43 夜は更けていく……
──夜半
川のせせらぎ。風の音。草木のざわめき。鳥の鳴き声。虫の声。
網の上で寝転がる俺の耳には様々な音が聞こえてくる。都心のアパートでは聞こえなかった音だ。
レジューナの監視下も逃れ、久々にゆっくり眠れそうな状況では、ある。
しかし、正直──なかなか寝付けない有様だ。
まぁ──日本にいた頃はまだ起きている時間、だという事もあるけれどもな。とはいえ、一番の問題は──だ……
『眠れませんか?』
リゼットの声。
俺のすぐ隣で寝転がっていた彼女が声をかけてくる。
「ああ──ちょっとね。環境が変わってしまうと、なかなか寝付けないんだよな。枕とかさ」
そう声を返し……
無論──幾らかは君が原因だ、とは言えないけどね。
半裸の若い女がすぐ隣で寝ているってのは少々刺激が強すぎる。──実際の年齢はともかくとして。寝る時まで、兵士の服を着るのはサイズが合わない。そしてごわつくので嫌だ、とのことなので、現状は胸と腰を言い訳程度に布を巻いて隠しているだけなのである。
まぁ──精霊だった頃はあのチュニックも身体の一部であり、何も着ていなかったも同然な訳だ。だから、服を着る感覚に慣れていないのかもしれん。ちなみに反対側で寝ているアンダーソン君はそもそも全裸の若い女な訳だけれど……
まぁ、こっちにはあんまりそういうのは感じないんだよね。この間までデかいハエトリグモだったし。
おっさんだから状況のアップグレードがなかなか出来ない。良いか悪いかは分からないけどね……。
まぁ……それはそうと、だ。
『私もです。今まで精霊だったせいで、“眠る”っていう感覚がなかなか思い出せなくて……。晩年はほとんど寝たっきりだったはずなんですけどね』
「なるほどな……」
彼女は若くして病死した、ということだったか。
気の毒に──とは思うけれども、当の本人が目の前にいる状況では何と言って良いか分からないんだよな。
『無論、こうやって外で寝泊りするのも初めてなんです。それで少しわくわくしてます』
「ああ、あんまり外に出たことはなかったんだね」
『はい。唯一砦を出たのは、リシュートの街へ行ったぐらいです。又従兄弟が家督相続する時だけですね。そのときも、体調を崩してしまってすぐに砦に戻る羽目になりましたし』
「──そうか」
彼女はリシュート領主の一族に連なる家の出であるらしい。
あの砦はリシュートの最終防衛ライン。文字通り最後の砦なのだ。故に、領主一族の中から城主を選んでいたのだろう。それが彼女の祖父と父、そして兄であった、と。
つまり彼女はある意味お姫様、か。
『ふふっ、そんな柄じゃないですよ。所詮は分家の娘ですし。シローさんはどの様な家の出なんです?』
「──ああ。俺の実家は農家だったんだ。まぁ、跡継ぎは兄貴で……俺は別の職に就いたんだけどね」
『へぇ……そうなんですね。ところでシロウさんは何をされていたんです?』
「ン? ああ……」
あ〜、俺は異世界人なんだよな。その辺をどう説明したものか。本来ならば秘密にすべきなんだろうが……彼女には素直に話しておいた方が良いな。
「俺は……いや、アンダーソン君もだけど、ここではない世界から来たんだ」
『! ここではない世界、ですか』
「……ああ」
そう話しはしたものの、どう説明したものかな?
とりあえず、概要程度は話してみる。
『ふ〜む。まぁ……たまにある話ですよね、そんなの』
「えっ」
『あの……アンダーソン君との会話から何となく、ですけど』
「Oh……」
そういえば、彼女の前でもいらんコト言ったっけか?
『あのっ、別に怖がったりとかはしてませんよ? 運命の軛から解き放ってくれたシロウさんにはずっとそばにいて欲しいのですし……』
「アッハイ」
思いの外湿度が高かった件。
よく考えたら水の精霊みたいなものだったか。彼女は。
『とりあえず、私が分かる程度の話でいいですよ。異世界の事情なんて全くわかりませんし』
「そうか……じゃあ」
まぁ……色々やってきてはいるが、一応のメインはネットワークエンジニアだったか。
けど……ネットワークエンジニアっていうのは何て言えばいいんだ?
うむ、とりあえず……
「通信、というか──遠距離で連絡出来るモノ。この世界だとどういうものに相当するかは分からないけれど……」
『魔導石を使って城同士で通信するものなら、私が生きていた頃にもありましたね。かなり高度な魔導師が携わっていたと記憶していますが……』
これはレジューナから聞いたことがある。
国家の主要都市間では、そういった通信システムがある、と。
とはいえ、日本とは普及率が違うよな。
「いや、そこまで高度……というか、貴重なシステムではないよ。魔力ではなく電力……“雷”の力を使うものだしね」
『そうなんですか。ちょっと想像できないです……』
まぁ、おそらくこちらの世界にない技術だしね。正直、説明に苦労するな。
……あれ? そういえば、こっちに来てから俺自身の経歴について詳しく話したのは彼女が初めてか。
よく考えたらレジューナのヤツ、俺自身には全く興味を示していなかったんだな。もっと早く気づくべきだったか。
「……とはいえ色々あって、身体を壊したりしてその仕事はやめたんだよね。で、運送関係とか建築関係、小売とか色々やってたな……」
『異世界でも大変なんですね……』
同情の声。
……まぁ、どの世界にいようが辛い現実と戦わねばならない訳だな。
「まぁ、ね。今思えば他にやりようもあったのかもしれないけど……。結局、実家に帰って一からやり直そうとしてたんだ。で、どういう因果かその途中に落雷に遭い、気がつけばこの世界に転移していたって訳さ」
『そう……なんですか。実家……というと、ご家族は健在なんですか?』
「親父は十年ほど前に亡くなって、今は兄が家業を継いでる。実家にいるのは、祖母と母、兄と兄嫁、甥っ子たち、か」
祖母は足腰も弱ってそろそろ介護が必要かもしれん。甥っ子たちはもうかなり大きくなっただろうな……。
『そう……でしたか。そういえば、私の、家族は……』
そこでリゼットは絶句した。
そうだろう。はるか昔に彼女の直接の親族は亡くなっているはずだ。無論、現リシュート領主をはじめとした遠縁の血族はいるのだろうが。
『あ……あれ? 何、で……』
突如震える声。溢れる涙。
「──どうした?」
『あ……あの……私の両親も、兄弟も、親しかった人たちも……もうみんないなくなってしまいました。はるか昔に。でも、何故……』
彼女は顔を覆い、肩を震わせた。
『私はそれを見ていました……。確かに“悲しい”という感情はありました。でも、何故か泣いたりはしなかったのです』
「リゼット……」
とりあえず、彼女をそっと抱きしめる。
彼女は抵抗することなく俺の胸に顔を埋めた。
髪の匂いが俺の鼻をくすぐる。そして、柔らかく、しなやかな身体の感触。
『私はそんなに非情な女だったのでしょうか? 親しい人たちが皆旅立っても、涙一つ流さない……』
「いや──違うだろう? リゼット、今君は泣いでるじゃないか。精霊だった時と肉体を得た今では、心のあり様が違うかもしれないだろう?」
『そう……でしょうか?』
「俺が思うには……だけどさ。もしかして、感情の源泉は肉体にあるじゃないのかな? だから肉体を得た今、今まで溜まっていた“悲しみ”の感情が押し寄せてきたんだろう」
──多分、だけどね。
『ありがとうございます。少し、心が軽くなったような気がします』
「それなら良かった」
彼女はいくらか落ち着いた様だ。
「もういいかい?」
『あっ……その……』
「……ん?」
頬を赤らめ、彼女は視線を逸らした。
「あっ……すまない!」
慌てて身体を離す。
マズい! 俺の下半身が……ね。
「いや、申し訳ない。これは、その……」
『ふふっ……良いんですよ。殿方ってそういうものでしょう?』
「う……む。年甲斐もなく、申し訳ない」
『いいんですよ。もし、よろしければ私と……。そういうのに興味がないわけでもないですし』
「えっ……こんなおっさんでも?」
『あの、それなら……私の方がずっと年上ですけど。私、ものすごいお婆ちゃんになっちゃいますし』
そういえばそうだった。
まぁ、いいか。
「そうだね。それじゃ……」
そうして、夜は更けていく……。




