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44 今は前を向こう

──ここではない、どこか

 おそらくは、どこかの建物の一室。


『ん……う……』


 微かな呻き声。

 ベッドの上に、横たわる少女。十代半ば……いや、前半ぐらいか。

 熱に浮かされた顔。おそらくは、死に至る病に冒されているのだろう。

 その顔には、どことなく見覚えが……ああ、そうだ。あれは、リゼット。いくらか幼い姿だが、……あれは生前のリゼットか! つまりここは、あの砦……彼女の言うところのボゾン砦なのか。

 と、


『先生……娘は助かりますか?』


 ベッド脇にいた女性の声。

 リゼットと似た容姿の成年女性。おそらく彼女の母親か。


『……容易ではなさそうです』


 その、“先生”の声。

 ……!

 フード付きのローブ。そして顔には仮面。

 見覚えのあるこの姿……ッ! レジューナ……!

 いや待て。リゼットが亡くなったのは数百年前。同一人物かどうかは分からない。

 もしかして、同じ一族なのか、それとも……


『レジューナ様、何とか娘を助けていただけませんか⁉︎』


 ……! やはりヤツなのか?

 いや待て。同族間で、同じ名前を襲名している可能性もあるか。歌舞伎役者とかでもあるしな。

 ……この世界でこういう習慣があるのかは分からんが。


『とりあえず、これを』


 レジューナと言われた人物は、懐から小さな瓶を取り出す。そして、それを彼女の口に近づけた。

 そして、その中身を彼女の口に……

 いや待て。そのゲル状の物質は、まさか⁉︎

 あの塔の地下で見た“スライム”。それに似ている。

 いや……もっとも、だ。この世界にいるであろう他のスライムを見たことがないので何ともいえんが。

 とはいえアンダーソン君の抜け殻を使ってリゼットは肉体を取り戻した訳だ。

 彼女は『何となく出来そうだったから』と言っていたが、やはりあれが……?

 いや、今は何とも言えんか。



 そして、あの日を境にリゼットの生気は急速に衰えていった。月日は無情に過ぎていき、やがて……


『あ……ぁ』

「!」


 リゼットは助けを求めるように“手”を挙げた。

 しかしその“手”は誰も見えていないように無視されている。

 彼女の目が、助けを求めるように“俺”を見……

 ならば、だ。

 慌ててその手を握った。


『……ありがとう』


 そう、彼女が呟いた気がした。

 その直後、“レジューナ”は彼女の死を告げた。



──朝

「ン……う」


 眩しさに、目が覚める。

 朝、か。

 優しい朝の光がトンネル内にまで差し込んできている。


「よっ……っと。うん……」


 身を起こし、一つ伸びをする。そして、深呼吸。

 ああ、気持ちのいい朝だ。希望の、朝……であればいいが。


『おっ……おはよう、ございます』


 隣からの声。


「ん? ああ、おはよ……う」


 リゼット、か。

 む……う。

 昨晩の事を思い出し、思わず視線を逸らす。


『えっと、あの……』


 彼女もまた赤面して俯いている。

 こういう事なんて何年ぶりだろうか? かえって新鮮ではある。

 裏を返せば、それだけの期間……いや、よそう。虚しいだけだ。

 ともかく、だ。とりあえず身支度をし、て……


『あっ、あの……』


 彼女は俺を見、目に浮かぶ涙を拭う。


「えっと……その」


 いやまさか、嫌だったのか?


『あ。いえ……少し悲しい夢を見たんです。私が死ぬときの夢を』

「なる、ほど」


 一安心。

 いや待て。そういえば、今朝見た夢は……


『私は、何も残さず死んでしまいました。けれど……夢の中では、最期の最後に、誰か……優しい人が手を取ってくれたんです。それだけで、私は救われた気がしました』

「そう、か」


 彼女の記憶を見たわけか。

 ……何にせよ、彼女がそう思ってくれたのなら、良いことだったのかもしれない。

 と、思った直後、

 あア゛ッ、痛い痛い! ちょっとやめてアンダーソン君!


『何か 何か──よく 分からないけど 何かかなり ムカツク』


 さっきまで隣でヘソ天──いや蜘蛛にヘソは無いか? ──していたアンダーソン君が俺の尻をかじっている件。


『ふふっ、ごめんなさいね。それはともかく、眠るってこんな気持ちの良いことだったんですね。身体の奥から力が漲ってくる感じです』

「──そうだね」


 そういえば──会社が倒産してからしばらく、まともに眠れなかったな。おかげでパフォーマンスもガタ落ちで、再就職もままならなかった。

 まぁ、開き直った結果、何とかなったけどさ……。


『まさに生きている、と言う感じですね。前は、何も生み出せない人生でした。でもこうして生き返ったからには、生前に出来なかったこと、色々やってみたいです。シロウさんとアンダーソン君に感謝ですね』

「──ははっ」

『お、おう』


 こうやって前向きになれるのは良いことなんだろうな。


「とりあえず、まずは腹ごしらえだ。朝食にしよう」



 昨晩と同じく、焼き魚で腹を満たす。まぁ、主食や野菜も欲しいところだが……致し方あるまい。

 さて──これからどうすべきか?

 少なくともここに留まっていたらレジューナに追いつかれる可能性もある。

 少なくとも、水路沿いは探すだろうな。

 と、なると──


「レジューナが追ってくる可能性もあるので、とりあえず移動した方が良いだろう」

『おう──そうだな』

『ええ……その方が良いですね』


 俺の言葉に二人はうなずいた。


「で、どちらに向かうのが良いと思う? まずはこの川沿いを移動した方が良いと思うが……」


 水や食料を得やすい利点もあるしな。しかし一方、街や村の近傍を通る可能性もあるか。


『そうだな。風下の方に向かった方が 良いかもな。それなら匂いを消せる』


 アンダーソン君の言。


「なるほど、そうだね。なら……」


 とりあえず、糸を流してみる。その結果……


「北、か……。それで良いかな?」

『北、ですか。となるとそちらにはエルズミス大神殿がありますね』


 と、リゼット。


「ふむ。エルズミス大神殿、か……」


 この大陸の中央に位置するという最大の都市。そこにこの世界の信仰の中心地である大神殿があるという。そして時折女神が降臨することもあると聞いた。

 アンダーソン君の“力”の源である女神アゼリア。彼女は運命を司る存在であるという……

 もしかして俺たちがこうして無事なのも天の采配……なのか? いや、違うかも知れんけどさ。

 まぁ、今は用はなさそうではある。

 とりあえず、そこの手前あたりで適当な隠れ家を見つけたいところだ。


「あと、移動手段だけど……とりあえず、空飛んで距離を稼ぎたいんだが……どうかな?」

『ああ、そうだな』

『空を飛ぶ……ですか? そんなことが出来るんですか?』


 リゼットは小首を傾げた。


「アンダーソン君は重力制御──え〜と、空中に浮かぶことが──出来る。そして糸を帆のようにして飛ぶんだ。ただし、行く先は風次第だ」

『あ〜、なるほど。そういえば、私も浮かぶだけなら出来ますね。糸は出せないけれど……』


 精霊時代ほどではないが、短時間だけなら彼女は浮遊できるらしい。

 ……まぁ現状、移動する際にはあまり役に立たないけどね。


「じゃあ、行こう」

『おう。乗れ』

『おじゃまします』


 そうして俺たちは、再び大空に舞い上がった。



 俺たちは川沿いに、北上を続ける。

 風任せのため、少々ルートから外れてしまう可能性が高いが、致し方ない。


『ああっ、こんな……世界はこんな風になってるんですね!』


 リゼットが驚声を上げる。

 城の外にすらほとんど出たことのない彼女にとって、この景色は相当新鮮なものなのであろう。


『山や川、森……空から眺めることができるなんて。この先……世界の果てはどうなっているんでしょうね?』

「いや、分からないよ。そもそも俺たちはこの世界に来たばかりだからな……」

『ああ、そうでしたね。ところで……シロウさんの世界も同じ様な感じなんですか?』

「いや……違う。俺たちの世界は、地球という世界。その名の通り、球面なんだ。しかしこの世界は平面の様だしね」

『! そう……なのですか? ちょっと信じられないです。球面の世界なんて……。球面ということは、その……反対側はどうなっているんでしょう? 下に落ちてしまうのでは?』


 やはりそう来るか……。しかしどう説明したものか?


「重力……何というか、その……物が落ちる先は、その球体の中央にあるんだ。つまり……その球体の中央が“下”なんだ」

『そう……なんですか?』

「ああ。だから、球面上のどこにいても世界から落ちることはないんだ」

『へぇ……世界の姿には色々あるのですね。シロウさんのいた世界も一度見てみたいものです』

「機会があれば良いけどね……」


 まぁ、俺も戻れる保証ないんだけどさ……。


『あっ……そう、ですよね』


 おっと、いかんいかん。湿っぽくなってしまうな。

 とりあえず今は前を向こう。


「リゼットも俺たちも、この世界のことをほとんど知らないわけだ。だから、しばらく旅してこの世界を知ろう。いつか、世界の果ても見てみたいしね」


 まぁ、平面である以上はどこかに“果て”はあるんだろう。

 ……もしかしてレトロなコンピュータRPGみたいに反対側にループするのかもしれないけれど……。


『そうですね! 楽しみです!』


 よしよし。リゼットは明るい笑顔が似合う。

 ……って、足を引っ掻くのはヤメテ、アンダーソン君!

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