桐生絢音
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
そう言って頭を下げる絢音さんだったが、未だに頬の筋肉は笑いを抑えるために酷使されていた。
「いやぁ、良いんですよ。こういうのはもう慣れてるんで。ほんとここ最近で慣れっこになっちゃってね」
その言葉の最後に『鷺ノ宮千歳のせいで』と付け加えたかったが、あの地獄耳が反応しないとも限らなかったので、やめておいた。
「ああいう風に、飾り気なしに接してくるって事はきっと、カズさんが信用されているってことだと思いますよ」
「そう……なんですかね? 舐められているだけって気がしないでもないんだけどなぁ……」
「いいじゃありませんか!」
「へ?」
「年上だから、舐められちゃ駄目、それって正しいんでしょうか? 未空ちゃんだって、一人の人間です。対等に接すれば良いんですよ! 力を抜いて肩肘張らずに――そう、今のカズさんみたいに」
「そういう風に考えればいいもん……なのかな?」
「さぁ?」
絢音は、あごに指を当てて小首を傾げる。
「おいいいいいいいいいいい!」
「うふふ、正しい答えなんてあるわけじゃないですよ。これは私『桐生絢音』の出した答えの一つなんですから」
コロコロと笑う絢音さんは、まるで子供のように見えもしたし、大人の持つ余裕のようなものも感じられた。
この人は、大人でもあり子供でもある。そんな気がした。
それはともかく、俺は偶然ながら絢音さんのフルネームを知ることが出来たわけだ。後で携帯に入力をしておこう。
「ところで、少し話を聞きたいんですけど」
「はい」
瞬時に真摯な顔へと変化した絢音さんは、ベンチに腰掛けると膝の腕に腕をおいて、俺に強い視線を放った。
「あの子、『一馬』のことについて話せばよろしいでしょうか」
あの子という言葉が、あの電車に飛び込んだ少年を指すのだという事はすぐにわかった。
「あ、はい。お願いします」
桐生絢音は、俺の言葉に頷くと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「一馬くんは登校拒否だったんです。どうしてそうなったのか、何度かご両親に訪ねましたけれど、ご両親も明確な答えはわからないようでした。ただ、小さいころから他人とのコミュニケーションが不得意な子であるとは説明されました。私も最初はどう接して良いのかわからずに、淡々と機械的に勉強を教えるだけしかできませんでした。そんな彼が興味を持ったのが、私の持ち歩いていたパソコンだったんです」
そう言うと、絢音さんは横に置いてあった鞄からモバイルパソコンを取り出した。
「大学の授業のために買ったんですけど、いつの間にか趣味で使うことの方が多くなっちゃっていて……」
絢音さんは照れるように笑った。
「それで、メッセンジャーを始めるようになったんですか?」
「ええ……。それで、ネットの中ですけど、色々話したりするようになったんです。私、嬉しくって――ネットの中だって世界は世界でしょ? 実際の世界の一部だと思うんです。だから、ネットの中でのコミュニケーションで活発になってくれたらそれはそれで――私間違っていますか?」
俺は即答できなかった。
俺もインターネットは生活の一部分というほどに活用している。だからといって、引きこもりがインターネットに依存するという事を肯定するとまでは言えない。何故だろう、現実に目を向けないでインターネットの世界に浸るという事は、罪悪であるという固定観念のようなものを持ってしまっているのだろうか。
「同じように、あの未空ちゃんも、登校拒否児童だったんです」
「へ?」
「信じられないでしょ? あんなに活発な子なのに」
「え、ええ。正直驚きました」
今も遠目に鷺ノ宮と未空の姿は、俺の目にとらえることが出来た。
何をやっているのかわからないが、別段問題なくコミュニケーションがとれているように見えた。
「気を許せる相手には、ああやって振る舞うことが出来るんですけどね」
「俺と鷺ノ宮が気の許せる相手なんですか? 初対面なのに?」
「だって、あなたはネットの中でカズさんとして何度もお話をしているわけでしょ?」
確かにそうだった。
ネット上でたまに見せた『姫子』の子供のような無邪気な文体は、きっと未空だったに違いない。
「まぁ俺は良しとして、鷺ノ宮は……」
「それなら、後で聞いてみればいいですよ」
「わかってないのかよ!」
「はい。そんな何でもわかっていたら、世の中面白くなんて無いですよ、きっと」
真面目な話の合間に、こう言った緩急をつけてくる。これは家庭教師として培った話術の技のようなものなのだろうか。
「みんな色々あるんですよ。その色々がなんなのか、私はわかってあげることが出来なかった。ううん、この言い方はとっても傲慢。わかってあげたとしても、どうしてあげることも出来ないかもしれないから。私に出来る事なんて、何もないかもしれないのだから」
――そんな事はない!!
そう言ってあげられれば良かったのか? いいや、きっと絢音さんはそんな言葉なんて求めてはいない。俺にはそう思えた。
「一馬君は、私に何も伝えてくれないまま、亡くなりました。その話を聞かされたとき、私まるで夢を見ているような気分で、実感できなかったんです……。だって、だって、数日前までは生きていたんですよ? 私は彼のすぐ横で勉強を教えていたんですよ? それが、今はこの世界のどこにもいないなんて――そんなの信じられるわけ無い、夢に違いない、そう思ってしまったんです。事実を受け止めることが出来なかったんです。今だって、こうやって事実を話していたって、まだ嘘なんじゃないかって、大きなドッキリを仕掛けられているんじゃないかって。ねぇ、本当はドッキリなんですよね? カズさんも、グルになって私を騙そうとしているんですよね?」
絢音さんは、泣いていた。俺の腕を強く強く握りしめながら、泣いていた。大粒の涙が頬に数本の線を作り流れ落ちた。絢音さんの震えが、腕を伝って俺の全身に流れてきた。
「一馬君は、亡くなりました。俺の目の前で、電車にひかれて――」
「嘘って言ってください……」
「嘘じゃない! これが現実なんだ! あんたの教え子は亡くなった。それはもう起きてしまったことなんだ、変えることの出来ない事実なんだ」
俺は絢音さんの手の震えが止まるほどに強く強く握り替えした。
「優しく、無いんですね……」
「ああ、どうも不器用な人間らしくて、こういう時にかける優しい言葉の一つも持ち合わせてないんだ。ごめんな」
「そんなんじゃ、女の子にモテませんよ」
「事実モテて無いからな」
俺は、自虐的に笑って見せた。
「ですよね」
絢音さんは、涙を流しながら笑って見せた。
「私、将来学校の先生になりたいんです」
涙をハンカチで拭き取りはしたものの、いくらか涙声が残る状態で、絢音さんは精一杯の明るいトーンで言った。
「いいえ、今此処で、宣言します。私こと桐生絢音、大学二年二十歳は、教員免許を取って学校の先生になります!」
絢音さんの、堂々とした宣言に俺は拍手で答えた。
「そうだ、カズさんは小説家志望なんですよね?」
「えっ……まぁ、その、あれだ……。そう言うことになるの……かな」
「あれれ、私に対抗して『小説家になるぜ!』って格好良く言ってくれないんですか?」
「意地悪しないでくれよ」
二十歳の大学生と、二十八歳のフリーター。同じように、夢を語るにはいくらか歳をとりすぎていて――俺はばつが悪そうな表情で返した。
「あははは」
言葉のやり取りというものは、とても大切なものだ。
それに内容を求める事なんて必要ない。
何て事のないやり取りでも、絢音さんの涙は止まり、笑顔が戻ったのだから。
「そうだ、前にメッセンジャーの中で見ました。『死の運命』ってなんなんですか?」
「ああ、あれは絢音さんも見ていたのか……」
「ええ、一馬君と私がそのお話を聞きました。未空ちゃんは知らないみたいですけどね」
俺はホッと安堵の息をついた。あのダイナマイトキッズ相手に説明をするのは、正直勘弁してもらいたいからだ。
「どうにもこうにも、俺には死神が憑いているみたいでね。俺を死の世界に誘ってくるらしいよ」
「死んじゃ駄目です!!」
「ああ、その気はないよ。それに、俺には鷺ノ宮がついていてくれるからな」
「鷺ノ宮さんが?」
「そう、あいつには俺を取り巻く『死の運命』つまり、そいつに現れる死相ってのが見えるらしい。だから、いつ危険が起こるのかがわかるって寸法さ」
「そんな事とがあり得るんですか?」
「正直俺も最初は疑っていたよ。でも、数度命を助けられていれば、信じられもするさ」
と、口に出して言ってみても、思い返してみれば本当に現実に起こったものなのかと疑ってしまう、嘘のようなお話ばかりだ。
「あの、これは私の考えなんですけれど、聞いてもらえますか?」
「おう、何でも聞くよ」
「私、思うんです。当たり前のことですけど、人間はみんないつか死――死んでんでしまいますよね」
一度『死』の部分言葉を止めたのは、一馬君のことが頭をよぎったせいだろうか。
「ああ」
「だから、今この時点でも、世の中の人間、いいえ生き物すべては死に向かって進んでいるという事なんです。そう考えれば『死の運命』なんてものは、ごく普通の自然現象なんじゃないでしょうか?」
「ごく普通……」
「私だって、今此処で何があって死んでしまうかわからないですよ? だから、カズさんと同じなんじゃないかって」
「そう言う考え方も出来るのか……」
「誰だって、死というものに、背中を追われながら生きているんじゃないかって、そう思うんです。だからこそ、限りある命を無駄にしないで頑張ろうって思えるんじゃないかって」
俺は黙り込んでしまった。
「ごめんなさい、小娘の戯言だと思って聞き流してくれていいですから」
「いや、そんな事無いよ。いい意見を聞けたと思うよ」
もし、絢音さんの言うことが正しかったとするならば、鷺ノ宮の言う『死の運命』というものは誰しも持っているものだという事になる。なら、どうして鷺ノ宮は俺の『死の運命』だけを見ることができるのか?
――まて、そもそも『死の運命』なんてものは、存在しているのか?
俺は頭の奥がズキズキと痛むのを感じた。あれだ、馬鹿な奴が無理に考え事をしてしまっているからだろうか。
「気がつくとけっこう時間たっちゃいましたね」
絢音さんの言葉に、俺はふと時計に目をやる。
鷺ノ宮たちを追っ払ってから、すでに1時間以上が経過していた。
「あいつらずっとほったらかしで怒ってるんじゃないかな……」
鷺ノ宮の怒り、それを想像した瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
「すみませんが、絢音さんがあいつらを呼び戻してくれませんかねぇ」
「あ、はい。いいですよ、でもどうして?」
「別に深い意味は……あはははは」
と、笑って誤魔化してみたものの、絢音さんにはきっとバレバレだったに違いない。
「遅かったわね、和久。一体何を話していたのかしら」
案の定、呼び戻された鷺ノ宮はおかんむりだった。
「まぁ、色々とな」
「ええ、そうですね」
俺と絢音さんは、示しあうように目配せをしてみせた。
「なんだか、少し気にくわないわ……」
鷺ノ宮は不満そうな表情であったが、それ以上は何も言わなかった。
「あららー。千歳ちゃんは、カズ君を絢音ちゃんに取られるかもしれないって、心配なんだ-。へーへーへーーっ」
未空は、鷺ノ宮を茶化すように、言葉をかけた。
「な、何を言っているの!! それに、年長者に向かって、千歳ちゃん!? ありえない、ありえないわ! 今此処で法廷を開いて、実刑判決をくださなければいけないわ!! いいえ、それが無理ならば、いっそ私自身の手で……」
またしても、鷺ノ宮は懐からあのスタンガンを取り出しそうとした。勿論、俺は光の速さで割って入って、それを止めたのは言うまでもない。
続く。