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女王様!?

 目が覚めた。

 今は何時だろうか?

 窓の外から夕焼けの光が見える事から、まだ夜ではない事がわかった。

 どうやら俺は眠っていたらしい。

 何かとんでもないようなことがあった気がする。

 何かとんでもないようなことをしてしまった気がする。

 けれど、きっとそれは夢だろう。そう、きっと夢に違いない。

 俺は立ち上がろうと身体を起こそうとして、異変に気がついた。

 俺の身体はぴくりとも動かないのだ。

 まるで全身を縄で縛り付けられたかのように、腕も足も動かすことができなかった。

――なぜに? どうして? ホワイ?

 その疑問は、数秒後にいとも容易く解きあかされた。

 何のことはない、俺の全身が縄で縛り付けられているだけのことなのだ。

「なるほど」

 俺は納得した。

 手首、足首はもとより、まるで猛獣でも捕らえようとでもしたかのように、関節の至る所が縛り付けられていた。

 唯一動かすことができるのが、手の指と、足の指と、顔の筋肉だけといったところだった。

――何が一体どうすると、俺は自分の部屋のど真ん中で全身を縛られていなければいけないんだろうか?

 俺は少しだけ動く指先を、ワサワサと無意味に動かしながら、こうなるに至った経緯を思い出せないかと、記憶の扉を探ってみたのだが、どうも俺の記憶の扉には、厳重に鍵がかけられている部分があるようで、思い起こすことが出来なかった。

 ただ、記憶を思い起こそうとすると、額から滝のように冷や汗が流れ落ちては、目に入ってくるのだ。さらには、身体が小刻みに震えだしてきてしまう始末であった。

「俺は、一体何をしたんだ……」

 その言葉に反応するように、俺の視界に見慣れた人影が映った。

「何をした……。和久、もとい汚物は、自分が何をしたのか覚えていないというのかしら」

 その台詞を聞いた直後、俺の視界は真っ暗闇へと落ちた。

 それは何故か? その言葉を発した主が、俺の後頭部を踏みつぶしたからに相違なかった。

 不意に後頭部を踏みつぶされた俺は、畳の藁とキスをする形になった。

 さらに、俺を踏みつける力は強さを増し、顔面は更に畳にめり込んでいく。

『や、やめろ! 俺の顔面を破壊するきか!?』

 そう発音したつもりだったが、めり込んだ口が正確に言葉を発することが出来るはずもなく。

「ば、ばぶぼ! おべのがぶめぼばがいずるぎがぁ!?」

 と、しか聞こえなかった事だろう。

「何を言っているのかわからないわ。出来れば、汚物語ではなく、人間の言葉で言ってもらいたいものね。まぁ、何を言おうとも、私のとる行動に変化などありはしないのだけれども」

 訳すると、俺の言葉など聞く耳を持ちはしないということだろう。

 確かに、鷺ノ宮は俺の言うことなどいつも聞きはしない。とは言え、ここまで理不尽なことをするだろうか? いや、今までのことを思い返してみれば、するかもしれないような気もしてきた……。

「この馬鹿汚物! ど変態! 同じ次元に存在しているというだけで、気持ちが悪くて仕方がないわ。このまま押しつぶされて、二次元の平面世界に行ってしまえばいいんだわ」

 俺の頭を押しつぶす鷺ノ宮の足の力には、まるで容赦というものがなかった。これは、冗談ではない、鷺ノ宮は本気で俺の頭をつぶす気だ。三次元の存在から二次元の存在に俺をする前に、この世界から俺が生きているという存在を消し去る気だ!!

 意味もわからないまま、殺されるのは嫌だ。それは普通の人間ならば思って当然の思考だろう。

 俺は渾身の力を振り絞って、首を回転させた。

 結果、俺は後頭部ではなく、顔面を鷺ノ宮の足で踏み潰される事となった。

 しかし、俺は見たのだ。

 視界が鷺ノ宮の足の裏で覆われるまでの一瞬の間に、涙を流す鷺ノ宮の顔を……。

――泣いている、あの鷺ノ宮が泣いている。誰が泣かした? 俺? 俺が泣かせた? 泣かせるような事をした? それは一体なんだ? それは……。

「死ね! 死んでしまえ!! 馬鹿! バ和久!!」

 怒号と涙声の混ざった声が、俺の耳に突き刺さる。

 その中の言葉のひとつが、俺の耳ではなく、胸に突き刺さっていた、

『死』

 その言葉が俺の胸の奥にトゲのように突き刺さっては、心を中をグサリとえぐってしまっていた。

――そうだ、俺は死を、人の死を……見たんだ。そして、そのあと、イエニカエッテサギノミヤニ……。

 俺の顔から急激に血の気が引いていくのがわかった。

――俺は、酒を飲んで、鷺ノ宮に襲いかかった。

 全身から一気に力が抜けていった。

 鷺ノ宮は俺の顔面を踏みつけ続けていたが、そんな事はどうでもよかった。気の済むようにしてくれればいいと思った。

 俺は今、そうされてしかるべき存在だったのだという事を、思い知ったのだ。

 



 どれくらいの時間がたっただろうか。

 とても長い時間のように感じられたけれど、もしかすると本当は数分しかたっていないのかもしれない。

 鷺ノ宮は足が疲れ果ててしまったのか、俺の顔面を踏みつけることをやめ、地面にペタリと座り込むと、今度は俺の身体をボコボコと拳で殴り続けていた。

 その拳には力などなく、何のダメージも俺の身体に与えることなど無いはずなのに、俺はヒシヒシと身体の内側に痛みを感じていた。

 俺は何をどうして良いのかわからないでいた。

 何をどうしたところで、この状態が変わるはずなど無いのだ。

 けれど、一つだけやらなければいけない事があった。言わなければいけない言葉があった。だから、俺の中にあるわずかな力で口を動かした。

「ごめん……」

 俺の口からこぼれた言葉、謝罪の言葉。

 俺の言葉に反応して、鷺ノ宮の振り下ろされる腕が止まった。

 そして、泣き顔を客死もせずこちらに向けた。

「本当に私に悪い事をしたと思っているの……」

「本当にごめん……」

「ごめんなさい……でしょ?」

「ごめんなさい」

「謝ればすむと思っているの?」

「そんな訳じゃない!! でも、俺には他にどうすれば良いのかわからないんだ、だから……」

「そうね、単細胞生物並みの和久の脳細胞では、わかるわけもないものね」

「ああ、俺は単細胞の馬鹿野郎だ」

「そうやって、自分を卑下すれば罪が軽くなると思っているのかしら?」

「……」

「そんな事で、私の身体を強引に抱きしめた罪が消えると思っているのかしら?」

「……」

 しばらくの沈黙。

 そして、しばらくの思考時間。

「……抱きしめた?」

「そう、私を無理やりに抱きしめた」

「抱きしめた……だけ?」

「それはどう言う事を意味しているのかしら?」

「いやいや、あの、その、俺は鷺ノ宮を抱きしめた……だけなのか?」

「何その言い方は、私を無理やり抱きしめるなんて行為は、それだけで万死に値する事だと思うのだけれど」

「まぁまぁ、それはそうだけれども、俺は抱きしめたあとに何かをしたりとかだな……」

「出来るはずがないじゃない。その直後に、私が隠し持っていたスタンガンで和久を気絶させたのだから」

「へ……」

「そして、そのあと和久をこれでもかと言うぐらいに、縄でがんじがらめに縛り付けたわ」

「は、はぁ……。すると、俺は鷺ノ宮を抱きしめただけで、その後はあんな事やこんな事をやったりとかはしていないと……」

「なによ、あんな事こんな事って――」

 そこまで言いかけて、鷺ノ宮はその言葉が何を指すのかをようやく理解した模様で、時顔を真っ赤に変色させると同時に、俺の顔面に向けて腰の入った強烈なパンチをお見舞いしてくれた。

「お、汚物にもほどがあるわ!! も、もしもよ、もしも和久がそんな事を私にしていようものならば、和久をミリ単位に切り刻んだ後に、私も喉をかききって自害しているわ」

「は、はい……」

 顔面は痛かったけれど、その痛みは心地よいものだった。

 いいや、それは俺がMだからというわけではない、断じてない。俺は人間として屑の位置にまで落ちていなかった事を確認できた事がうれしかったからだ。

 しかし、これで話が全部すんだわけではない。最後まで事を行わなかったとはいえ、俺は鷺ノ宮に対してとても失礼な事をしたのだ。

 俺は改めて、頭をさげ、謝罪の言葉を述べた。

 本当ならば土下座の一つもしたかったところではあるが、全身を縛り付けられていては、頭一つ下げるだけでも一苦労なのだ。

 器用に縛られたままの状態で頭を下げ続け、謝罪し続ける事数分。

「わかったわ。今回だけはゆるします」

 渋々とではあったが、鷺ノ宮は俺の謝罪を聞き入れてくれた。

「本当なのか!?」

「どうせ、なにか理由があったのでしょう。そうでもなければ、和久がお酒を飲んで帰ってくる事などありはしないのだから」

 俺が酒を飲んでごまかそうとしていた事など、鷺ノ宮には、容易く見抜かれていたのだ。

「何があったのか、詳しく話して――そうすれば許してあげる」

 出来れば、あの事は鷺ノ宮には話したくはなかった。それはそうだろう、人が、人が死んだのだ。鷺ノ宮がいくら一風変わっているとはいえ、まだ十六歳の女の子、そんな子に生々しい人の死の話を伝えられるはずがない。けれど、口元をキュッと引き締め、真剣な眼差しをこちらに向けてくる鷺ノ宮に、俺は逆らう事など出来はしなかった。

「わ、わかった。でも、その前に……縄をほどいてくれないか、この姿勢のまま説明するのはちょっと大変で……」

「違うでしょ。縄をほどいてくださいませ、女王様でしょ?」

「は……」

「冗談よ」

 そう言うと、鷺ノ宮は初めて笑顔を見せてくれた。

 それは、まだ頬に涙の後の残る笑顔だったけれど、俺にはとてもかわいらしく思えた。

 それと同時に、少しばかり女王様と呼んでみたい!! 等という気持ちがどこかに芽生えてしまいかけていたのを、消去しようと必死にもなっていた。




 縛られた縄を解いてもらい、やっと身体の自由が戻ってきた俺は、約束通りに、今日起こった出来事を鷺ノ宮に話した。

 いくらか脚色をしてごまかそうかとも思ったのだが、鷺ノ宮の異常とも言える嗅覚に俺の嘘など容易にバレてしまいそうで、あえて包み隠さずに話す事にした。

「なるほど、そんな事があったのね」

 鷺ノ宮は俺の予想とは裏腹に、淡々とした面持ちだった。

「確かに自殺は『死の運命』から逃れて自由になる方法の一つではあるわね。けれど、何の解決にもなってはいないわ」

 鷺ノ宮の言う事は、至極もっともだった。

 結局、死んでしまう事には何ら代わりがないのだ。ただ、いつ訪れるかもしれない死の恐怖から、逃れる事が出来ると言うだけの事なのだ。

 けれど……日々をオドオドして過ごすくらいならば、いっその事……等という気持ちが、全くないというわけではなかった。

 正直、俺はそんなにも強い人間ではないのだ。

 今の俺は夢も希望もないニートなのだ。そんな屑ニートがこのまま死の恐怖に怯えて生きていて、何の意味があるのだろ。そう思ってしまう時もあるのだ。

「和久、あなた今『自殺という選択肢もありかもしれない』そう少し思っているわね」

「そ、そんな事ねぇよ」

 相も変わらず、鷺ノ宮は俺の心の中を簡単に覗いてくれやがる。そんなに俺は気持ちが顔に出るようなタイプなのか、それとも鷺ノ宮の洞察力が鋭すぎるのか、はたまた実は鷺ノ宮には隠された超能力が存在しているのか。

「自殺はダメ。何故ならば、私がそれを許さないから」

「お、おう」

 意味もへったくれも無い理由だったが、何も言い換えさせない説得力を持っている言葉だった。

「和久は、今日あった事は全部忘れなさい。忘れるのは得意でしょ? ただでさえ物事を記憶するための脳細胞が少ないのだから」

「うるさいわ!」

「でも、本当に忘れてしまった方がいいと私は思うわ。嫌な事、特に人の死に纏わるものを覚えていて良い事なんて何もないもの……」

 そう言うと、鷺ノ宮は俺に今の表情を見られたくないかのように、顔を伏せた。

 もしかすると、俺の話で母親の死を思い返してしまっていたのかもしれない。


 鷺ノ宮の母親がどう亡くなったのか、俺は知らない。それを問おうとも俺は思わない。何故なら、それは鷺ノ宮にとってプライベートな事であり、他人である俺が聞いて良い事だとは思わないからだ。

 いつの日か、鷺ノ宮本人の口から、語られる日が来るまで、俺はその事を聞く事はないだろう。


「さて、それはそれとして、和久にはもっと反省をしてもらわないといけないわね」

「へ?」

 そう言うと、鷺ノ宮はどこからともなく、一冊のノートを取り出した。

 そのノートの表紙には『バ和久反省帳』と大きくマジックで書かれていた。

「和久はこのノートがいっぱいに埋まるまで『私はお下劣なダメ屑ニートです。これからは鷺ノ宮千歳様に不埒な真似は一切いたしません』と書き記しなさい」

「ち、ちょっと待て!! 俺は小学生か!」

「馬鹿ねぇ、和久が小学生な訳がないわ。だって、人間ですらないのだから」

 毎度のように、俺に人権などと言うご大層なものは存在していなかった。

「少しでも人間に近づけると良いわね。さぁ、明日までにこれ全部埋め尽くすのよ。ズルをしたらどうなるかは……わかっているわよね?」

 小首を傾げてニッコリ微笑む鷺ノ宮。勿論その微笑みが導き出す答えが、残虐かつ血みどろである事はわかっていた。

 俺は縛られたせいで、まだ半分痺れている手を気合いで動かしながら、反省ノートを書き綴るのだった。




 数時間後、俺はようやくノートの三分の二ほどを『私はお下劣なダメ屑ニートです。これからは鷺ノ宮千歳様に不埒な真似は一切いたしません』と書き記し終えていた。

 しかし、一行書くごとに、俺の中の尊厳というものがボロボロと剥がれ落ちていってしまうのを感じては、情けなさとやるせなさで、深いため息が漏れるのだった。

 鷺ノ宮はと言えば、なんやかんや言いながらも、何時ものように台所で夕飯の支度をしていた。

「ふぅ、ちょっと一息入れるか……」

 俺はそう言うと、無意識のうちにパソコンの電源をつけていてしまっていた。

 これは生活習慣故の行動だと言えるのだが、今日はパソコンをつけたくなどはなかった。

 そう『姫子』の事を思い出してしまうからだ。

 俺は慌てて、パソコンの電源を消そうとした、その刹那、メッセンジャーの画面に『姫子』の名前がオンラインと表示されているのを見つけたのだ。

――どう言う事なんだ……。

 俺の困惑を余所に、パソコンから効果音が鳴り響いた。

 それは『姫子』からのメッセージを受信したと言う知らせだった。

 



 続く。


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