表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/44

お掃除とお買い物

 階段を上っている時に、ふと思った。

――もし、他の住人とすれ違いでもしたら、この状況は一体どう思われるのだろうか?

 しかし、これは杞憂というものだ。

 東京の一人暮らしというものは、ぶっちゃけ隣人との接点がまるでない。

 よしんばあったとしても、それは見て見ぬ振りをするというのが常なのである。

 大勢の人間が住んでいるというのに、実際の所は孤独な小さな点が無数にある。

 それが、この東京と言う町なのだと、上京してきて数年建ってから俺は気づいた。

 まぁだからと言って、なにがどうという訳でもない、いつしか俺もそれに慣れてしまい、当たり前の事のようになっていった。

 一人が当たり前、孤独が当たり前、当たり前ゆえに、孤独を孤独と感じる感覚がとても鈍感になってしまった。

 いいや、わざとそうさせる事によって、自分の感覚を麻痺させているのだ。

 しかし、今はこの孤独な住処に、二人で、予期せぬ人間と共に向かっている。

 まさに、人生とは予想のつかないドラマだ。

「一体全体、自分の部屋のドアの前で、何を物思いにふけっているの? そう言うポーズがカッコイイと思えるのは中学二年生までにしておいたほうがいいわよ」

 俺の感慨深い思いを一蹴してのけた鷺ノ宮は、早くドアを開けて部屋に入れるようにと急かした。

「わあったよ! てか、少しそこで待ってろ。軽くかたしてくるから!」

「わかっているわよ。見られて困るものが散乱しているんでしょ」

「ち、ちげぇよ! そんなわけねえだろ! た、ただ軽く掃除するだけだ!」

「ふーん」

 この表情、確実にこの女信用していない!

「そ、掃除するだけなんだからな! それ以外の理由なんて無いんだから! わかったか!」

「そう言うことにしておいてあげるから、さっさと掃除でもエロ本隠しでもしてくればいいわ」

「はい……」

 おかしい、何もかもがおかしい。俺は二十八歳の立派な大人であり、向こうはまだ高校生、確実に俺のほうが立場が上なはずであろうに、なんなんなのだこれは……。

 俺は鷺ノ宮のバッグを手にすごすごと部屋のドアを開け、懐かしき我がマイルームへと足を入れる。

 勿論、光速の如きスピードでドアを閉めることも忘れはしない。

――ふっ、このスピードで閉めれば、どれほどの動体視力の持ち主であろうとも、俺の部屋の内部を視認出来まい!

 そして俺は、部屋の中央に鷺ノ宮の糞でかいバッグを置くと、これまた分身するのではないかというスピードで、部屋をかたし始めた。

 勿論、エロ本などは隠したりはしない! そう隠したりはしない!

 何故ならば、今の世の中はパソコンの中に全てデータとして保存しておけるのだ!

 そう、俺のお宝はすべてパソコンの中に隠されている!

 ゆえに、俺はパソコンの電源をつけると、すぐさまエロファイルを絶対に見つけられないであろう場所に移動させた。

「ふぅ、これでよし!」

 そして、床を占領しているものを、何でもかんでも押入れに無理やりぶち込み終わると、始まるのがコロコロローラータイムだ!

 知っているか! あの毛の野郎は知らず知らずのうちに部屋のあらゆる所に落ちていやがる! それは確実に女性を不愉快にさせるアイテムだ! ならばどうする? そう、全身全霊を持って除去するのだ!

 俺はコロコロローラーを部屋の隅図までに走らせた。

 そうすると、わっさわっさと取れること、取れること、まさに大漁だ。

「しかし前から謎なんだが、こいつら一体全体何処から沸いてきやがるんだ……」

 確かに、一人暮らしの開放感ゆえに、夏場は全裸でいる事もしばしばではあるだが、それにしてもこの数は納得がいかない。

 ならば奴等は何処からやってくるのか?

まさか、宇宙から! そうか! 奴等は俺の毛に見せかけた宇宙からの侵略者だったに違いない!

 等と、俺が小学三年生でもしないような妄想にふけっていると、ドアを蹴り飛ばす音が響き渡った。

「一体いつまで待たせれば気がすむの?」

 それは、外で待ちぼうけを食らっている鷺ノ宮が、痺れを切らした声だった。

「お、おう! もうちょい! 後三分だけ待ってくれ!」

「嫌よ!」

 即答である。

 ドンという景気の良い音と共に、俺の部屋のドアは開け放たれた。

 そして、鷺ノ宮が目にする光景は、必死に畳にコロコロローラーをかける俺の姿……。

 ああ、鷺ノ宮は俺のこの姿を見てどう思ったのだろうか。

『うわぁ、綺麗好きな素敵な人ですね』

 等と思ってくれないことだけは確実だった。

 だって、それは目が語っている……。

『ここに惨めなゴミ虫が床に這いずり回っているわね』

 そう雄弁に語っていたからだ。

「すまない。ちょっと泣いてもいいか……」

「駄目よ!」

 これまた即答である。

「そうか……」

 俺は自分の情けなさに涙する事すら、許されない存在である事を知るのであった。


 


 閑話休題。

 そこには、なんとか掃除を終えたはいいが、精根尽き果てて生ける屍のようになっている俺の姿があった。

 一応、ここで俺の部屋の間取りを説明しておこう。

 俺の部屋は、六畳の畳部屋と、3畳のキッチン、そして古めかしい湯沸しタイプの風呂、んでもってトイレで構成させている。

 俺と鷺ノ宮は、六畳の畳の上に向かい合う形で腰を降ろしていた。

 鷺ノ宮は正座をしていた。

 そのピンとした背筋のはりが、育ちの良さをうかがわせた。

 こちらといえば、背中を丸めての胡坐あぐらをかいただらしない座りっぷりである。

 二人の間に言葉は無かった。

 そんな時、その静寂を打ち壊すべく俺の身体の一部が声を上げた。

ぐぅー

 そう、腹の虫の奴が鳴き出したのだ。

「ああ、そうだった! 俺は焼肉を食いそびれたのだった!」

 完全に今夜の焼肉に期待を抱いていた俺は、わざわざ朝から何も食べないでいたのだ。そう、全ては夜の焼肉を腹いっぱい食べるために! おごりの肉ならばいくらでも食べれる! 一週間分の栄養を一気に取ってやる! それくらいの意気込みで望んだのだというのに、結果は食べるどころか食べられそうになり、命からがら家にたどり着く、しかも、悪態小娘つきで……。

「くそぉ、なんか食い物買って来るべきだった……」

 俺は畳に拳を一つ叩き付けた。無論、一階の住人から文句を言われない程度のソフトな感じでだ。

「あら、和久の部屋にも一応冷蔵庫と呼べるものはあるじゃない。何かしら作ればいいのじゃないの?」

「ふっ、俺の生活を甘く見るなよ!」

 俺はすっくと立ち上がり、台所の隅に設置されている、小型冷蔵庫を開け放った。

 そこはまさに、無の世界だった。

 そう、この冷蔵庫は悲しいまでに何ひとつとして物を冷やしてはいなかったのだ。

 己の役目を全うする事無く、ただ電気代のみを食らう物体として、今この冷蔵庫は存在していた。

「和久の食生活を理解したわ。それならば、食材を買いに行けばいいだけじゃない。それともこんな時間ではお店も開いていないのかしら?」

「いいや、このすぐ近所に二十四時間営業のスーパーは存在する」

「ならば、そこに行ってそのかわいそうな冷蔵庫に食材を詰めてあげればいいじゃない」

「馬鹿やろう! 知っているか! 食材を買うためにはな、お金って奴が必要なんだよ!」

「何を当たり前な事を、大層な言い回しで言っているのかしら」

「そして、俺はな、貧乏なんだよ!」

「そんなこと、言わないでも一目でわかるわ」

 今更何を言っているの? 口だけでなく鷺ノ宮の目も語っていた。

「わかっちゃったかぁー。しかも、一目でわかられちゃったかー。へー俺ってそんなに貧乏に見えちゃってうるんだー」

 こんなに枕を涙で濡らしたいと思う夜があっただろうか! いや、無い!

「貧乏だからといって、ひがむ事は無いのよ。貧乏は罪ではないわ。変質者は罪ではあっても、貧乏は罪ではないわ」

「それって、フォローなのか? それとも、俺に追い討ちをかけているのか?」

「あら、和久の好きなように取ってもらえればいいと思うわよ」

 小憎たらしいこの女は、確実に俺の弱っている所にボディブローを叩き込んだに違いなかった。

「まぁいいや。俺がこんなに弱っているのも、腹が減っているからだ! この空腹さえ満たされれば、気持ちも挽回するに違いない。うむ、間違いない」

「そうね、荒んだ心も身体も人生も、きっと空腹のせいよ。そう思い込むことによって、辛い世の中を騙し騙し生きていくね」

「もう好きにしてください……」

 出会って、まだ数時間だというのに、俺は一回りは年下であろう女に、一生頭が上がらないのではないかと思うのだった……。




 完全に敗北者と化した俺と、チャンピオンベルトを腰に巻いた勝利者こと鷺ノ宮は、アパートを後にして近所のスーパーへと向かった。

 もう二十三時をまわろうというのに、スーパーにはまだそこそこの客が売り場を見て回っていた。

「全く、こんな夜遅くまでスーパーに来るってのは、どんな生活をしてるんだか……」

 俺は買い物カゴを片手にポツリと呟いた。

「きっと、和久よりは幾らかマシな生活をしていると思うわ」

 その横には、野菜売り場で野菜を物色しながらも、俺への悪態は忘れることのない鷺ノ宮がいた。

「ところで、一体何を作るの?」

 その鷺ノ宮の問いに、俺は0.3秒で答えた

「肉! 肉肉肉肉肉!」

 そうなのだ、俺の頭の中には、今朝から肉のことしかなかったのだ。それなのに、今更野菜なんざ食えるかってんだ! こちとら肉っ子でい!

「肉というのは、食材の名前であって、決して料理の名前ではないと、私は思うのだけれど……」

「五月蝿い! ともかく肉だ! 肉売り場に向かうぞ!」

 こればかりは、絶対に譲れない。

 その執念を察知したのか、それとも呆れ果てたのか、鷺ノ宮は文句を言う事無く、俺と共に生肉売り場へと向かった。

 そこには、まるで宝石の如く輝く国産牛肉が、まるでこの場の支配者の如く鎮座していた。

 俺の視線は引き込まれた。

――ああ、手招きしている、この国産百グラム五百円の肉が俺を魅了してはなさない……。

 しかし、悲しいかな俺の財布の中に存在するお金は、そのような高級食材を購入するに適した量がありはしなかった。

「くそっ、くそっ! 貧乏人は豚バラ肉を食えというのか! 百グラム百円以下の肉しか食えないというのか!」

 生肉売り場で両拳を握り締めて本気で悔しがる男がいたとすれば、それは十中八九俺であろう。というか俺だ。

 その時、俺の背中を突付く奴がいた。

 勿論、それは鷺ノ宮千歳さぎのみやちとせだ。

「これ、良かったら使いなさいよ」

 そう言って、鷺ノ宮は茶封筒を差し出した。

「なんだこれ?」

 俺は茶封筒を覗き込んでみた。そこには数十枚の紙切れが入っていた。

 俺はその紙切れを数枚取り出してみる。

 そして、俺はその紙に書かれている偉人の姿を目にするのだ!

 そう、それは紛れもなく福沢諭吉大先生様!

 別名、日本銀行券一万円札である!

「お、おい! こ、こ、こ、これは、これは一体!」

 俺の手が震えていた。一万円様を手にして震えていた。

 いや、俺だって大人だ! 二十八歳だ! 一万円を数十枚など持ったことくらいはある! それでも震えてしまうのが、この俺だ! 文句あるか!

「今日からお世話になるのだから、その生活費のようなものだと思ってくれればいいわ」

 鷺ノ宮はそう言って、俺がさっきから穴が開くほど眺めていた百グラム五百円の肉を手に取り、俺の持っている買い物カゴに無造作に放り込んだ。

――いけない! お肉様は、お牛肉様は、もっと丁重に扱わなくてはいけない!

いや、そう言う問題ではなかった。

「お前、このお金どうしたんだよ!」

 一瞬目の前が暗くなった。それは、お決まりのデコピンのよるものだった。

「いい加減に学習してもらいたいものなのだけれど……。そうしないと、そのうち和久のオデコに穴が開いてしまうかもしれないわよ」

「わぁったよ。鷺ノ宮、このお金は一体全体どうしたんですか?」

「養育費の一部よ」

「養育費?」

「そう、養育費。私の父は家を出て行ってしまったけれど、娘を育てるという権利は放棄してはいないわ。だから、そのお金なのよ」

「なるほど……」

 とりあえずの理解を俺はした。した……と思う。

 養育費、それは鷺ノ宮千歳の父親が、娘の生活を支える為に送られたものだ。そのお金で国産牛肉を買う。

 そして、俺は肉にありつく事が出来る。久々の牛肉にだ。

 俺にとって、それは喜ばしい事だ。何の問題もない。

 でも、鷺ノ宮の父親にとってはどうなんだろう?

 娘の為のお金が、見も知らぬ男の食料に消える。それは喜ばしい事なんだろうか?

 俺の頭の中で、天使と悪魔が戦いを始めた。

 戦いは熾烈しれつを極めたが、ようやく勝負はついた。

 勝者はどちらなのか?

 結果、どちらでもなかった。

 俺は買い物カゴに入れられた国産牛肉を売り場に戻し、その横の豚肉売り場から豚バラ肉を手に取ると、カゴの中に放り込んだ。

「どうして? 和久は牛肉が食べたいんじゃなかったの?」

「いいんだよ! 人様のお金で贅沢なんざできねぇんだよ!」

 そう、俺の出した結論は、背に腹は変えられないのでお金は使わせてはもらうが、決して贅沢はしないとうものだった。

「変なところで、律儀なのね……」

「わるかったな」

 

 

 そのあと、鷺ノ宮の希望で、絹ごし豆腐を購入。

「お豆腐は身体にいいのよ。それに、安いでしょ?」

 そう言う鷺ノ宮に、俺は何ら反論する必要もなかった。

 さらに、俺は貧乏人の強い味方であるモヤシを購入。

 そのあと、適当にお菓子などを放り込んだりしたのだが、鷺ノ宮との好みの差で幾らかの口論が起きたりもした。

「基本お菓子といえば、ポテトチップス系だろう!」

「いいえ、お菓子といえばチョコか和菓子と決まっているでしょ!」

 やはり、女というものは決まって甘いものが好きな人種であるという事を再認識させられた。

 結局の所、そうほうの好きな物を一品ずつ買うというところで合意を得た。


「しかし、あれだな……。こうやって、色々言い合って買い物をするなんていうのは、結構楽しいもんだな……」

 食材の買い物なんてのは、一人でするもんだった。だから、誰かの好みなんかを考える必要なんてなかったし、勿論喋りながらの買い物なんてするはずもなかった。

 まぁ一人で買い物しながらブツブツ言っている奴がいたら、ちょっとばかし危ない奴になってしまうのだろうけれども。

 それが今俺の横には、この小生意気な女子高生、鷺ノ宮千歳がいて、口論など死ながらも買い物をしている。

 おかしな話だ、俺とこいつは出会ったばかりなのに、どうしてこれほど会話をすることが出来ているのか?

 まぁ会話の内容の約九割五分が、俺に対する罵詈雑言であるのだけれども……。


 それは多分、特別な出会いだったからだろう。

 尋常ならざる出会い、そして出来事。

 それを共有したという事が、変な連帯感を生み出しているのかもしれない。

 




「そう言えば、俺は今も『死の運命』とやらに狙われているわけなのか……」

 スーパーで会計を済ませた帰り道に、俺は独り言のように呟いた。

 非日常的な出来事から、今ごく当たり前の日常である夕飯の買い物を終えた俺にとっては、それは最早遠い遠い地平の彼方の言葉にあるように思えた。

 そう思いたかったというのが正解だろう。

 目の前の現実から目を背けたかった。そして、それは今日に限った事ではないという事も、俺は知っていた。

――何時だって、俺は現実を見て見ない振りをしていた。そうやっても、生きていけるって事を知っていた。例えそれが望むべき未来に繋がる道でないわかっていても……。

 しかし、今回叩きつけられた絶望的な現実は違う、何故ならば生きていく事さえ出来ないからだ。

「そうね」

 そして、鷺ノ宮はそれの絶望を肯定する答えを返した。

 その言葉に抑揚は無かった。

「……けれど、今は大丈夫だけれどね」

「今は? そんな事がわかるのか?」

「ええ、ある程度はね」

「んじゃ、この『死の運命』ってやつは、いつ消えてくれるんだ?」

「……」

 鷺ノ宮の返事はなかった。

 それはどういう事を意味するのか。

 俺はあえて考えないようにした。

 そして、気持ちの全てを、このあと食べるであろう夕食にぶつけようと決めた。

 それが、今まで何度となく繰り返してきた、俺の人生の逃げ方であるという事を知りつつも……。

 



 続く。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ