メールをしよう
「分別のない子供は本当にしょうがない存在ね」
鷺ノ宮はそんな事をブツブツとつぶやいていた。
俺たちは公園を後にして、家に帰るために電車に乗り込んでいた。
「和久もそうは思わないかしら?」
俺は鷺ノ宮の問いかけに、苦笑で返した。
「なにその『お前も充分に子供の範疇に入るだろうに、何を言ってるんだよ、全く』みたいな苦笑いは」
その刹那、俺の左足の先に強烈な痛みを感じたわけだが、もうこんな事は日常茶飯事故に報告すべき事でもないような期すらしてしまう。
このとき俺は少し嬉しかった。
いやいや、足を踏まれたことが嬉しかったわけではない。そう言うことに快感を覚えたわけでは断じてない!!
鷺ノ宮が、他の人の事を感情的に語ってくれていることが嬉しいのだ。
俺と会話をしているとき以外の鷺ノ宮は、どことなく生気を失った人形のようだった。
まるで他人との交わりを拒絶するかのように……。
「未空ちゃんと、友達になれると良いな」
「は? 和久の言っている言葉の意味が理解できないのだけれども」
「まぁいいや、なんでも」
「なんだか、その余裕を持った言い回しが、とてもわたしの琴線に触れてきているようで、腹立たしいのだけれどもっ!!」
俺の足が、先ほど以上の衝撃を受けたのは、これまた報告するまでもないことだった。
とにかく、こんな出会いがあっても俺の日常は、何ら変化しはしなかった。
いや、一つ大きな変化があった。
「メールのやり方を教えなさい。これは懇願などではなく命令です」
のんべんだらりとネットサーフィンに興じていた俺は、しばし頭を悩ませた。
「早く教えなさい!!」
「あ、いや、それは別にいいんだが、どうして急にそんな事を……」
「あの未空とか言う子供がわたしに向かって、このような暴言を言ったのよ『ええーパソコンも使えないどころか、メールの一つも出来ないのーっ。ぷぷぷっ、今時そんな人が居るなんてーっ、天然記念物の骨董品だよねーっ』などと言ったのよ」
鷺ノ宮は、ご丁寧に未空の声真似までしてくれた。
「そんな事を言われたまま、私が黙っていると思っているの! やってやろうじゃない、メールなんてものは軽くマスターして、あの未空とか言う子供に送りつけてやろうじゃないの」
――なるほど。
俺は納得した。
鷺ノ宮も、未空も、どちらも不器用な言い回ししかできないが、本当はお互いメールがしたかっただけなのだ。
なんて、面倒くさい二人なのだろう。
「わかった、わかった。教えてやるよ」
「教えて……やるよ? 何その上から目線の物言い」
「教えて差し上げますので、どうか、この私のつたない説明を聞いてもらえませんでしょうか」
「よろしい」
本当に、この鷺ノ宮という少女は、面倒くさい生き物なのだ。
しかし、今はそれが愛おしいとすら思えてしまっている、俺が居る。
「鷺ノ宮は携帯を持っていないから、このパソコンでしかメールできないが、それでいいか?」
「なんでもいいわ。だから早く教えなさい」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい!」
費やすこと数時間、鷺ノ宮は俺のパソコンでメールを使う技術を身につけた。
今までパソコンに触ったことすらない鷺ノ宮に、パソコンを説明するという事は、本当に至難を極めたが、元来負けず嫌いな性格な鷺ノ宮だ、俺の説明が悪いだの何だの、文句を言いながらも、必死になって習得に至ったのだ。
メールの操作を覚えたときの鷺ノ宮は、素直に『やった、できた』と喜びの声を上げた。そして、それを見ている俺に気がついては、頬を赤らめるのと同時に、オデコに攻撃を加えてきた。
どうして、こいつは自分の感情を素直に表現することを、恥ずかしいと思うんだろうか。
鷺ノ宮のメールアカウントは、俺が適当にフリーメールで取ってやった。
「とにかく、一言だけ言っておくわ。……ありがとう」
恥じらいを含んだ鷺ノ宮の感謝の言葉を聞いて、俺は絶句した。
更に戸惑い、どこに視線を向けて良いのかすらわからなくなった。
鷺ノ宮から、視線を外しつつ俺は一言『ああ』とだけ、ぶっきらぼうな言い方で返した。
ああ、こいつも俺も、素直に感情を表現するのが苦手な種類の動物なのだ。
それからというもの、鷺ノ宮は頻繁に未空とメールのやり取りをしているようだ。
かたや高校中退、かたや中学不登校。時間は余るぐらいにある訳なのだから、そうなってしまうのも仕方のないことだろう。
――てか、二人とも学校に行けよ!!
と、突っ込みを入れたいところなのだが、無職の俺が言える言葉でもなかった……。
そんな俺はと言えば、鷺ノ宮と未空ほどではないにしろ、絢音さんとメールのやり取りをしていた。
あれから、絢音さんの言っていたことについていくらか考えた。
確かに、誰だって死ぬ。これは生物に与えられた宿命のようなものだ。そう考えれば、『死の運命』なんてものは誰だって背負っている事になる。なら、鷺ノ宮の言う『死の運命』とは何なのだろうか? 確かに、俺は実際に命を落としかけたことが、ここ最近だけで数度ある。そして、それから救ってくれたのが鷺ノ宮だ。直接的におこる死の危険、それを『死の運命』と呼ぶのだろうか?
まぁ、いくら考えても結論なんてものは出てはこなかった。
現状をあるがままに受け入れるだけしか、俺には出来ないのだ。
ただ、何か喉の奥に小骨が引っかかるような違和感を覚えている……そんな気がしないでもなかった。
しかし、それが何であるのか、今の俺にはわかりはしなかった。
『動物園はお好きですか?』
ある日、唐突にこんな内容のメールが絢音さんから届いた。
俺は何も考えずに『好きか嫌いかと言えば好きです』と、ごく普通にメールを返した。
その数秒後、絢音さんからの返信メールが届いた。
『じゃあ、今度の日曜日に動物園でデートをしましょう』
「はぁぁぁぁ!?」
俺は携帯のメール画面を凝視しながら、驚愕の声を上げた。
――デートというのはあれだ、男女が二人きりで、キャッキャウフフの楽しい一日を過ごすというあれだ。それに間違いない。そのデートに間違いないのだ!!
それに追撃をかけるかのように、さらに次のメールが届いた。
『動物園に行く前に、まず私の家に来てくださいね。住所は後でメールしておきますね』
――家に行く……部屋に二人きり、それはつまり!!
「うぎゃあああああああああああああああああ!!」
「和久、うるさい!」
俺のあまりの絶叫に、鷺ノ宮が業を煮やしたのか、怒鳴り込んできたのだが、そんな事など今の俺には眼中にはなかった。
「知っているかしら、このボロアパートは和久の素っ頓狂な絶叫を許容してくれるほど、防音などされてはいないのよ。近所迷惑きわまりないの、それ以前に、私が大きく迷惑を被るのよ」
鷺ノ宮の長ったらしい説教など、俺の耳に入りはしなかった。
俺は即座に、絢音さんにデートを了解する旨をメールすると、洗面所の鏡に向かいポーズを取って見せた。
――どうやら、俺の時代がやってきたようだ……。
「かわいそうに……和久、ついにおかしくなってしまったのね……」
鷺ノ宮の哀れみの目など、今の俺にはどうでも些細なことでしかなかった。
しかし、その喜びの絶頂は、二分後に送り届けられた絢音さんのメールで木っ端微塵にぶち壊されることになる。
そのメールにはこう書かれていた。
『日曜日は、四人で楽しく遊びましょうね』
二人きりではなく、四人。つまりは、俺と絢音さん……そして鷺ノ宮と未空。
「さっきまで、妙に浮かれていたと思えば、今はまるで地獄の底でも見たかのような沈みようね。和久には躁鬱の気があるのかしら?」
がっくりとうなだれる俺を見て、鷺ノ宮は呆れるように言った。
「うるさいっ。大人にはなぁ色々あるんだよ」
「大人……ねぇ。私にはむしろクリスマスにサンタに頼んだプレゼントが、欲しい物じゃなかったときの、子供のように見えて仕方がないのだけれどもね」
図星、まさに今の心境をずばり言い当てた比喩表現であった。
「鷺ノ宮、お前はすごいよ……」
「なんだかわからないけれど、褒められているかしら?」
不思議そうな面持ちで、鷺ノ宮は小首を傾げていた。
「ああ、そうだよ」
「わぁい、うれしいわ。と言っておくわ」
これ以上は無いと言うほどの棒読みだった。
続く。