黒い扉
「それじゃ、碓氷さんも、聖母神オフィーリア様を信仰なさってくれるんですね?」
「はい! 信仰しちゃいます! しまくります!」
今の俺は、何もかも疑う事などなかっただろう。
すべての心のけがれは、この聖乳様によって浄化されてしまったのだから。
言い換えれば、俺はオフィーリアを信仰するのではなく、中条さんの聖乳を信仰したいというのが正しいところだろう。
まぁ、この宗教に入信すれば、毎日中条さんのこの巫女装束を眼にすることが出来るのだ。
それは即ち、幸せではないか?
はい、幸せです。
これだけで、俺は幸せにあふれてしまうのではないか?
はい、いろんなものが溢れまくってきます。
さらに、さらにだ、二人で信仰を深める間に、二人の間の親交も深まっていってだな、ゆくゆくはこう男女の仲へと発展していき、この聖乳様を俺の手でむにゅむにゅ……。
「むにゅむにっ」
「ど、どうしちゃったんですかぁ? むにゅってなんですかぁ?」
「はっ!?」
危うく妄想の世界へと深くダイブしてしまうところだった。
「いや、あれだよ! む、むにゅってのは、こう語尾につけたらかわいいかなかって!」
「語尾にですかぁ?」
「今日はいい天気むにゅ! とか」
苦しい……。言い訳するにしても、これほど苦しい言い訳があっただろうか。
しかし、中条さんなら……中条さんなら、この言い訳でも乗り切れるかもしれない。
そこには、いぶかしげな表情でこちらをみる中条さんが存在していた。
「……」
「……」
無言になる二人がそこに居た。
そう乗り切れることは出来なかったのだ……。
「あっはははは、まぁそんな冗談はおいておいて――」
「碓氷さん! それとってもかわいいかも!」
「へっ?」
「それとってもかわいいむにゅ」
「はぁ?!」
両手でこぶしを作り、あごの下にあて、さらに小首をすこしかしげる。そんなポーズまでつけて、満面の笑顔の中条さんがそこに居た。
どうやら、先ほどの無言の間は、俺の苦しい言い訳にあきれていたのでは無く、この『むにゅ』をどう効果的に使えばいいのかを考えていた間だったらしい。
「どうむにゅ?」
「あ、あはははは……。とっても、かわいらしいんじゃないかな……」
「てへへっむにゅ」
「でも、さすがにこういう大聖堂とかのなかで、そういう言葉使いは、よくないんじゃないかなぁ~なんて思ったりもして」
自分で、語尾につけるんだ! と言っておきながら、この言い草はどうかと思いはしたのだが、俺たちの周りに居る数人の信者から、まるでかわいそうな子を見るような目を向けられているのが辛かったのだ。
「あっ、そうですよねぇ。私ってば、碓氷さんが入信してくれて、ついつい浮かれちゃって、えへへっ」
中条さんは、本当に素直に喜んでいてくれたのだと思う。
こんなふしだらな気持ちで入信した俺だというのに、この子は何一つとして疑ってなど居ないのだろう。
素直な笑顔、俺はついつい中条さんのそんな表情に見とれてしまっていた。
勿論、聖乳はとんでもなく魅力的だ。
けれど、この何者をも疑わない、この笑顔も、中条さんの大きな魅力の一つであると、俺は思った。
俺は中条さんの案内するままに、このとてつもなく広い大聖堂の中を歩き回った。
しかし、案内をしているはずの中条さんなのだが、五回に四回は道に迷うほどであり、もはや案内と呼べるのかどうかすら疑わしいところだった……。
「えへへっ。私ってば、方向音痴なんですぅ。今まで何回も迷子になって泣きそうになったことがあるんですよぉ」
「な、なるほど……」
その方向音痴に、今案内をしてもらっている俺というのは、とてつもなく危険な立場ではないのかと、背中に冷たいものを感じた。
「さっきも、オフィーリア様の前を待ち合わせにしたのは、流石の私でも、あれだけ目立つ場所なら迷わないでいけるからだったりするんです。えへへっ」
それ以前に、親愛なるオフィーリア様の場所を忘れてしまうというのは、信仰している立場からしてどうなのかと思いはしたが、それは黙っておくことにした。
それに、長時間道に迷うということは、長時間あの素敵な巫女装束と聖乳を見ていられる事になるので、俺としては問題が無いと言うより、むしろドンと来いなところだった。
「んで、今俺たちは何処に向かってるわけ?」
「えっとぉ、新しく入信した信者さんのために、レクチャーを受けさせてくれるお部屋があるんですよぉ。そこに向かっている……はずなんですけどぉ」
どうやら、向かってはいるらしいが、今向かっている方向が正しいかどうかは、かなり疑わしい感じだった。
「誰かに道を聞いたほうがいいんじゃ……」
「大丈夫です! 臼井さんは私が始めて勧誘できた人なんですから、絶対に私が一人でちゃ~んとお連れします!」
中条さんは胸をボンと力強く叩くと、強気に息巻いて見せた。
そんな姿は、中条さんらしくないといえばそうなのだろうが、これは彼女なりの頑張りの表れではないのかと、俺は思う事にした。
それ以前に、胸元を叩いたときに起こった聖乳のウェーブのほうに気が取られていたことは言うまでも無かった。
「よしっ、多分こっちを右! そして、こっちの曲がり角を左……じゃなくて、右? う~んとぉ」
いつの間にか、俺と中条さんは人気の無い細い道に迷い込んでしまっていた。
先ほどまでの、大勢の信者が何処に消えてしまったのかというほどに、人の気配が無かった。
「あれれれ、ここを右に曲がった先に、あったはずなんだけどぉ。どうしちゃったんだろぉ、消えちゃったのかなぁ……」
手に持った地図のようなものとにらめっこを続ける中条さんには、少し前に胸をぽんとたたいて見せた強気さは消え去っていた。
「うぅぅ、意地悪しないで、でてきてくれればいいのにぃぃ」
きっと探している場所は、意地悪もしていなければ、隠れても居ないだけであり、俺たちがただそれとは違う方向に進んできただけだった……。
「まぁまぁ、そんなにあせらなくてもさ。まぁのんびり行こうよ」
俺は中条さんをいたわりの声をかける振りをして、さりげなく肩に手を触れようと試みた。
その試みは、あっけなく成功を収めることが出来た。
「ごめんなさぁい……。私ってば、ドジで……」
中条さんは、俺の手が肩に触れていることにまるで気がつかないほどに、落ち込んでいた。
その姿は、まるであのバイト先に居たときのように見えた。
これはチャンスなのかもしれない。
こういう落ち込んでいるときに、さりげない優しさを見せ付け、そこからなし崩し的に男女の仲へと……。
俺は肩に触れていた手に力を入れ、中条さんの身体を引っ張るようにグイっと、自分のほうに向けた。
中条さんは、何の抵抗も無く、俺と向き合う。
目が合う二人の男女。
そして、ここは俺たち以外周りには誰も居ない。
そうなれば、ここですることは決まっている。
キス
だろう! ここはそうだろう!
俺はあせる気持ちを、抑えることなどせずに、突撃するかのように中条さんの唇をめざして一直線に……。
そして、その進んだ直線上に、中条さんの唇は存在しては居なかった。
「そうだ! こっちです!」
中条さんは、俺の唇をさらりとかわすと、またまた路地の奥へと足を勧めていった。
俺は中条さんの後ろにあった壁と、熱い口付けを交わすことと相成った。
「きっとこっちですよぉ~」
中条さんは、そう言って俺に手招きをしながら、その場でピョンピョンと跳ねていた。
まるで別の生き物のように、聖乳様も豪快に動いていた。
「はぁ……」
俺はこの聖乳様を目に出来るだけで充分だと妥協すべきなのかもしれない。
なぜならば、中条さんの目には、きっと俺がキスをしようとした姿など一片たりとも映ってはいなかったに違いないからだ。
中条さんは、俺のそんな行為、そんな心を見ては居ない。
中条さんは、俺を信者の一人としてしか見ては居ないのだ。
ゆえに、それ以外の行動は、目に映りはしない。
だからこそ、俺が肩に触れようと、気にもしない。
二人がすぐ近くの距離で、見詰め合っていると思っていたときですら、彼女の瞳には、俺の姿は映ってはいなかったはずだ。
「はやく、はやくぅ~碓氷さんこっちですぉ~」
俺は中条さんの呼びかけに答えて足をすすめた。
そこから進むこと、更に五分。
これ以上、もう奥は無いだろうという所に、俺たちはたどり着いた。
そこには扉が一つあった。
真っ白な壁に挟まれた通路の先に、真っ黒な扉が一つ。
扉の前には、筋骨隆々という言葉が良く似合いそうな男が二人たっていた。
サングラスにいかついスーツのいでたちは、お世辞にも大聖堂の雰囲気に似合っているとはいえず、良く言えばまるでどこかの大統領のセキュリティ、悪く言えば暴力団員といったところだった。
「あはははっ、きっとあそこです。間違いありませんよぉ」
「ちょっと待て!」
確実にそこではないと、俺の直感が告げていた。
しかし、走り出した聖乳さまはその揺れが止まらぬように、中条さんも止まりはしなかった。
勿論、ドアの周りを警護していた二人は、中条さんを止めるように動いた。
しかし、よく考えてみろ。
いきなり満面の笑顔のセクシーな巫女装束の女が、ブルンブルンと聖乳様を震わせて走ってくれば、誰だってこの状況を理解するのに時間が掛かるというものだ。
そして、この時は、そのタイムロスがすべてを決してしまった。
そう、中条さんは、偶然ともいえる動きでその二人のかいくぐり、その扉を、黒い扉を開けてしまったのだ。
続く。
仕事に行く時間なので、中途半端だけど、一応アップ・・・・・
また後日なおしておきます・・・・