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単細胞生物の想像力

――普通小説とかだったら、ここは今まで何ら活躍しなかった俺の見せ場って所だろうに、しかして世の中はそんなに甘くは無い……。

 そう痛感させられた瞬間だった。

 現実は、頭を抱える俺に対して、凛とした表情で仁王立ちし、豚のようにぶっ倒れている肉食デブを見下ろす鷺ノさぎのみやがそこにはいた。

 正直、俺は口から泡を吹きながら無様な肢体をさらしている肉食デブに、いくらかの同情を感じたほどた。

「しっかし、よく考えてみればこいつもかわいそうな奴なんだよな……」

 こいつの言っていた話を思い出す。

 それが真実なのかどうかはわからない。頭のおかしくなった奴の妄言だっただけなのかもしれない。

 けれど、それが真実なのだとしたら、こいつもある意味被害者のようなものなのだと、俺は思った。

 学生時代に受けた迫害を、幾つなっても忘れる事が出来ずに、人生を歪め続けられてきた男……。

 俺だって、こいつと同じようになっていなかったと誰が言えるだろうか。

 俺は自分の過去を思い返してみる。

 教室で一人、クラスの隅で、他の人と俺とは違うのだと、何の根拠も無い幻想に取り付かれていた俺。

 人と違う事が、特殊である事がステイタスであると信じ続けていた俺。

 それゆえに生じる孤立。その孤立さえもステイタスであると勘違いをし続けた俺。

 そして今現在、無職という、世の中でも低ランクの位置にいる俺。

 そんな俺の思いを、この汚らしく、みっともなく、無様に倒れているこいつに重ねてしまっている俺。

「かわいそうな奴になら、殺されてしまってもいい? それで満足?」

 そんな俺の思いを鷺ノ宮は一刀両断でぶった切ってくれた。

「い、いや、そう言うわけではないけどよ。そりゃ、俺だって死にたくはないさ、でもさ」

「でもなに? 私があなたを助けたのは迷惑だったのかしら? ここで誰にも看取られること無く、屍をさらしたほうが良かったのかしら?」

「そうとは言ってねぇだろ!」

 俺はイラついて、つい言葉を荒立ててしまった。

 何故ならば、図星を付かれている所があったからだ。

 夢を叶える事も出来ずに、ただ無為に時間を過ごして生きてきたような気がする。そして、生きていく為の職すら失った。

 だから、ふと心のどこかで思っていたのかもしれない。

――ああ、ここで死んでしまってもいいかもしれない。

 そんな惨めな、情けない俺だから、この鷺ノ宮と言う女に、怒鳴らずにはいられなかった。

「すまない。助けてもらったのに、そんな態度とっちまって。本当に感謝してるよ。ありがとう」

「別に感謝はいいのよ。私がしたくてやった事なのだから……」

 どうして、この女は俺を助けたいのだろうか。

 誰もが、死にそうな人がいたら助けてしまうのが、世の中なのだろうか。

 いいや、世の中はそんな甘ったるい砂糖菓子のようには出来てはいないことを、俺は二十八年間の人生でそれを知っている。

「ところで、早くここからはなれましょう。この男だってそのうち目を覚ますかもしれないわ」

 確かに正論だった。

 今の俺と同じように、身体が回復すれば、また同じ事を繰り返さないとも知れない。ならば、今のうちにスタコラサッサとこの場から退散してしまうのがいいのは間違いない。

 俺の身体もほとんど復活したようだし、この場を離れる事は容易なことだった。

 だから、鷺ノ宮にとっても、それは容易なことであると、俺はこのとき思っていた。

 けれどそれは違っていたのだ。

 鷺ノ宮は、踏み出そうとした足を滑らせてしまい、俺の身体に寄りかかる姿勢となった。

 その時に気がつく。

 ああ、こいつもいっぱいいっぱいだったのだと。

 俺に対して、上から目線の口調でさんざん悪態を付き気勢をはっていたとしても、やはりまだ高校生なのだと、俺は再度認識した。

――まぁ、そんな女子高生に命を助けられた訳なんだけどな、俺……。

 そんな情けない自分も再度認識した。

「肩を貸すよ」

 俺はさっきとはまるで真逆な体勢で、鷺ノ宮に肩を貸してその体重を支えた。

 女というものは、女子高生というものは、こんなにも軽いものなのだろうかと、俺は思った。

 いや、多分こいつが特別なのだ。

 あまりに細い手足、きっと食も細いに違いない。これ以上絞る事など出来ないであろうほどのウエスト、そして女子としては少しばかり貧弱すぎる胸周り。

 ついているべき所に、ほとんど肉がないのだ。

 ダイエットに苦しむ世の若い女性が見れば、それはとても羨ましい姿なのかもしれない。

 しかし、俺の目にはそれは痛々しくも見えたし、なにか病的にもとらえられた。

 俺は自然と、鷺ノ宮の顔を見つめていた。

 この能面のような無表情な顔。

 こいつは、一体なにを思っているのだろうか? そんなことに思いをはせる。

「肩を貸してくれてありがとう、とは言わないわ。むしろ、あなたのほうが、うら若き女性の身体に無条件で触れることを感謝すべきね」

――って、そんなことを思っていたのかよ!

「なにその、今の心の中で突っ込みを入れましたよ、的な表情は」

「お前は、人の心まで読めるのかよ!」

「ふっ」

 鷺ノ宮は鼻で笑った。完全に俺を小馬鹿にした表情で笑った。

「心なんて読めなくても、単細胞生物の考える事なんて、推測するのは至極簡単なんことなのよ」

「俺はゾウリムシか! せめて哺乳類レベルにしてくれよ!」

「無理ね。それではあまりに哺乳類がかわいそうよ。あなたは細胞分裂で増えるくらいが似合っているわ」

 細胞分裂で、いくつもの俺に分裂する姿をふと思い浮かべてしまっていた。

 それは確実に、悪夢レベルだった。

「それは確かに、悪夢ね。由々しき自体だわ」

「だから、お前は俺の心の声に対してなぜに返答できるんだよ!」

「それくらいは、乙女のたしなみなのよ」

 わからない、乙女というものがわからない。しかし、こいつが確実に一般的な乙女である筈が無い事だけはわかっていた。

 


 そんな他愛ない会話を繰り返しているうちに、俺達はやっと街明かりの灯る場所まで戻る事が出来た。

 ここまでくれば、もし奴が追ってきたとしても、大丈夫だろう。

 すぐに、他の人に助けを呼ぶ事も出来れば、警察も呼ぶ事ができる。

 ん、まてよ……。そうか、さっきも携帯で警察を呼べばよかったのではないだろうか! そんな単純な事を完全に忘れてしまっていた。

 まぁ命の危機に、そんな咄嗟に110出来る奴などはそうはいないということだ。

 そんな事を考えていると、ふと俺の身体にかかっていた重さが消えた。

「もう大丈夫だから……」

 鷺ノ宮は俺の肩に預けていた体重を、自分のものに戻すと、俺に触れていた部分を、まるで汚れでもしたかのように、パンパンとはたいていた。

「なにからなにまで、こうふてぶてしい奴だなお前は……」

 その刹那、お決まりのアレが飛んできた。そう、デコピンだ。

「何度言ったらわかるの、私の名前は鷺ノ宮千歳さぎのみやちとせ。お前なんて名前ではないわ」

「あ、あれだぞ! 日本語には言い回しとかがあってだな! そういう言い方をしてしまう場合も時としてあるんだぞ!」

「なにその、自分のほうが言葉使いには詳しいのだという、へんな自負は。みっともないわよ、ありもしない自信を振りまくというのは」

「ば、馬鹿やろう! 俺はこう見えても、小説家を目指しているんだ! そこらの奴よりかは幾らかははましな筈なんだぞ!」

 多分……と心の中で付け加えた事は秘密だ。

「ふーん。小説家ね」

 鷺ノ宮は、まるで興味無しといった口ぶりでありながら、俺の事を値踏みするかのように視線をくれた。

「なんだ! なんだなんだなんだ! 悪いか! 俺が小説家志望で悪いか! 文句あるか!」

「いいえ。別に単細胞生物がなにを目指そうが、それは人類である私には何ら関係のないことですから。けれど、小説家を目指すよりも、さしあたり地道に進化をして魚類あたりを目指した方がいいのではないかと思いはするけれども」

「誰が魚類になりたいと思うか!」

 俺はどうして、さっきからこの小娘相手に完全に翻弄されているのだろう。

 どうしてここまで熱くなってしまっているのだろう。

冷淡なこいつに、どんだけ熱い言葉をぶつけても、その氷が解けることはないというのに……。

 いいや、俺はここで気がついてはいるのだ。

 その答えというものに。

 そして、あえてその答えに気がつかない振りをしているのだ。

「まぁ、話は戻すが、助けてくれてありがとう。そして、何で俺を助けたのか? やっぱり理由を教えてくれないか? 気になるんだよ。すっげぇ気になるんだよ」

「細かい事を気にする男はもてないわよ。ああ、そう言えば既にもててはいなかったわね」

 かわいそうな単細胞生物さんだこと、と鷺ノ宮の視線が口以上にそう物語っていた。

「そうだわ。さっき小説家志望だとかの妄言を言っていたわね」

「妄言じゃねぇよ!」

「小説家志望なら、その持ち前の想像力で考えてみればいいじゃない、私の理由というものがなんであるかを……」

 なるほど一理ある。

 俺の脳細胞は、このとき通常の約百十五パーセントでまわりだしていた。十五パーセントだけアップというのは微妙ではないかという突っ込みはおいておいてもらいたい。

 そして、考え込む事約三十秒。

「あれだ! 実は俺は将来この世界を救う存在で、鷺ノ宮は未来から俺を守る為にやってきた!」

「どこのターミネーターなのかしら、私は……」

「じゃあ、あれだ! 駄目人間な俺のせいで不幸になってしまっている未来の俺の子孫が、俺を助ける為に送り込んだ、女子高生型ロボットで……」

「もういいわ。単細胞生物の想像力に期待をした私が馬鹿だったわ」

「えぇー。そりゃないぜ鷺ノ宮えもん!」

 鷺ノ宮はお腹のポケットから秘密道具を出す事などなく、まるで両肩にとんでもなく重い背後霊でも乗っているかのように肩を落とした。

 そして数秒後、何かに観念したような表情になって、俺に向かって語りだした。

「面倒だから、一言だけ答えてあげる。和久かずひさ、あなたを助けたのは決めたからよ」

「決めた?」

「そう、決めたの。私が最初に見つけた人を助けようって。それだけのことよ」

「最初にってなんだよ!」

「質問タイムはこれでおしまい。さぁ行くわよ」

 鷺ノ宮は強引に俺の質問を打ち切ると、訳のわからぬ方向を指差した。

「ちょい待て、行くって何処にだよ? その方向に何かあるのかよ?」

「そうだわ、聞いていなかったわね。和久、あなたの家はどっちにあるの?」

「ああ、俺の家なら、ここから駅に向かって、電車で二駅のところだけど」

「なら、駅に向かえばいいのね」

「おい、それってまさか……」

 そして鷺ノ宮は言った。それはまるで至極当たり前のことのように。

「そうよ。和久の家に行くのよ」

「なんだってー!」

 俺は驚く事と突っ込む事しか出来なかった。



 続く。

  

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