父と子と夕飯
「おとう……さん?」
この言葉が一体何処の誰に向けられたものなのか?
これはとてつもなく大きな問題だ!
もし、この言葉が大神官に向けられたものだと仮定するならば、いささか年齢的に無理がある。
何故なら、どう見てもこの謎の男と、大神官の年齢はかなり近い感じであり、下手をすれば大神官のほうが年上に見えかねないからだ。まぁ、そうは言っても実は大神官が若ハゲであり、あの中年太りの腹もただの肥満であり、本当は何気に若いという事に仮定すれば――いやいや、それは流石にありえないだろう。
もし、そうだとするならば、俺は世の中の人間の年齢というものを誰一人として信じる事が出来なくなってしまう。
ならば、俺のお父さんという事はないだろうか?!
ちょっと待て待て、俺の父親は今実家で普通に働いているはずだし、あんなにダンディーな顔立ちなどしてはいない。いや、待てよ……SF的なストーリー展開であるならば無いとも言えなくない。実は敵だった奴がお父さんだった! 等と言うのはスターウォーズをはじめとして、王道パターンと呼べるものだ。さらに、急に姿形が変化したのは、悪の組織による整形技術の賜物だと言う事も――あるわけは無い!!
俺は自分の脳内がどれだけカオスなのかを再認識してみた。
そんな事を言い出してしまえば、鷺ノ宮の父親と言う事も重々ありえてしまうわけだ。
俺はこのカオスな状況を理解すべく、改めて大業にふんぞり返っている謎の男の姿を見つめなおした。
きっとブランド物であろう端正なスーツをピシッと着こなし、どっしりと地面に根を張ったような立ち姿は、まるでこの場の支配者でもあると言わんようであった。
――待てよ……そうだ! こいつは、あの部屋にいたもう一人の男じゃないか!
「そうだ! 私はあの時の男だ!」
「そうか、やっぱり――って、おい! 何で勝手に俺の心の中の台詞を読みとれるんだ! エスパーか! エスパーなのか!」
そうだ、この男は、あの部屋で怪しい薬をマーブルチョコレートだと言い張った男だ、間違いない。
「うむ、残念ながら、君の愚かな推測は当たってはいない、私はエスパーなどでないのだ。そう、お父さんなのだよ!」
腕組みをして仁王立ちの姿を決めての、有無を言わせぬ問答無用の言い回し、これは何時もよく見かけている光景と酷似していると、その時俺は思った。
――まさか、まさかだが……こいつは!?
「千歳ぇぇぇ! 我が愛しの娘、マイスイートちとせちゃぁんーー!」
この殺伐としてじめじめした空気漂う部屋を、まるで花畑にでも変えてしまいそうなほどの、甘い愛情こってりバケツ三杯分を込めた言葉を、この男は鷺ノ宮千歳に向けて放った。
しかし、その言葉は、鷺ノ宮の耳に届きはしなかった。いや、鷺ノ宮はその言葉が自身に届くのを拒絶したのだ。まるで、強力なバリアーでも張っているかのように。
「何も聞こえないわ。そうよね、和久。物音一つ聞こえてはいないわよね。そうよね、何も聞こえていないし、目の前に誰も居ないと答えなさい、和久……」
「へ?」
鷺ノ宮は、肩を小刻みにわなわなと震わせ、奥歯を噛み締め何かに耐えるような表情を見せていた。
「今、私の目の前に、私の父親だと名乗る男など、存在していないわよね。いいえ、もし存在していたとしたならば、全身全霊を注ぎ込んで、その存在を亡き者にしなければならないわ……」
「おい、鷺ノ宮、一体どうしたって……」
「どうもこうもしないわよ! バ和久! この目の前に立っている、私の父親だと名乗る物体を原子に返してしまいたいと言っているのよ!!」
「おいおい、久しぶりに再開した愛しのお父様に対して、そのような言葉使いはないじゃないかぁ~ちとせちゃぁん。お父さん、寂しくて泣いちゃうぞ! えぇーんえぇーん」
これが本当に、最初見た時に強力な威厳と威圧感を俺にぶつけてきた男と同一人物なのであろうか? 今のこの男は、そんなオーラを何処のゴミ捨て場に捨ててきたのか、ただの親馬鹿以外の何者でもなかった。
俺は頭を抱えた。抱えざるをえなかった。
何の情報もないまま、この事態を理解しろというのが無理難題なのだ。
「一体全体、何がどうなったのか、誰か今のこの状況を、俺にわかりやすく説明してくれよぉ……」
少し前までは、鷺ノ宮が助けに現れるまでは、確か結構シリアスな命がけのドラマが展開していたように思えるのだが、いつの間にやらギャグ色てんこ盛りの、コメディドラマとなってしまっている。
いやいや、死に直面している状態よりは、確実にいい方向に向かっているはずなのだが、どうにもこうにも、急転直下の展開に対して俺の脳みそは対応しきれてはいなかった。
「どーいうことなんですかぁぁ! 私を、どうして足蹴になさるのですかぁぁぁ! なにゆえにィィなにゆえにィィィー!!」
ギャグ色が最も濃い男、大神官は、ひき蛙の様に地面にへばりつき、これまた蛙の鳴き声のような声を上げるていた。さらに、先ほど蹴りをくらった時に、またまたジョセフィーヌとの合体を解かれてしまった模様で、見るも無残なツルピカっぷりを露呈していた。
どうやらこの男も、この状況を理解していない者の一人であるようだった。
鷺ノ宮の父を名乗る男は、大神官の下に歩み寄ると、ジョセーフィーヌを無碍にも足蹴にし、更に大神官の顔面に唾を吐きかけた。
「ふっ、このハゲ豚が! 貴様はな、やってはならない大罪を犯したのだ! それは神を冒涜する以上の大罪なのだ。わかるかい? それが一体どのような罪であるか? いいや、わかりはしないだろうな、そのハゲあがったみっともない頭では理解しえるはずがない」
「ヒィィィ、わ、私めがなにをしたと……」
「貴様は――私の愛しい愛しいちとせちゃぁんの、顔に傷をつけた! それは全身を百等分に切り刻んで、更にそれを煮えたぎるマグマで溶かしたとしても、許す事の出来ない大罪なのだよ!」
「ヒィィィィ、し、知らなかったのです。こ、この小娘――いえ、お美しい娘が、貴女様のご息女であったなどと、私は知らなかったのですゥゥゥ!」
「無知は罪だぞ、ロンベルク鈴木――いや、鈴木次郎」
冷酷な視線を大神官に向ける姿には、先ほどまでの親馬鹿のそれではなく、俺が最初に感じた男のそれであった。
男は首を十センチほど横に動かした。
それは、この即刻部屋から消え去れと言う合図だったに違いなかった。
何故ならば、その首の動きに呼応して、まるでゴキブリのように地べたを這いながら、大神官ロンベルク鈴木こと鈴木次郎が部屋を後にしたからだ。
その通った後には、涙と鼻水であろう水滴の後と、無残にもボロボロになったジョセフィーヌの毛髪が残されていた。
「さぁ、これで邪魔なものはいなくなったねぇ。さぁ、お話をしよう」
冷酷な視線を何処に仕舞い込んだのやら、アットホームなパパの目に戻った男は、まるで何事も無かったかのように、俺たちの方に向け振り返った。
「あなたと話す言葉など持ち合わせてはいないわ」
またも、鷺ノ宮はこの父親と名乗る男の言葉を、強力な心の壁で打ち落とした。
「ま、まぁ待てよ。この人の話も聞いてやらないと……。どうにもこうにも俺は状況がさっぱりわからないんだ」
「必要ないわ……」
「え?」
「お母さんを酷い目に合わせた男の言葉なんて、聞く必要などないのよ!! ――この男のせいで、お母さんは……お母さんは……」
「お前……泣いているのか……」
その刹那、俺のオデコに懐かしい痛みを感じた。
「お前じゃない、私は鷺ノ宮千歳よ……」
デコピンをした、鷺ノ宮の指は震えていた。
俺は、その時、鷺ノ宮の顔を見ることが出来ずに、あらぬ方向に視線を飛ばしていた……。
「あらまぁ、まだ誤解が解けていないようだねぇ。まぁ親子の確執というものは、マリアナ海溝よりも深いものだと言うからねぇ。まぁ、それはおいおいゆっくりと埋めていく事にするとしてだ。今日は、あれだ、そこの碓氷和久君もいらっしゃるようだし、それを含めて話を進めていくことにしようかなぁ」
「どうして、俺の名前を……」
「そりゃ、知っているさ。――私の愛しの娘と一緒に暮らしている男の事を、知らないわけは無いだろう? ちゃんと調べさせてもらっているよ。見てわかるように、私は普通の人より、幾らか地位も権力もある人間でね、一人のしがないニートの実情を探る事など、お茶の子さいさいなのだよ」
「いや、しがないニートってところは不必要だと思うんですが……」
「何を言っているんだ! 重要だろ! とてつもなく重要な所だろう! ニートだよ? うだつの上がらない三十路前のニートなんだよ! そんな男の所に娘がいるなんて、親からしてみれば、心配以外の何者でもないじゃない! そうは思わないかい?」
「うっ……。痛い、とてもとても心が痛い……」
そうだ、これが世間一般のニートというものの認識なのだ。
「まぁ調べた所、君は毒にも薬にもならない人畜無害な存在のようだし、まぁ干渉せずに泳がせていたと言う訳なんだけれどね」
「ってことは、俺がおっぱい――もとい! 中条さんに連れられてきたのは、あなたが裏で糸を引いていたってことなのか?」
「いいや、それはただの偶然だ。私があの部屋で君を見たときは、心底ビックリしたよ。まさに、運命と言うものは存在するのだと改めて思ったよ。そして、待ったんだよ。私の愛しの娘、ちとせちゃぁんが助けに現れるのを……」
「そこは計算してたって訳か……」
「まぁね。本当ならば、ちとせちゃぁんのピンチに格好よく登場して、父親としての株をアップさせるはずだったんだが、まさかあの鈴木次郎が、娘の顔に傷をつけるとは……。えぇい、この後奴をどうしてくれようか……」
俺はこのとき、自分のおかれている立場を忘れて、心底あの大神官に対して同情をした。
「まぁ、そんなこんなで、私は愛しの娘、ちとせちゃぁんと自然に、ごく自然に再会できた訳なのだよ。さぁ、ちとせちゃぁん、お父さんの胸に飛び込んできなさぁい」
胸に飛び込むどころか、鷺ノ宮はピクリとも身体を動かしはしなかった。
「……」
鷺ノ宮は黙っていた。
普段、俺にマシンガンの様に攻撃を浴びせまくるあの毒を放つ口は、開かれることは無かった。
――言いたい事があれば、言い返してやればいい! 何時ものようにガツーンと一発かましてやればいいじゃないか!
「……お前なんて、父親じゃない……。私には家族なんていない。お母さんが死んで、私は一人だ、これからも、ずっと一人だ。だから……他人に娘などと呼ばれる筋合いなんて何処にも無い!」
鷺ノ宮の手には、いつ奪い取ったのか、大神官の使っていた鞭が握られていた。
そして、その鞭は、狙いを外すこと等なく、見事に父親である男の太ももを強打していた。
「行くわよ、和久! もう、ここにいる意味なんて一つも無いわ」
「え、いや、あの、俺はいまだに状況が……」
「和久の、数少ない脳細胞で状況を理解するなんて事は、どだい無理な話なのよ。すっぱりとあきらめなさい」
「えぇぇぇ! そうなの?!」
「そうなのよ!」
「いや、でも、中条さんを助けないと……」
「そう思うなら、和久が担ぎ上げればいいじゃない」
「は、はい。そうさせていただきます」
どうやら、しおらしい鷺ノ宮は消え去り、何時もの鷺ノ宮に戻ってくれたようだ。
何時もの罵倒が、少しばかり心地よく思えた。
――いや、待て! 違うぞ! 断じて俺はマゾなどではないんだからな!
心の中で、俺は必死に否定するのだった。
「き、きいたぁ……。これがあれだね、まさに愛の鞭と言う奴なのだね。マイスイートちとせちゃぁん!」
鞭を食らっておきながら、快感に身もだえしている男が、そこには居た。
「いいんだよ、いいんだよ、お父さんは待っているからね、ずっとずっと待っているからね。そして――いつでも、見守っているんだからね……」
見守っている、その言葉に、とても陰湿な空気を感じ取ったのだが、今はそんな事を考えている場合ではなかった。
俺は急いで倒れている中条さんもとへと駆けつけると、背中に背負う形で身体を起こした。
背中に丸くて柔らかい二つの物体が触れて、俺の鼻の下を伸ばさせようとしてきたが、今ここでそんな顔を見せたら、今度は俺があの鞭で鷺ノ宮から攻撃されるに違いない事はわかりきっていたので、必死で背中に感じる感触を無いものとすることに努力した。
「待ちたまえ」
俺が『背中に当たっているものは、聖乳様ではなく、ただの果物だ! そう、俺はさっき果物屋さんで買った果物を、運んでいるだけに過ぎないのだ!』そう必死で思い込ませている時、手招きするように、鷺ノ宮の父を名乗る男が俺を呼び止めた。
「碓氷君、その女の子は目が覚めれば、薬のせいでここでの出来事はほとんど覚えていないと思うよ。それに、もし、その子の事を思うなら、ここでの出来事は知らないままにさせておいたほうがいいと、私は思うよ」
「ここでの出来事を口封じするつもりですか?」
「いや、別に口外してくれたって構いはしないよ。でもね、そうする事によって、損害を被るのは、きっと君達の方だからね。そのための助言だよ」
確かに、しがないニートがそんな事をわめきたてたとしても、誰も信用などしてはくれないだろう。それどころか、今は温和そうな顔を見せているこの男が、ひとたび牙をむけば、鷺ノ宮はともかく、俺や中条さんの命なんて、どうとでも出来てしまうことだろう。
「ご忠告痛み入ります……」
「あ、それと君が――まぁいいや、それだけだよ。それじゃまたいつの日か会おうじゃないか。その時は、マイスイートちとせちゃぁんと、熱い抱擁をかわしたいものだよ」
俺たちは、部屋を抜け出し、さらに大聖堂を抜け出すと、鷺ノ宮が外に待たしておいたタクシーに飛び乗った。
タクシーの運転手は、ほぼ半裸に近い中条さんの姿に幾らか驚きはしたが、そこはプロドライバー。あえて、何も見ていない、何も聞いていないを貫き通してくれるようだった。
まぁ、実際の所、面倒に関わりたくなど無いだけなのだろうけれど……。
タクシーは走り出す。
中条さんは、今だ目を覚ます素振りもなかったが、穏やかそうな表情でスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
どうやら、命に別状は無いようだ。
タクシーの中に聞こえるのは、中条さんの寝息のみ。
俺と鷺ノ宮はなにを話せばいいのかわからないままに、タクシーの料金メーターだけが増えていっていた。
俺は言葉を発する事無く、ただ鷺ノ宮の顔を見つめた。
五秒ほど見つめた所で、鷺ノ宮と目が合った。
鷺ノ宮は、一度目をそらすと、また向き合いながら言葉を紡ぎだした。
「言っておくけれど、タクシー等と言う高価な物を使ったのだから、今日の夕飯のおかずが、もし沢庵だけだとしても、文句など言わないようにしてもらいたいわね」
「いや、まぁそれは、あれだ。鷺ノ宮の美味しいご飯が食べられるなら、それで俺は満足だよ」
「そう、お世辞をいったとしても、おかずは変わりはしないのだからね」
「はいはい」
日常的な会話と言うものが、どれだけ素晴らしいかと言う事を、俺は再認識した。
ただ、夕飯何を食べるのか? それを問いただす事、それはとても幸せな会話なのだと、俺は思ったのだった。
続く。
すみません!
更新遅れました!
パソコンさんが壊れしまったり
体調不良になったりで……
とっても踏んだり蹴ったりでした!
今は昔のパソコンさんを引っ張り出してきて書いております
はやくパソコン修理できないかなぁ……