サディスト
いつもの様に、時代遅れのフォルムのセーラー服に、長い黒髪をなびかせては、平然とした表情で、倒れた黒スーツの男を足蹴にしている。
倒れている黒スーツの巨体に引き立てられて、まるで小学生と見間違わんばかりのちびっ子。
それは……。
「和久、いまあなたは私を見て、ちびっ子などという思考を巡らしてはいないでしょうね?」
そして、この俺の心の中をいつも見透かす言動。
これが、鷺ノ宮千歳でなくて、誰だと言うのだろう。
しかし、どうして?
何故この場所に?
俺がその疑問を口にするよりも先に、鷺ノ宮は言葉を続けた。
「私は、ちびっ子などではないわ。そう、そんな存在であるはずがないのよ。そうね、確かに同年代の平均的身長から比べてみれば、わずかばかり低いと言わざるを得ないかも知れないけれど、人間の成長期を言うものにはバラつきというものがあるのよ。そう、私は人よりほんの少し成長期が訪れるのが遅いだけでしかないのよ。わかったかしら和久?」
勿論わかるはずなどなかった。
「いやいや、ちょっと待て、今はそんなことについて討論してるときじゃないだろ!」
「いいえ。こういう事はその場ではっきりさせるべきものなのよ。さぁ、和久は私のことをちびっ子などと思っていたりしたのかしら?」
そう言って、鷺ノ宮は手に持っているスタンガンのスイッチに指をかけた。
バチバチバチという嫌な音と、何かが焦げる様な臭いがした……。
これは問いかけというよりも、脅迫といったほうが正しいに違いない、俺はそう思った。
「あ、当たり前だろ! おれは鷺ノ宮のことを、ちびっ子などと思った事は……ない……んじゃないかなぁ……多分、いや、きっと、ほとんど、ないと……言えなくもないし……。もし思ったことがあったとしても、それは悪気という成分が含まれてはいないし、むしろちびっ子でかわいらしいと言う好意的な意味がだなぁ、含まれているというわけで、つまり、あれだ!」
「そうなのね」
「そう! そういう事なんだよ!」
「好意的な意味ではありはすれども、ちびっ子だと思ってはいたわけね」
「え……」
こういう時、変に正直な自分の性格が恨めしいと思う。
その直後、俺の身体に電流というものが流れた。
流石に、電流の威力は調整してあったようで、先ほどの黒スーツを倒れこませたときほどのダメージはありはしなかった――が、しかし、全く痛くないわけなどあろうはずは無い。
軽くヘッドバンキングをしてしまいそうなくらいに、俺の身体は痺れはしたのだ。
「今度また私をちびっ子だ等と思いそうになったときには、今の電流の痛みを思い出すといいわ。もし、それで駄目だったときは……今の倍の電流で思い出させてあげるわ。その次にまたちびっ子だ等と思ったときには、更に倍の電流を流すわ」
「それでは、俺は思い出す前に死んでしまうんではなかろうか……」
「大丈夫よ、死ぬぎりぎりのラインで生かしておいてあげるわ」
「それのほうが余計辛いわ! いっそ一思いに殺せよ!」
「嫌よ」
「なんでだ!」
「私は、あなたを死なせはしないと約束したはずでしょ。その約束は絶対なのよ」
鷺ノ宮の目は、嘘を言っている目ではなかった。
この俺を死というものから守るという気持ちだけは真実であるのだと、俺は思うことが出来た。
しかし、それと俺に対して優しく振舞うという事は、全く持って別問題であるということも、俺は理解していた。
こんな風に、俺たちがトンチキなやり取りをしている間にも、勿論時間というものは流れていて、状況というものは変化するものだ。
こんなやり取りをしている間に、大神官は俺たちに向かって何かしらを言っていたようだが、俺の耳にはその言葉は届いてはいなかった。
俺の耳は、鷺ノ宮の言葉だけで手一杯で、他の言葉を聴く余裕など無かったからだ。
まぁ、返答一つで、感電による半殺しにされかねないのだから、これはこれで仕方の無いことだといえよう。
「えぇい! なんなのですか! いったいなんなのですか貴女は! どうやってここに入ってきたのですか! どうしてここに居るのですか! てか、私の話を聴きなさい! わ、私は恐れ多くも大神官ロンベルク鈴木なのですよ! ねぇ、ほんとこっちの話を聴けよ! きけよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
俺の耳がやっと大神官の悲痛な叫びとも言える言葉に反応したころには、完全に声はかれてしまい、しゃがれ声となっていた。
俺が大神官の声に反応したのに呼応して、鷺ノ宮もようやく大神官に目を向けた。
そして、大神官の顔を一瞥すると、開口ざまに慇懃無礼な口調で呼びつけた。
「あなた、そう、そこの顔に比べて分不相応な衣服をまとっているあなた」
それは勿論、大神官の事を指しているに他ならない。
当然、その様な呼ばれ方をして、平静を保つような大神官ではありはしない。と言うか、それ以前の時点で、当に平成などというものは失っていたのだが。
「な、なんだと! この小娘が! 無礼だ、全く持って無礼だ! 無礼極まりない!」
その言葉に、鷺ノ宮は両の手でわざとらしく耳を閉ざしてみせた。
「鳥のようにくちばしを尖らせて、キィーキィーと喚き立てないでもらえるかしら? もし、私と会話をしたいのであるならば、そんな動物の鳴き声でなく、ちゃんとした発音の、ちゃんとした日本語で話しかけてもらいたいのだけれど。残念ながら、私は人間以外の言葉を学んではいないのだから」
「うきぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
大神官は、まさに人間とは思えないような奇声を発した。
「あら、どうやら本当に人間ではなかったようね。人間のような服装をしているから、人間だと思って接してみたのだけれど、やっぱり言葉の通じない野生動物だったようね」
「おい、鷺ノ宮……。なんか、俺の立場的にはこういう風に思うのはどうかとは思うんだが、なんかあいつがかわいそうになってきたぞ」
「あら、和久。和久は動物愛護の精神を持ち合わせているようね。けれど、和久、あなたに哀れまれる立場の動物の気持ちも考えてあげたほうがいいと思うわ。ニートで惰眠を貪るしか能のない存在に、哀れまれるなんて、それはそれはとてもかわいそうな事だと思うの」
「……俺は、俺は、他者に対して哀願の気持ちを抱くことすら出来ない存在なのかぁぁあ!!」
「あら、一つ賢くなったじゃない。褒めてあげるわ」
「これほど、褒められて嬉しくない事がそうあるだろうか……」
俺は背中を丸めては、小さくなってうなだれてみた。
その俺の頭に、小さくて柔らかい、お人形のような白い手が乗せられた。
頭に乗せられた手は、撫でるわけでもなく、ただ俺の頭の上に乗せられていた。
それの持つ意味を、俺は理解し得なかった。
唯一つわかっていた事は、俺が身体を丸めなければ、慎重的に俺の頭に鷺ノ宮の手が届く事はないということだ。
何故ならば、鷺ノ宮はちびっ子だからだ。
と、思考したところで、俺はビクッと身体を仰け反らせた。
勿論、俺の思考を何時ものように読み取った鷺ノ宮からの、電流攻撃に怯えての動きであったのだが、数秒たっても電流が流される事はなかった。
鷺ノ宮の手は、スタンガンのスイッチにかけられることはなく、まだ俺の頭の上に置かれたままだった。
手からは滲み出すように、温もりという熱が伝わってきては、俺の頭に不思議な安心感を与えてくれた。
俺は何故か、顔を上げられないでいる。
顔を上げて、鷺ノ宮の表情を見るの事ができないでいる。
それは何故なのか?
少しばかり、訳も無く俺の瞳が潤んでしまっているせいだろうか……。
それとも、別の何か、何かの感情が、俺の心の奥底にある扉から漏れ出してきてしまっているからだろうか……。
「えぇい! なんだなんだ! ここにはなぁ、お前ら二人だけしかいないわけじゃないんだよ! いるんだよ、ここには私もいるんだよ! この大神官ロンベルク鈴木様がいらっしゃってるんだよ! それをちゃんと認識していただきたい! 理解していただきたいぃぃぃぃ!」
大神官は、床に目掛けて穴が開きそうなほど強烈な地団駄を繰り返しながら、こめかみの血管がプチプチと数本切れそうな勢いで言葉をぶつけた。
「あら、まだ野生動物が部屋の中にいたようね。飼育員を呼んでちゃんと檻の中に入れてもらわないといけないわね。飼育員には、逃げ出させないようにしっかりと檻に鍵をかけてもらわないとね」
「誰が野生動物だ!」
大神官は今にも目からビームを発射しかねないほどの勢いで、鷺ノ宮を睨みつけた。
「目を合わさないでくれるかしら、とても不快な気持ちになってしまうから……。あぁ、人語を解さない野生動物に、日本語で言っても意味のない事だったかしら……」
「ウキャアアアアアアアアアア! わ、私はぁ動物などではないんだギャァァァァァ!」
両手をバサバサと羽ばたかすように上下させながら叫ぶその姿は、何処の誰が見ても、まごうことなき野生動物そのものであった。
鷺ノ宮はスタンガンなど用いずとも、完全にこの野生動物と化した大神官よりも上を行っていた。
実際の状況を冷静に分析してみれば、俺と鷺ノ宮にとって、なんら有利な状況で無いのは揺るぎの無い真実だった。
なのに何故だか、鷺ノ宮の顔を見てからと言うもの、俺の直感から恐怖と言うものが消え去っていた。
もしかすれば、命を奪われてしまうかも知れない、そんな切羽詰った感覚が欠落してしまっているのだ。
目の前には、大神官と武装した黒スーツの男が二人。
腕力で勝つのは勿論、鷺ノ宮のスタンガンを用いたところで、銃を持っている相手にかなうわけもなかった。
一つ有利な点があるとすれば、大神官は激昂して正気を失っており、まともな命令を黒スーツに出せないでいるところ位だろうか。
「和久、ところでさっきから気になって仕方の無いことが一つあるのだけれど」
「なんだ? と言うか、こんな異質な状況下で気になることが一つしかない方が、俺としては不思議だがな」
「あそこに倒れている、胸にばかり大量の脂肪がついた女性は、どうしてああもふしだらな衣服を身にまとっているのかしら? いいえ、身にまとっているのかどうかすらも怪しいと言ったほうがいいのかしら?」
「へ?」
鷺ノ宮の指差した方向に倒れているのは、中条さんであり、中条さんの巫女装束は、すでに巫女装束などと呼べる代物ではなく、ただの布きれと化していた。
故に、身体の見えちゃ不味い所が、あちらこちらと露出され、健全な男子が直視することが出来ないような、あられもない姿となっているのである。
「和久、あれは何がどうしてああなったのか、とても詳しく聞きたいところなのだけれど」
「待て! 一つだけ言わせてくれ! ああなったのは、俺のせいではない! 本当だ!」
「そう、そうよね。和久は、あんなただの脂肪の塊になんて興味を持つはずなど無いものね」
「何を言うか! おっぱいは世界の宝だ! ――ハッ!?」
男には譲れないことが一つはあるものだ。
俺にとって譲れないこと、それはおっぱいを汚されることだ!
聖乳様と崇め奉っていたあの中条さんの胸を、ただの脂肪の塊などととんでもない事だ!
そんな事に俺が納得できるわけが無い!
「そうなの、まぁ私には何の関係もないことなのだけれどね」
そう言う鷺ノ宮の指は、しっかりとスタンガンのスイッチを深く押し込んでいた。
俺は間違ってはいないのだ! 首をカクンカクンと3度ほど振りながら俺はそう思った。
この事については、引き下がるわけにはいけないのだ、俺はおっぱいが大好きなのだから!!
「とにかく、あの女性を辱めたのは、和久ではなく、あの野生動物たちだということなのね。まぁ、それはそれは躾のなっていない事だわ」
「まぁ、間違ってはいないのだが、そんな挑発的なことを言うとだな……」
すでに、幾らか白目をむきかけ、口からカニのように泡を吹きかけるほどに、常軌を逸した怒りで我を忘れている大神官の姿がそこにはあった。
「誰が誰が誰が誰が誰がだれがぁぁぁぁぁ野生動物だァァァ! 誰がハゲ頭だァァァァ! 誰がズラだァァァ! この俺様は大神官なんだ! 偉いんだ、凄いんだ、みんな俺を崇め奉り、足元に跪くべきなのだァァ!! そう、そこにいる小生意気なチビ女もそうなるべきなのダァァァ!」
口から大量の唾を飛び散らせながら、わめき散らすと、大神官は懐をまさぐると鞭を取り出した。
一体どうして鞭などと言うものを携帯していたのか?
まぁこのドSな性格から考えるに、信者を調教する目的のために鞭を携帯していたとしてもなんらおかしくは無い。
大神官は、俺たちの鼻先に向けて、威嚇するかのように鞭を数度しならせた。
耳障りな風斬り音が、ピシピシと鼓膜を刺激する。
さしものスタンガンも、相手の間合いにはいらなければ使用することはできない。
その為には、この鞭をかいくぐらなければならないのだ。
更に、もし今大神官が黒スーツに一声かければ、銃と言うリーサルウェポンを投入することすらも可能なのだ。
だが、この大神官は鷺ノ宮を鞭で屈服されることにこだわった。
小生意気な女を、調教する。それこそが、それのみがこの大神官のドS心を満足させる唯一の方法なのに違いないからだ。
「和久、今あのエテコウが何を口にしたか聞いていたかしら……」
「え……」
「チビ女……。確かにそう聞こえたわ。いいえ、人語ではなく、動物の鳴き声なのだから、本当はどういう意味になるのかわかりはしないのだけれど、私の耳には『チビ女』と間違いなく聞こえたのよ」
鷺ノ宮の長い黒髪が、まるで静電気でも帯びているかのように、ゾワゾワと震えだすのがわかった。
俺はこの時、鷺ノ宮の身体を伝って出る波動から、殺意と言うものを肌にヒシヒシと感じていた。
俺の手がドリルならば、今ここに穴を掘って隠れてしまいたいと言う気持ちでいっぱいだった。
惜しい、俺の手がドリルでないのが口惜しい……。
そんな妄想をしている俺のすぐ横で、マックスパワーへと調整されたスタンガンがビリビリと火花を散らすのが目に入った。
この大神官という男は、今サインをしてしまったのだ。
自分の死刑執行書という書類に……。
続く。