側には、幾つかの扉。
やはり薄暗く、湿った地下の道だ。一応、魔導石を使ったと思しき灯火はあるものの、光量は足りていない。何とも言えない閉塞感がある。
まるで3Dゲームのダンジョンを思わせるな。
しかし、客人の身分だ。贅沢は言えん。
その廊下をしばらく歩く。
『そうだな。見せておきたいモノがある』
そう言うと、レジューナは一つの扉の前で立ち止まった。
「と──言うと?」
『これさ』
「──!」
レジューナが開いた扉の先。
そこにあったのは、赤と銀色の金属の塊。
だが、その一部──おそらくは前面──に見覚えがあった。
「コイツは……」
『君とともに転移してきたもう一つの“蜘蛛”さ』
(……ん? “蜘蛛”? ああ、そうか!)
「俺の愛車ですね」
親父の形見だ。コイツもこっちに転移していたのか。
フロントからキャビンあたりは、ふたまわりほど小さくなったもののそれなりに面影を留めている。だが、その下部……ホイール周りは見る影もない。
そこには、4対8本の長い足が生えていたのだ。
『う……む? “車”? こんな姿ではなかったのか?』
「確かに“スパイダー”ですけどね。その形が地を這う“蜘蛛”に似ているからそう名付けられたようです」
『な……る、ほど。そうか』
レジューナは少し困惑したように俺の車を見た。
『ふむ……上手く“復元”出来なかったのはそのせいか。蜘蛛の“因子”がこちらにも残留していたかもしれんな。まぁ、よかろう』
何やら口中でブツブツ言っている。
おそらく、リアにある『spider』のエンブレムからそう読み取ったのかもしれない。
……とはいえこうなってしまうほど車は原型とどめていなかったのだろうか?
いや、俺もか。アンダーソン君と“混ざって”しまうほどに……
スマホやらノートPCやらもあったはずだけど、この有様ではな。まぁ、落雷した時点で駄目になっているか。
その当時の状態は想像したくないな。もしかしたら有機物も無機物もグチャグチャに混ざって黒焦げに……。おそらく俺の顔も、若返った訳ではなく再生された結果なのだろう。つまり……
…………よそう。
一つ頭を振り、嫌な考えを止める。
と、その部屋の隅に、石像のようなモノがあることに気がついた。
角のある頭部。そして背中には翼。長い尾。どことなくドラゴンを彷彿とさせるが、体型はゴリラのようだ。上背は170cm程だが翼のせいでもっと大きく見える。
ゲームで見たことあるな。ガーゴイルだっけ?
まぁ、アレがそうかは分からんけれど。
「彫刻とかもやられるんですか?」
試しにそう問うてみる。
『え? あ、ああ……試しに造ってみたんだ』
少しぎこちない仕草でレジューナは振り返る。
「すごい迫力ですね。今にも動き出しそうです』
『ン? ああ、そうか……。おっと、それよりも、だ。君たちを部屋に案内せねばな』
強引に話を打ち切り、ドアを閉じるレジューナ。そして、俺たちは廊下を再び歩き始めた。
……ドアを閉じる直前、“スパイダー”の奥に台が見えた。その上には、布をかけられたもう一体のガーゴイルっぽい“何か”が横たわっているようだった。それも、かなり大きい。おそらくは2m……いや、下手すれば3mサイズか。しかし、布の下から覗いていていた腕はどことなく先のガーゴイルと違い、何か“生”っぽかったような……? いや、気のせいかもしれないが。
そして、そこから少し歩いたところにあるドアの前で、レジューナは足を止めた。
『ここが君たちの部屋だ。地下で済まないが、しばらくは我慢してくれ』
彼が開いたドアの先は、小さな部屋であった。
ベッドと机、小さなチェスト。
当然、窓はない。
「いえ、わざわざありがとうございます。部屋を用意していただけるだけでもありがたい」
……まぁ、こういう部屋ではあるよな。
『そうか。では。後ほど世話役が来るので、そちらに分からないことがあったら聞いてくれ』
「わかりました」
そうして彼は去っていった。
にしても『世話役』、か。ベルガント邸にいたあの大男だろうか?
そういえば、今日は見なかったな。やはり昨晩の件で怪我でもしていたのだろうか?
ああ──思い出した。階段の下から見上げた、あの顔。
顔に幾つもの傷跡が走っていたな。まるで──手術で縫い合わせた様に。
そのせいで仮面をつけて生活しているのだろうか?
では──レジューナは?
彼も顔に大きな傷を負っているのだろうか?
────。
いや、今俺が考えても仕方がないな。
とりあえず、ベッドに横になる。
本もスマホもないので、やることがない。仕方がないのでまた糸を出す練習でも始めるか。
とりあえず、1m弱ほど。
滞りなく、均一な糸を出す。
最初は妙に太さが不安定だったりヨレたりして使い物にはならなそうだった糸も、練習の結果安定して出せる様になった。
糸を軽く撚り合わせ、頑丈な糸に。さらに撚り合わせて細紐にする。引っ張っても簡単にちぎれそうもない。
上手くいけば布なんかも作れそうだな。
とはいえ布は少々難易度高そうだ。手芸でもやっていれば何か作れるかもしれんが、生憎そんなスキルはない。
ああ──そうだ。レジューナが言っていた世話役とやらに聞いて、ハサミとか針を貸してもらおうか。
──などと考えていると、ドアをノックする音が響いた。