39 うん。君は君のままでいいよ
ヒトを模した身体が崩れ落ち、ただの水塊と化して床上に散乱したリゼット。
ッ! ──まさか⁉︎
「えっ──おい、そんなっ! 大丈夫か⁉︎」
彼女であった水溜りに駆け寄り、声をかける。
もしかして──彼女自身が“消えて”しまったのか?
『リゼット……答えてくれ、頼む!」
『そんな……“治癒”? それとも──どうしたら いい?』
アンダーソン君も当惑している。
「そんな──リゼット……恩返しも出来ないのか」
アンダーソン君も俺も助かったのは彼女のおかげだ。彼女の依頼でガルナガレスと戦う羽目になったのは確かだが、それはそれ、これはこれだ。
俺たちは“彼女だったもの”のそばに頽れ、悲嘆に暮れた。
──と、
『あの〜』
と、そこに呑気な声が響いた。
「──へ?」
『何──で?』
背後から聞こえた聞き覚えのあるその“声”。リゼットのものだ。
『あ〜、すいません。“力”を使いすぎたせいで少し立ちくらみが……。ところでお二方、どうかされたんですか?』
「──────おう」
『……心配して──損した』
そちらを見ると、半透明状態のリゼットが小首を傾げてこちらを見ている。
う……む。早合点であったか。
というか、精霊って立ちくらみをするモノなのか? まぁ……いいか。
「いや──すまんね。少しばかり、な。俺もアンダーソン君も助かったよ。ありがとう」
『くふふッ……そうでしょう、そうでしょうね!』
何やら鼻高々である。
「──おう」
『さすがシローさん、礼儀正しいお方です。あの脳筋バカとは違いますね!』
「えっ──ああ」
脳筋バカ──がまた出てきたか。リシュートの指揮官か何かか? よく分からんが、聞くのはやめておこう。色々絡まれて面倒くさいことになりそうだ。
『ああ、そうだ。“これ”、もらいますね?』
「──ン?」
“これ”って……
彼女が指し示すのはアンダーソン君の抜け殻か。
アンダーソン君が良ければ、別に俺は構わないけどな。しかし、一体どういう……
『う……ん。いいけどさ でも、どうして?』
『ありがとうございます! では……』
彼女はアンダーソン君の抜け殻へと向かった。そして、その姿が崩れ……霧となって抜け殻へと吸い込まれていく。
次いで、汲んできた桶から水が噴き上がり、これまた抜け殻へと向かった。
と、アンダーソン君の抜け殻が変化し始めた。次第に色と形を失い、汲んできた水と同化していく。
何故……って、もしかしてあの皮はスライムによる産物だったのか? 確かに今のアンダーソン君の身体にはスライム成分が少なからずある訳だが……
多分皮を分離し、その中で損傷した身体を再構築したんだろう。……多分。
と、アンダーソン君の皮だったモノは、ゆっくりと“立ち上がっ”た。そして、またその姿を変えていく。一度無色となった後に肌色や黒……といった色がついていく。
そしてその姿は、均整の取れた体躯の若い女の姿となった。
青みがかった長い黒髪。卵形の、整った顔立ち。健康的な色の肌……。
しかしその姿には、見覚えがある。
「リゼット⁉︎」
『はい。久々の“肉体”です。……こんな感じだったんですね。忘れてましたよ』
彼女は微笑みつつ、そっと両の腕を握り合わせた。そして俺に歩み寄る。
あれが生前の姿なのか? いやそれよりも、だ。
「あの……何か着るものを……。目のやり場に困る」
裸体のままなのだ。半透明状態の時に着ていたチュニックとかでも着て欲しいんだがな。
まぁそれも、身体の一部を変化させたものなら“裸体”のままではあるんだがな。それでもいくらかはマシだけどさ……。
『くふふっ、それならシローさんの糸で何か作っていただけます?』
「えっ、あ──ああ。努力しよう」
お……おう。どうにか、なるだろうか……? ──って、
『嬉しい! ありがとうございます!』
「うわ⁉︎」
俺の腕に彼女が抱きついた。
う……腕に柔らかくひんやりとした感触が……
う、む……この年になってうら若い女性にこんな風に抱きつかれるとか夢なのではなかろうか。
……いや、夢じゃないな。そう。間違いなく夢じゃない。
というか、痛い痛い痛いィッ! ちょっ、齧るのはやめてアンダーソン君!
『ヌググ──相変わらず しろーは メスに 弱いな』
反対側の腕に牙を立てつつアンダーソン君がぼやく。
つか……君もメスやろ。う──む。考えようによっては両手に花なんだがな……。
とはいえこんな両手に花は……つか、ヤメテ! 何か消化液注入されてない⁉︎
『くふふっ、大丈夫ですよ。私はシロー様の全部をいただくつもりはありません。当然、蜘蛛さん……いや、アンダーソン君でしたっけ……がシローさんの一番なのは心得てますよ?』
『んn゛⁉︎ いi いいや、別に おoオれは……』
いきなりキョドるアンダーソン君。
うん。君は君のままでいいよ。
つか、あんまり早くそっちに行かれても俺が当惑する。
まー、まだ子蜘蛛のアンダーソン君という認識からアップデートし切れてないしね。おっさんにとって早い展開はちょっと困る。
──いや、その前に、だ。
「とりあえず──疲れた。飯でも食って休憩しよう」
面倒くさいことは後回し。腹を満たすことが先決だ。
──しばし、のち
俺たちは兵舎から服やら調理器具やらを持ち出し、館に戻ってきた。
まずは、飯だ。腹が減ってはどうにもならん。
館の一階にある立派な竈門でサソリの脚を茹でる。
まぁ──二度目ではある。特に問題ないだろう。
味付けはまたしても岩塩だけだがな〜。
館にも岩塩があったおかげでしばらくは味付けにも困らないだろうが……それでもスパイスは欲しいところだ。
そういえばいつぞや、スパイスを通販で取り寄せたりして自分で調合し、カレーを作った思い出……。
確かに美味かったんだ。美味かったんだが……。アレ一食で幾ら掛かったんだっけか? 確か、ルーを買った場合の……
…………。
いッ──いや今考えるのはよそう。マジで虚しくなるだけだ。
それよりも……今必要なのは出汁だな。
大サソリの殻とかをじっくり煮込めばいい感じの出汁が出来そう?
まぁ──その辺はこれから研究せねばなな。
で、味は──と、
ふむ──。前より時間をかけた分、きちんと出汁も出てる。幾らか物足りないとはいえそれなりに良さげだな。とはいえコンブあたりは欲しいところだがな。
で、二人の感想は──と、
『美味しい……です』
「ああ──美味いな」
なかなか好評ではあるようだ。
よしよし。
とはいえアンダーソン君は煮込んだ料理をほとんど食べたことないし、リゼットは久々の食事だ。一応割り引いて考えておかんとね。
『ああ……“食べる”ということは、こんなに幸せだったのですね。ほんとうに、こんな感覚は久しぶりです……。最期のころはほとんどまともに食べることなんて出来ませんでしたし』
「そう──か。君は、ずっと──」
病気で寝たきりだった様だしな。ほぼ流動食しか食べていないんだろう。
『はい……。これが、生きているということなのですね』
「多分、ね」
食欲、睡眠欲、性欲……。肉体を失っていた彼女にとっては──久々に感じた三大欲なのだろうか?




