電話をするよ
死んだ人間が、オンライン上に存在している。そして今、俺に向けてメッセージを送ってきている。
そんな事があり得るのだろうか?
あり得るかどうかは別として、今現実に俺のパソコンは死者からのメッセージを受信してしまっているのだ。
冥界からの電波が、インターネットという電脳の海を渡り、此処に辿り着いたとでも言うのだろうか。
「何を眉間にしわを寄せて考え込んでいるの? そういう仕草はいくらかの知能指数を持つ動物のとる行動なのだと理解しているのかしら? 勿論、和久にそんな知能指数は存在していないのだけれどね」
俺の苦悩など知る由もなく、鷺ノ宮は言葉という名の金槌で俺の頭をゴツンと叩いた。
「はいはい、どうせ俺の知能指数は小動物並ですよ」
「謝りなさい!」
「え?」
「和久は今すぐ小動物に謝りなさい!」
「ごめんなさい……」
俺は、鷺ノ宮の言う通りに、目の前に存在のしない小動物にたいして素直に頭を下げていた。もはや、プライドという文字は俺の辞書からはとっくの昔に削除されているようだ。
「よろしい」
鷺ノ宮は満足そうに笑みを浮かべると、コホンとわざとらしく咳払いを一つしては、俺の目を見据えてこう言った。
「それでは、和久が何にたいして悩んでいるのかを、説明してもらいましょうか」
「あ……おう」
俺は一瞬言葉に詰まった。
この鷺ノ宮という少女は、なんだかんだと悪態をつきながらも、俺の事を心配してくれているのだ。
そんな事は、表情にまるで出さずに、俺をあざ笑うような顔つきで……。
そんな事は、まるで言葉に出さずに、俺を蔑むような口調で……。
――不器用なだけなのかもしれないな、こいつは……。
そう思った途端、俺のおでこに火花が散った。
「何を少しニヤついた顔をしているのかしら。なんだかわからないけれど、とても気分が悪いわ」
「ニヤついた顔をした奴が居たら、問答無用でデコピンを喰らわせるのかよ!」
「いいえ、そんな非常識な事をするはずが無いじゃない。それは相手が和久だからよ」
「そ、それは……俺が特別な存在だって事……なのか!?」
「ええ、そう言えるわね」
「そうか……そうなのか」
特別な存在という言葉の響きに、俺は無意識のうちに、頬の肉を緩ませていたに違いない。
「だって、和久は……」
鷺ノ宮は、そこであえて一呼吸を入れて言葉を句切って見せた。
そして、上目遣いで一言。
「馬鹿で駄目屑ニートなのだから、私が何をしたところで問題のない存在なのよ」
俺の緩んだ口元は、一瞬にしてしかめ面へと変化した。
そんな漫才のような会話に、突っ込みを入れるかのようなタイミングで、パソコンからまたもメッセージを受信した効果音が鳴り響いた。
「なんなのかしら、さっきから聞こえるこの変な音は?」
パソコンの画面を指でツンツンとしながら、鷺ノ宮は首をひねって見せた。
「あれだ、メッセージが届いた音だ」
「そうなの」
「そうなんだ」
俺は腕組みをして、ウンウンと二度頷いた。
「それで、それは誰からの何というメッセージなのかしら?」
鷺ノ宮は至極まっとうな疑問をぶつけてきた。
「さぁ……」
俺は視線を斜め45度上に向け、鷺ノ宮から目を背けた。
背けたその先に、鷺ノ宮の細くてしなやかな指が待っている事など知りもしないで……。
「うぎゃああああああああああああああああ」
俺は痛みでその場をゴロリゴロリと縦横無尽に転げ回った。
そう、鷺ノ宮は俺の目を突いたのだ。何という恐ろしい女であろうか……。
「和久?」
「……」
「私はね、そういうはぐらかすような言葉が大嫌いなの。わかるかしら?」
目が見えていない今でも、鷺ノ宮がどんな表情で俺に言葉をかけているかは、まじまじとわかった。
「す、すみませんでした」
目を押さえながら謝罪の言葉を述べる情けない物体がそこに転がっていた。
「ふぅ……」
俺は大きく息を吐き出すと、鷺ノ宮の前に座り直した。勿論、背筋をピンと伸ばした正座である。
「あれだ……まぁ説明するのがあれなんだが……」
出来れば説明をしたくなど無かった。だから、どうにかして話をはぐらかそうと思考を巡らせていた――その刹那、鷺ノ宮はすっくと立ち上がり華麗なターンを決める、振り向き様にこう言ってみせた。
「説明するのが面倒だというのならば、こうします」
そうして鷺ノ宮は、おもむろにパソコンの前に鎮座すると、おぼつかない手つきでマウスを手に取り、画面のあらゆる所を適当にクリックしだした。
「おい、鷺ノ宮! おまえ、パソコン使った事ないんじゃなかったか……」
「ないわね」
「使い方も知らないよな?」
「知らないわね」
「って、じゃあ……」
「適当に操作をしているわね」
鷺ノ宮はきっぱりと、何ら後ろめたい素振りなど無く言い切って見せた。
俺が慌てて鷺ノ宮からマウスを奪い返そうとした刹那、適当なマウスクリックが、偶然にもメッセンジャーの会話画面をクリック。そして、『姫子』との会話ウィンドウがディスプレイ上に表示された。
そして、俺の目には死んだはずの『姫子』からのメッセージが目に飛び込んできた。
『お話ししたい事があります。不躾ですみませんが、もしよろしければ、この電話番号にお電話をいただけないでしょうか』
最初のメッセージはこうだった。
そして、その後には、電話番号であろうと思われる数字が書き込まれていた。
俺の身体は硬直した。
「一体どうしたというの?」
鷺ノ宮の問いかけも、俺の耳には入ってきていなかった。
そして、ただ画面を惚けたような顔で見つめているうちに、『姫子』のメッセンジャーはオフラインへと変化していった。
「さて、説明してもらいましょうか」
「ああ、わかったよ」
俺は観念したかのように、肩を落としてため息を一つついた。
そして、死んだはずの人間からメッセージが届いた事。そして、そのメッセージの内容が電話での連絡を求めているという事。
それを簡潔に説明をした。
「そう、そうなの……」
鷺ノ宮は神妙に俺の話に耳を傾けると、唐突に俺のおでこに向けて、手をさしのべた。
俺は、またしてもデコピン攻撃がくるのかと、条件反射的に身構えたのだが、おでこに衝撃が走る事はなく、かわりに暖かい感触が伝わってくるのを感じた。
「熱はないようね……」
鷺ノ宮は俺のおでこに手を当てていたのだ。
「な、なんだよ! 熱なんてねえよ!」
と言いながらも、俺の頬が高揚していくのが自分でもわかった。
「あら、少し熱くなってきたわ」
「うっせえ! 熱はないって言ってるだろ!!」
「そう」
そう言うと、鷺ノ宮は俺の額から手を離した。
「なら、やっぱり和久の頭がおかしくなったということで良いわけね」
「そう言うところに思考の着地地点をつくらないでもらいたいな……」
「そうね、和久は元から中二病で痛々しい思考だった訳なのだから、むしろこんなトンチンカンなことを言い出す方が、ごく普通だと言えるのかもしれないわね」
「中二病で痛々しい思考で悪かったな」
「いいえ、何も悪くなんて無いわ。ただ少しばかりかわいそうな人であるだけなのだから」
「やめてくれ……そんな哀れみの目で俺を見るのはやめてくれええええええ」
こうして、繰り返される不毛なやりとりが、俺の心の動揺を自然と沈めてくれていった。
もしかすると、こんなやりとりが俺にとっては必要不可欠なものとして、根付いてしまっているのかもしれない。
それが良い事なのか、悪い習性なのか。はたまたそのどちらでもあるのか。
まぁ、俺は正直嫌ではなかった。
「それで和久は、その謎の相手に電話をするのかしら?」
「正直、悩んでいる」
俺は悩んでいた。
好奇心としては、電話をかけて正体を探ってみたいと思っている。
恐怖心としては、まさかまさかではあるが、死の世界からのメッセージだったら……等とも思っている。
つけっぱなしのパソコンの画面には、『姫子』からのメッセージ画面がずっと表示され続けていた。
それはまるで、俺からの返事を急かしているようにも見えた。
「何度も言うようだけれど、和久に悩んでいる顔は似合わないわ」
「うっさい」
「ただでさえ作りの良い顔ではないのだから、それを更にダウングレードさせて横にいられるのは不快だと言っているの」
「美形じゃなくて悪うございましたね」
このふて腐れた子供の様な会話の返し。俺は本当に28歳なのだろうかと、たまに自分の精神年齢を疑いたくなる。
「わかったわ! この私がその悩みを消してあげる」
「へ?」
そう言うと、鷺ノ宮はハンガーに掛けられていた俺の上着のポケットをまさぐり携帯電話を取りだして、画面に表示されていた電話番号を目で追いつつ、携帯電話に入力しだした。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「私が電話をすればそれですむ事なのよ」
「何をどうすると、そう言う答えに行き着くんだよ!」
俺は鷺ノ宮の手から、携帯電話をひったくろうと、背後から手を伸ばした。
鷺ノ宮はそれをかわしつつも、たどたどしい手つきで番号を入力する。
俺がなんとか、鷺ノ宮から携帯電話を取り戻したときには、すでに電話のコール音が鳴ってしまっていた……。
「はぁ……」
俺は大きくため息をつくと、覚悟したかのように、携帯を耳に押しつけた。
今此処で、携帯を切る事も出来るのだ。
しかし、俺はそうはしなかった。
電話をかけたかった、謎を解いてみたかった。それが、俺の本心だったのだ。
悩んで見せていたのも、出来れば鷺ノ宮に後押しをしてもらいたかったからだ。
結果として、予想外の方法で後押しをしてもらった訳なのだが……。
数度のコール音が鳴る響いたあと、相手は電話に出た。
「もしもし、あのハンドルネーム『カズ』です……」
俺はそれだけを言うと、言葉を止め、相手の反応を待った。
「あ、はい。初めまして、私がハンドルネーム『姫子』です」
声は女性だった。
あの時に出会った、少年の声などではなかった。
落ち着きのある、少し知的な感じのする声と、口調。それは俺がオフ会前にイメージしていた『姫子』の声に近かった。
「失礼ですけど、本当にあなたは『姫子』なんですか……」
「はい、私はあなたが今日会った『姫子』とは、別の『姫子』です」
その言葉に、俺の頭上にクエスチョンマークが現れては、ぐるぐると回転した。
「はい? 言っている事がよくわからないんですが……」
「『姫子』というハンドルネームとIDを使っていたのは一人じゃなかったんです」
「え……じゃあ、複数の人間が同じアカウントで……」
「『姫子』というキャラクターを演じていたんです。騙していたみたいで、ごめんなさい」
「……」
俺は言葉を失ってしまった。
しかし、冷静になって考えれば、あり得る事なのだ。
パスワードとアカウントを共有して使えば、まるで一人の人間のように二人が振る舞う事は容易く可能なのだ。
そうして考えれば、今までネットの中の『姫子』に感じていた、多種多様な性格も頷けるというものだ。
「じゃあ、今まで二人の人間が『姫子』を演じていたって事なんですか?」
「いいえ」
「え?」
「三人です」
続く。