誕生 大聖母乳様
アップテンポで軽快なメロディーを吐き出す俺の着信音は、この祈りに静まり返っているこの場所を汚しているかのような気がした。
だからだろうか、俺はその着信音を消すためにも、急いで電話に出る必要があった。
しかしだ、急げば急ぐほどに、その行動が遅れてしまうこともよくあるわけで、結果俺は焦りのせいで、着信ボタンを2度ほど押し間違えた。
そんな状況下、その着信相手が誰であるかなど、確認できていなかったとしてもしかたないわけだ。
「はい、もしもし」
俺は、相手が誰であるか知らぬままに、適当に言葉を発した。
『和久! 和久! 和久!』
携帯電話のスピーカーからとは思えないほどの、大音量が俺の耳に鳴り響いた。
「なんだなんだ、どでかい声で俺の名前連呼しやがって!」
『良かった。あなた本当に和久なのね? 落ちているゴミを拾い食いして、惨めにその場に倒れこんだあげく、誰からも助けの手を差し伸べられる事無く、ズタボロの屍になりはてた愚かな和久の携帯を拾った、浮浪者などではないのね』
「どうして、俺がゴミを拾い食いして屍になってなきゃいかんのだ! ――って、お前鷺ノ宮か?」
『あら、心外だわ。最初の第一声でわかってもらいたかったわね』
「それを言うなら、こっちの第一声で俺が和久本人だってわかれよ!」
『嫌だわ! お断りだわ! 断固拒否だわ!』
「なんで、そんなところを三度にわたって否定する必要があるんだよ……」
『そんな事はどうでもいいのよ。それより和久、あなたコンビニの郵便ポストにくだらない冗談を言いに行っているだけにしては、やけに帰りが遅いと思うのだけれど』
「えっ! いや、あの、その、あれだ!」
『どう考えても、いまコンビニにいたりはしていないわよね?』
「おいおい、ちょっと待てよ、どう考えても俺はコンビニにいるってっば! そして郵便ポストを、まるで漫才の相方のようにみたててだな、二時間にも及ぶライブに挑戦中なんだよ」
『……もしそれが本当だとしたら、それはとうていまともな神経を持つ人間の行う所業ではないと思うのだけれど。今すぐにコンビニを後にして精神病院に向かうことをお勧めするわ』
「うっせぇ!!」
俺は思わず、大きな声で叫んでいた。
その叫び声が、俺の周りでオフィーリアに向かい静かに祈りを捧げる信者たちを邪魔してしまっていたことは一目瞭然だった。
まるで、哀れな子羊でも見るかのような視線を、約数十個向けられた俺は、えへへと照れ笑い愛想笑いの連続技を繰り出して、その場を収集させようとした。
『……いきなり怒鳴ったかと思えば、今度はヘラヘラと笑い出したりして、本当に精神に異常をきたしたのかしら? 前々からいつ均衡が崩れてもおかしくない位の危ういレベルだとは思っていたのだけれど、ここまで進行していただなんて……』
「前々からってなんだよ! お前は、いつもそんな目で俺を見ていたのかよっ!」
『そうね、八割がたは脳に電極を刺された憐れなモルモットを見るような目で見ていたわ』
「どんなだよ! お前にこの聖母神オフィーリア様の慈愛の一つでもわけてやりたいよ!!」
『聖母神オフィーリア?』
「え? い、いや! な、なんでもない! とにかく、今ちょっと電話できない場所に居るんだよ。そんなわけできるからな」
『待って、和久。オフィーリアって――』
俺は、鷺ノ宮の言葉を最後まで聞かずに、通話終了ボタンを押した。
そして、すぐ直後に掛かってくるであろう鷺ノ宮からの次の着信から逃れるために、電源を消すと、俺はオフィーリア像を見上げてため息を一つついた。
オフィーリアは、そんな俺を見て、少し苦笑いをしているようにも見えた。
――オフィーリアさん、あの鷺ノ宮にもうちょっと、女らしさと言うか、いたわりの心って奴を持つようにしてもらえませんかねぇ。そうすりゃ、もう少しかわいらしくなると思うんですよ。
信者になったわけでもないのに、無意識にこのオフィーリア像に願いのようなものをしてしまっている自分が滑稽だった。
鷺ノ宮との電話の後、先ほどから感じていた親近感は、さらに深さを強めていた。
しかし、携帯を持たない鷺ノ宮はどうやって俺に電話を掛けてきたのだろうか?
その疑問は着信を確認することで、容易く解けた。
着信は公衆電話からのものだった。
わざわざ俺に電話をするために、公衆電話を探す鷺ノ宮の姿を想像すると、それはそれは滑稽に思えた。
それと同時に、その行動がどれだけ俺を心配してくれているのかも想像できてしまう。
あいつは、何だかんだと俺を罵倒しながらも、いくらかの慈悲を俺に注いでくれてはいるのだ。
それは、今の俺からすればとてつもなくありがたいことであり、感謝すべきことであることは、わかっている。
わかってはいるが、毎度毎度のあの口調、あの態度では、素直に感謝の言葉一つを鷺ノ宮に送る事ですら苦難の道であろう。
「碓氷さん、おまたせしましたぁ~」
俺の後ろから聞こえたその言葉、それはすでに眩いばかりのオーラを秘めていた。
そう、今までは内包されたオーラでしかなかった。しかし、今は離れていても、目にしていなくも、空気の振動を伝って俺の脳に直接響くほどの強烈なオーラだ。
俺は、唾を飲み込みながら、その声の主の方角に向かい、全身の体重をかけ最大限の遠心力を利用して、高速スピンせんほどに振り返った。
そこに存在したものは、そこで俺の目に入ったものは!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ! ジェロニモォー!」
叫んだ! ここで叫ばなければ、俺のこの人生の中でいつ叫ぶのか、と言うほどに叫んだ。
何故叫んだのか? それは、そうせざるをえない物体がここに存在しているからだ。
「えっえっ? 碓氷さん、いきなりどうしちゃったんですかぁ?」
どうしたもこうしたもないのである。
俺の目の前に立つのは、まさに女神、そう乳の女神! 乳の化身! そう呼ぶにふさわしい存在だった。
きゅっと締めたウェストラインのせいで、さらにもちあげられ強調されたバストライン。それは戦車砲をも上回る破壊力で俺のハートを狙い打つ。さらには、いいのか! これはいいのか! いや、悪いはずがない! と言わんばかりに谷間さんがこっちに向けてこんにちは! してしまっているではないか! そのとてつもない深い深い胸の谷間の渓谷は、すべてを引きずり込んでしまうブラックホールの如く、俺の視線をひきつけては離しはしない!
すでに、視線どころか俺の魂そのものがその谷間から発生する強力な重力にひかれて、吸い込まれてしまいそうだった。
さらに、これは私の憶測の域をではしないのだが、この胸のラインはノーブラである可能性すら秘めているのだ!!
「わが人生に一片の悔い無し!!」
この時ほど、この世に生を与えてくれた両親に感謝したことはなかった。
「えぇ~っとぉ。なんだかよくわからないんですけどぉ?」
中条さんは、つぶらなお目目をぱちくりさせ、クエスチョンマークを頭上に三つほどグルグル回させながらながら、不思議そうに俺を見ていた。
「いやいや、その巫女装束があまりにも似合っていらっしゃるので、ついつい感動してしまっただけなのでございます! 本当にありがとうございます!」
俺の眼にはすでに涙が溢れかけていた。それは熱い涙、まさに感涙なのだ。
「どうして敬語になっているんですかぁ~?」
「すまない、なんだかわからないけど、尊敬に値する存在だなぁと思ってしまって、ついつい」
「へんな、碓氷さん。うふふふっ」
どうやら中条さんは、自分の巫女衣装が褒められたことに喜んでいるようだった。
「本当に似合うよ! これは中条さんが着るために特注でデザインされたようなものだよ!」
「てへへっ、お世辞でもそんなに褒められたら、喜んじゃいますよぉ」
中条さんは、頬を少し赤く染めると、その場でくるりと華麗にターンを決め――ようとして、足をもつれさせて、その場に倒れこんでしまった。
「だ、大丈夫? ――!!」
助け起こそうと、俺が手を差し伸べた瞬間、俺の身体の中に血液が沸騰しかける音が聞こえた。
なぜならば、中条さんは、倒れた拍子に衣装がはだけてしまい……。なんというか、その、お胸様が、3分の2ほどお顔をお見せになさっていいらっしゃったのだああああああ!!
まぁるいまぁるいまんまるいぼぉーんのようなぁ胸がー! 混乱を極めた俺は心の中で歌っていた。
「どうしたんですかぁ?」
中条さんは自分の服装がどういう状態であるかに、いまだ気がついていないようだった。
できることなら、もう少しの間気がついて欲しくないものだと、俺は神に祈った。
今のこの一秒間は、金よりもプラチナよりも重い!
しかし、俺の目のみならぬ、全身の毛穴から発せられるエロティカル熱視線は、鈍感な中条さん相手でも隠し切ることは出来なかった。粘りつくような視線に気がついた中条さんは、やっと自分の置かれている現状を理解した。
「きゃっ」
中条さんは、あわてて身をひねる様にして、露出された胸元を隠した。
そして、俺を睨んで見せたのだが、もともとほんわかとした表情の中条さんが睨んだ目線というのは、これまたかわいらしいものであり、俺は更に興奮度をアップさせていた。
「もぉ~お嫁にいけないよぉ~……」
そう呟く中条さんに、俺は心の中で『それなら全力をあげて俺が嫁に貰います! まぁニートですけど!』と答えていた。
中条さんは、胸元を念入りに直して立ち上がると、俺を見据えて一言こう言った。
「碓氷さんの、えっちぃ!!」
この一言に、俺の中で何かが芽生えた。
思えば学生時代、こんなシチュエーションにどれだけ憧れたことか。そして、どれだけ焦がれてもそんな状況が訪れることはなかった。
それが今ここに、現実として存在しているのだ!
これは奇跡ではないのか? まさに奇跡! そう神の奇跡なのだ。
聖母神オフォリーリア様ありがとう。私、碓氷和久は神のご加護と言うものを今身をもって知りました。
「もぉ~えっちの罰金として、こうなったらぜぇ~ったいに聖母神オフィーリア様を信仰してもらうんですからねっ」
「はい!」
「ふぇ?」
「はい! この碓氷和久、聖母神オフィーリア様を信仰させていただきます!」
ここに、ミイラ取りが完全にミイラになった男、碓氷和久が誕生した。
しかし、俺は何一つとして後悔などしていない!
もはや、中条さんの乳は魔乳などではない。パワーアップした大魔乳ですらない。
そう、中条さんの乳は聖乳なのだ! 大聖母乳様なのだ!
もはや、なにを疑う必要があろうか!
大魔乳からは逃げられない。
そして、大聖母乳様からは、逃げるどころか、自ら頭を下げてかしずくほどの存在なのだ。
続く。