50 この納屋の中には──
「とりあえず、何とかなった──か」
眼前に頽れた大蜘蛛を眺めつつ、立ち上がる。
『しろー、大丈夫か?』
「ああ──何とかね」
おっと──そういえば
「とりあえず、そっちの二人は大丈夫か?」
リドヴォーンが出てきたあたりで催眠か洗脳が解けたのか、昏倒してしまったが。
『息はあるな』
『この子も大丈夫そうです』
ふむ。問題なさげか。なら──
近くに倒れているヴェーラの顔を覗き込む。
『う……ア……』
微かな呻き声。
──ふむ。息はしている。脅迫はハッタリで死体を操っている可能性も考えたが、とりあえずは一安心──いや待て。これ、このまま目覚めさせるのもマズいか。ヤツに洗脳されていた訳だしな。何より、おそらくヤツにやらされていた“行為”を覚えている可能性もある。
空いているベッドに寝かせ、更にリゼットに“誘眠”をかけてもらう。
とりあえず、他の二人から先に話を聞いた方が良さそうだ。
「起きてください。大丈夫ですか?」
まずはイツァクを揺り起こす。
『え……あっ、私は、何を?』
当惑したように、周囲を見回している。
しかし、次第に状況を理解したのか、顔が青ざめていく。
『私は……私は何ということを……。申し訳ありません! 何と詫びれば良いのか……』
やはり覚えていたか。
「操られていたがゆえの行動でしょう? それなら仕方ないですよ。それより──何故こんなことになったんです?」
『ええ、それは……あるとき一人の旅人を泊めたのですが……翌朝、その旅人はいなくなっており……妻の様子が変わってしまいました。そして、私たちに呪いのような力を使ったのです。それからというもの、私と娘は妻の思うがままに操られてしまいました』
──なるほど。
「そいつがもしかしてリドヴォーンだったのか?」
『リド……ヴォーン?』
思わず呟いたその言葉に、イツァクが首を捻る。
「そこの大蜘蛛です。それがあなたの奥さんを操っていたようです」
『蜘蛛……? うわっ⁉︎』
床上に倒れ伏す大蜘蛛の死骸を見、イツァクは驚愕の声を上げた。
ふむ。イツァクはコイツを見たことがないのか。
「大丈夫、我々が倒いました。もう操られることはないので安心してください」
『そう……でしたか。ありがとうございます』
そしてイツァクは深々と頭を下げた。
『そういえば……娘と、妻は?』
「ああ、そちらに寝かせてはいます」
背後を示す。
ベッドに寝かせたヴェーラと、リゼットに抱えられているトゥレの姿があった。
『おお……。罰を受けるのならば、私が受けましょう。妻や娘は、どうか……』
「あ、いや、操られていた訳ならば、そんな必要はないんじゃないんですかね? そもそも、何をやらされていたんです?」
想像出来なくはないが、な。
『はい……。私と娘は妻の命令で、通りがかる旅人を呼び止めて家に泊めていました。そして翌朝、その旅人はいなくなっておりました。おそらくは、妻が……』
「なるほど。とはいえ実際にはあの大蜘蛛に喰われていたのかもしれない」
『あの大蜘蛛に、ですか……』
ほっとしたような顔。
まぁ、嫁が旅人を殺して……とかいう状況は地獄でしかないからな。
そう納得してもらったところで、
「娘さんも起こして良いですかね」
『え……えぇ……』
「では……」
覚醒した直後、
『えっ……』
絶句。そして、
『あっ、あのっ、私……私……』
泣き出すトゥレ。
まぁ、そりゃそうか。
『トゥレ……すまない。私が不甲斐ないばかりに……』
彼女を抱きしめる父。
とりあえず、イツァクに任せた方が良いだろう。
で、問題のヴェーラだが──そうだな。
「リゼット、また“誘眠”みたいな呪文をすぐにかけられるようにしておいてくれ。あと出来れば、心を落ち着かせるような呪文も」
『はい』
とはいえ──カウンセリングなんてやったことないんだよな。
が、放置するわけにもいくまい。自分が落ち込んでいた時のことを思い出しつつ、何とかするしかないか。
──自分もダメージくらいそうだが。
「起きてください」
そう揺り起こし……。
『……? 私、は……』
「大丈夫ですか? 気分は──」
そう問うた直後、
『ああーっ! 私はッ! 私は……』
跳ね起き、頭を掻き毟る。
これはマズい!
「リゼット! 落ち着かせてやってくれ!」
『はい! ……“鎮静”!』
暖かな光がヴェーラの身体を包み込む。
『えっ……あぁ……』
「落ち着きましたか?」
『ええ……取り乱して申し訳ありません』
どうやら上手く効いてくれたようだ。
「あなたはヤツに操られていた時の記憶はありますか?」
『操られていた』を強調し、そう尋ねる。
『はい……あの日、旅人の目を見た私は……まるで魅入られたのかのように思考を奪われてしまいました』
「なるほど。つまり洗脳をされて、操られた、と」
『はい。そしてまず最初に、私は夫と娘に催眠呪文をかけ、操りました。通りすがる旅人をこの家に泊めるように、と』
「ふむ……」
やはり、か。
『そして、泊まった旅人に催眠呪文を使い、納屋へと誘いました。おそらく、その旅人は納屋の中で……ああっ!』
そこまで言うと、彼女は突っ伏して泣き出した。
ふむ。大体の状況は分かった。
後は……
「納屋を確認するしかない、か」
──外
リゼットにヴェーラとトゥレを眠らせてもらったのち、俺は納屋へと向かった。
正直、気が重い。
おそらく、この納屋の中には──
「獲物を捌く光景は見慣れてはいるんだよな。けど──」
意を決して扉を開く。
微かに開いた隙間。
そしてそこから漂う鼻つく臭い。
「うぐッ! ──やっぱりかよ!」
この予想は外れていて欲しかった。
けど、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
“幻光”の呪文により光の灯った棒切れを、意を決して近づける。
そして中の様子が明らかになっていき……
「──ッ!」
白い棒状の何か。そして──赤と白の塊。
イノシシか何か──と、思いたいが。
しかし、明らかにヒトと思しき頭部が転がっているのが見えた。
「! こいつは──やはり」
慌てて扉を閉めた。
「うぐっ!」
喉にこみ上げてくるもの。
「うぐっ、げぇっ……」
吐いてしまった。
流石に同族があんな姿になっているのは堪えるな。
『どうしました?』
リゼットが玄関から顔をのぞかせる。
「君は来るな! こいつはマズい!」
彼女は遠ざけねば。こんな醜悪な有様など……。
にしても、どうしたものか。アレの処理やら何やら……
流石に素人の手には負えない。だが、乗り掛かった船ではある。
何にせよ、夜明けを待とう。
俺はそう思い、母屋へと戻った。




