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鬼女と肉

「間違いないと思うのだけど、あなたはきっと馬鹿ですよね? だから、馬鹿でもわかるように説明をしますけれどいいかしら?」

「お前……。年上の男を捕まえて、よくもそう易々と馬鹿呼ばわりが出来るもんだな、感心するわ」

「あら、感心されてしまったわ。馬鹿に感心してもらってもあまり嬉しいとは思えないのだけれど……」

「お前には、皮肉というものが通じないのか……」

「ごめんなさい、馬鹿が皮肉などという表現方法を知っているとは思っていなくて……」

 俺は頭を抱えた。

もし俺の目の前に立っているのが、女子高生でないのであれば、強力な右フックを食らわし、さらに連続でみぞおちに蹴りを叩き込んでいた事だろう。

「そうだわ」

 不意に思いついたかのように、その女は声を上げた。

「せっかく自己紹介をしたというのに、お互いの名前を呼び合ってはいなかったわ。碓氷うすい人生さんでしたっけ?」

「貴様は、どこまで行ってもこの俺を小馬鹿にしたくてたまらないんだな」

 そう言った刹那、俺のオデコに痛みが走った。ほんの少しばかりの熱を感じる。

 それは、そいつの放ったデコピンによるものだった。

「貴様じゃないわ。鷺ノ宮千歳さぎのみやちとせよ」

 腰に手を当てて、俺を見下ろそうとするのだが、実際の所、俺と鷺ノ宮との身長差は軽く二十センチは離れているので、結構お間抜けなアングルに見えてしまう。

「わかったよ。それで、鷺ノ宮『死の運命』とはどういう意味なのか教えてもらえませんか?」

 その瞬間、またしても俺のオデコに小気味いいぺチンという音がこだまする。

「名字といえども呼び捨てにされるのには、少しばかり嫌悪感を抱いてしまうけれど、一応生物的に年齢を重ねている相手なので、特別に許す事にします」

 名前を呼んだら呼んだでこの言われようだ。まぁ曲がりなりにも年上だと思ってもらえているだけでも、幸いと思っておくべきか。

「とにかく良かったわ。やっと話が本題に戻れる」

 どっちが話をそらしていたんだよ! との突っ込みたい衝動を俺は必死に引っ込めた。何故ならば、今ここで突っ込みを入れてしまえば、さらにいつ終わる事の無い不毛な会話がエンドレスで続くに違いないからだ。

 鷺ノ宮は、大きく息を一回吸い込むと、ゆっくりとその吸い込んだ空気を吐き出した。

 そして、俺のオデコにまたしても一発デコビンをかますと、まるで人形のように抑揚の無い言葉を吐き出したのだった。


「生まれたときから決められていて、誰も抗う事が出来ないもの、それが『運命』。ゆえに、『死の運命』とは、けして逃れる事の出来ない死の螺旋。もし一度、偶然にも逃れる事が出来たとしても、それはいつまでのあなたを追い続けていく、どこまでもどこまでも。そして、最後にはあなたを死の世界へといざなってしまう」

「おい、ちょっと待てよ!」

「あら、なにを待てばいいのかしら?」

「って事は、俺は今あの落ちてきた看板から逃れる事が出来たけれど、またすぐに死んじまうような事故に会うってことなのか?」

「いいえ、事故にあうとは限らないわ。急に病気になるかもしれないし、誰かに殺されるかもしれない、自然災害に巻き込まれるという事も考えられるわね」

「どっちにしろ、死んじまうってことじゃねぇかよ!」

「あと、これはとても重要な事なのだけれど、その『死の運命』は次いつやってくるかはわからないということなの。もしかすれば、当分はやってこないかもしれないし、逆にほんの数分後にもそれは現れるかもしれない」

「そして、お前はその『死の運命』とやらを見る事が出来るってわけか……」

「お前じゃないわ。鷺ノ宮千歳よ」

 一々変なところにこだわる女だった。

「んでだ、俺はこれからどうすればいいわけだ?」

「そうね、取りあえず今すぐに家に帰りなさい。――私と一緒に」

「そうか、家に帰ればいいんだな、おまえ……もとい鷺ノ宮と一緒に」

 俺はふとした言葉の違和感に気がつくまで、数秒を要した。

 そして、勿論こう叫んだのだった。

「なんでだよ! 何でお前と家に帰らにゃならんのだ! 意味がわかんねぇよ!」

「あら、見目麗しい女子高生を家に連れ帰る事に、何の不満があるというの?」

 その言葉に、俺は改めて鷺ノ宮の全身を上から下まで見つめなおしてみた。

 確かに、ナイスバディとはいえない貧相な胸回りではあるが、すらりと伸びた足、影があるが丹精に整った顔立ち、透き通るような白い肌、うむ、不満と言うべきところは見つかりはしなかった。

 その瞬間、今度はオデコではなく、俺の目、眼球に向けて、強烈な衝撃が走った。

 その痛みに、俺はその場にうずくまっては、まるで瀕死のカエルの様にのた打ち回ってしまう。

「和久、その醜いスケベ面で私を見る事を禁じます。もし、またそのような事をしたら、その両目がどうなっても知らないという事を覚えておいてね」

 さりげなく、下の名前を呼び捨てにされているんですけど、俺……。

「さぁ、行くわよ」

 俺は両目を押さえたまま、まだ地面にうずくまっていた。オデコと違って、目玉というものは硬くは出来ていないのだ。ゆえに、そのダメージたるや、オデコの比ではなかった。

 その人体の急所の一つの目を、こうも躊躇無く攻撃できるこの鷺ノ宮と言う女が恐ろしい。更に、痛みに苦しむ俺の事など完全放置で、自分の話を進めるところが更に鬼だと思えた。

 しかし、この鬼女のみが俺を『死の運命』とやらから、守れる存在であるならば、それに従うほか無いのだ。

 って、ちょっと待てよ!

 これからすぐに家に帰るってことは、俺のお肉さんと対面する事無く、腹をすかしたまま家路に着くって事だ。

 夢にまで見た、お肉さん。

 今日という日が来るまで、脳内でのシミュレーションは完璧に行ってきた。

――まずは、タン塩を焼くだろ。そして、次にロースだ! 勿論ご飯は大盛りで頼んでおく、焼肉にご飯は必須アイテムなのだ。そして、やはり上カルビ! これをサンチュで巻いてだな……。うぉぉ、これぞ至福の瞬間。

 ここまで募った思いを消し去って、俺はこの鬼女と一緒に帰宅せねばならないのか?

 それにだ、冷静になって考えてみれば、あの看板はただの偶然だったという事も考えられるのではないだろうか?

 さらに、この女は怪しい宗教かなんかの勧誘で、俺をはめようとしているのかも知れない。

 とすると、今の落ちてきた看板だって、もとからの仕込であったということだって考えられる訳だ。

 そう考え出してみると、この鬼女は怪しい所だらけだ。

 俺はさっきの少しばかりエロの混ざった視線とは違う、猜疑心の篭った視線でこの鬼女を観察してみた。

 学校帰りでもないのに、何故かセーラ服、しかも何か古いタイプの感じの奴だ。いまどきらしからぬ化粧っ気のない顔。そして、この何者をも圧迫する言葉使い。うむ、怪しい、とても怪しいではないか、それ以前に俺はとてもお肉が食べたいじゃないか!

 このときの俺の思考は自分の命の大事さよりも、お肉を食べた時に味わえるであろう満足感の方が勝っていたと思える。

 そう、俺の脳内は、溢れんばかりの肉汁のジューシーさに占領されてしまっていたのだ。

「なにをしているの? それほどばかりに、眼球への攻撃が痛烈だったのかしら? 眼球が潰れないように手加減はしたつもりだったのけれど。それとも、もとから悪い頭が更に悪くでもなったのかしら」

 この俺への悪態が、このあとの行動を決定つけたといっても、過言ではなかった。

 俺はうずくまっていた体勢から、俊敏に立ち上がると、鬼女に向けてこう叫んだ。

「あ! お前スカートが破れてパンツみえているぞ!」

「え!?」

 その一瞬の動揺の隙を、俺は見逃しはしなかった。

 軸足に力を入れて、華麗にターンを決め、鬼女に背中を向けると、それからは全力猛ダッシュ! わき目も振らずに走って走って走りぬいた。

 夜の街の風景が、俺の周りをグルグルと流れた。俺は細かい路地を右に左にと、無意味に何度も曲がり、鬼女の追跡を振り切る事に成功した。

 まぁ、所詮は女の足だ。本気になって走った男の足に追いつけるはずも無い。

 しかも、パッと見、体力がありそうにはとても見えない奴だったのだから、余計楽勝だった。

「さてと……」

 俺は携帯電話で今の時間を確認した。

「よし、急げばまだ待ち合わせの時間に間に合うな。待っていろよ、俺の愛しのカルビちゃん!」

 俺は友人との待ち合わせ場所に向かうべく、身体に残された力を振り絞り更にダッシュをするのだった。

 肉の力恐るべし!




 俺は何とか友人との待ち合わせ場所に時間までにつくことが出来た。

 長時間走ったせいで、全身汗まみれ、足腰はガタガタ、さらにお腹と背中がいつくっついてもおかしくないほどの空腹感にみまわれていた。

 今ならば、食欲のために人の一人でも殺せそうだった。

 

 待ち合わせ場所は、何故だか繁華街からは少し離れた、人気が少なく、街灯もまばらにしかないような暗い場所だった。

――うーむ、何故にこんな場所で待ち合わせなのだろうか? いや、待てよ! こういう寂れた場所にこそ、隠れた名店と言うものがあるのではなかろうか! 秘伝のタレとか、産地直輸入の鮮度最高の肉とか、そういうものを出してくれる店があるのではないだろうか! ぐっふっふっふ、いやがうえにも期待が募るぜ!

 そんな思いに浸ること数分、待ち合わせの相手はやってきた。

「やあやあ、久しぶり」

 そう言って、俺に握手を求める友人ではあったが、正直俺はこいつが誰なのかさっぱり思い出す事が出来なかった。

「お、おう! ひさしぶりだよなぁ! あの時以来だよなぁ、元気してたかぁ?」

 などと、適当に受け答えをしてみるも、俺の脳内にある記憶の小箱からは、こいつとの思い出などなに一つたりとも出てきてはくれなかった。

 ただ、俺にわかることは、この高校時代の友人と言う男は、妙に落ち着きが無かった。

 何かソワソワとして周りの様子を気にしては、キョロキョロと左右に視線を配らせていた。

――どうして、こいつはこんなにもあわただしいのだろうか?

 自然とそんな疑問が頭の中に芽生えたのだが。

――そうか! こいつも腹が減っているに違いない! 肉が食べたくて食べたくて身体がウズウズしているのだ!

 などという短絡的な結論に、俺はたどり着いてしまっていた。

 しかしこの男、結構腹が出ている恰幅のいい体格をしている割に妙に痩せこけた頬をしているし、更に目の下にも大きな隈が出来ていて不健康極まりない。まるで怪しい薬物をやっているか、とんでもなく肉に餓えているかのどちらかのようだ。

 ここで俺は、走り続けた事による疲労感と、極限の空腹もあり、なんの疑問もなく、こう思ってしまったのだ。

 とんでもなく肉に餓えている奴なのだと……。


 それが『死の運命』の続きであるとは微塵も感じる事無く……。

 

 

 


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