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魔乳襲来

 目が覚めれば、そこはいつもと少しばかり視点の違う世界だった。

 正確にはここ数日毎朝目にしていた風景と違っているというのが、正しいだろう。

 そう、俺の目覚める場所は台所であり、目に付くのは流し台だったり、冷蔵庫だったりというのが常だった。

 しかし、今俺は自分の部屋で目を覚ましている。これは感動すべきことだ。

――まてよ、これはひょっとして、俺は鷺ノさぎのみやと同じ部屋で夜を過ごしたということになってしまうわけなのか? そうかのか? そういうことなのか!

 そんな思考をしてしまうと、何処かしらに隠された俺の変なエンジンがスタートしてしまう。このエンジン、一度動き出したら、それはもうブルルンブルルンと……。

「私の視界から今すぐに消えてもらいたいくらい、気持ち悪い表情をするのはやめてほしいのだけれど」

 俺の視界に、いきなり鷺ノ宮の顔が入ってきた。

 そして、この悪態だ。

 しかし、この場合は鷺ノ宮の言っている言葉の内容は、おおむね間違っていないといっていいだろう。

 今、俺の目の前に鏡があったとすれば、自分の醜悪な表情に、どこかしらの鉄筋の柱に頭をガンガンと打ちつけたに違いないだろう。

 まぁ、救いになったのは、このアパートは木造であり鉄筋の柱など存在しない事と、俺が鏡を目にする前に鷺ノ宮に指摘をしてもらえたという事だ。

 俺は、頬を数度平手でピシャリと叩くと、その腕を組んで背伸びの運動をして見せた。

 勿論、この運動に意味などは無い。ただいまのこの俺のどうしようもない気恥ずかしさを隠すためのものだ。

「朝の体操もいいけれど、布団を片付けてしまいたいのだから、早くそこをどいてくれるかしら?」

「あ、あぁわかったよ」

 俺が立ち上がると同時に、俺の足元にあった布団は瞬時にたたまれてしまった。

 料理といい、こういう家事全般の手際の良さは、全く持って感心するの一言に尽きる。

――これであの怒涛の暴言攻めが無ければ……。

「掃除の手伝いをしないのなら、部屋から出て行ってほしいのだけれど? それとも、ゴミと一緒に袋につめて放り出されたいのかしら?」

「ちょっと朝の散歩してきます……」

 すごすごと部屋をあとにする、この部屋の主であるべき人間がここに居た。




 朝の冷たい空気が、眠っている頭を覚醒させてくれる。

 俺は、何の目的もなく近所をぶらぶらと歩いた。

 実際に、目的など存在していないのだから、それは仕方の無い事だと言えよう。

――バイトをやめてからの日々、俺はただ生きているだけなのかもしれない。

 俺は頭を左右に強く振った。

 バイトをしているときから、俺はただ無意味に生きているだけだったに違いない。

 何かをやらなければならない、なにかをやろう! そう思いながら、ただ思うだけで、無為に月日を浪費し続けてきた。

 その矢先に、『死の運命』という訳のわからぬものが、俺の人生に終焉を突きつけたわけだ。

 だから、俺は思う、思ってしまう。

 そいつを受け入れてしまっても、構わないんじゃないかと……。

 なのに、今のこの鷺ノ宮との不自然な日常を、俺は嫌ってはいない。むしろ、好んでしまっているといえる。

碓氷うすいさーん!」

「うわあっ」

 俺の背中に、なにか暖かいものが当たった。

 それが一体何であるか、それを判別するのに時間を要したが、とてもよい感触のものであるということは瞬時に理解した。

「えへへへっ、碓氷さん発見しましたよぉ」

「あ、あはははは、見つかっちゃった」

 俺の前の前に現れたのは『おっぱい』もとい中条桃子なかじょうももこ事、宗教おっぱい女だった。

「もぉー、あれからこの近所を散々探したんですよぉ。私、よく考えたら碓氷さんの電話番号も住所もなにもしらなくて……」

――そりゃそうだ、聞かれる前に逃げたのだから……。

「今日はお時間ありますか? もしよかったら、ロンベルク鈴木大神官様のありがたいお話を一緒に聴きにいきませんか?」

 屈託の無い笑顔を俺に向ける中条さん。しかし、俺はその笑顔を直視することが出来ずに、視線をそらす。

 そらした視線が、胸の位置に行ってしまったのは、本当に、全く持って、完全に、偶然である。

――相変わらず、このおっぱいは凶器だ! 魔乳だ! しかし……大好きだ!!

「あのぉ、どうかしたんですかぁ?」

 中条さんは、そんな少しばかり下向きかげんな俺の視線に強引にあわせるように、顔を向けてきた。

 ここまでされて、顔をそらしてはあまりにも不自然だ。名残惜しいが、俺はおっぱいとの別れを告げて、視線を中条さんの顔に戻した。

「いやぁ、どうもしないどうもしない。本当にどうもしないんだよ、どうかしてるわけが無いじゃないか。ちょっとばかり、首が痛かったような気がしていたんだけど、そんな事は無かった! うんうん、全くそんな事はなかったんだ!」

「そうですかぁ? それならいいんですけどぉ」

 こんな俺の適当な言い訳をすぐさま信じてしまう中条さん。だからこそ、怪しげな新興宗教にすぐはまってしまったに違いない。

「という訳で、という訳なんだよ!」

「ほへ? あの、碓氷さん、何がどういうわけなんですかぁ?」

 中条さんの頭の上にクエスチョンマークが3個ほど浮かんでは、くるくると頭上を回っていた。

「そんな訳で、あんな訳になってしまったんだよ!」

「え、え、え?!」

 さらに頭上のクエスチョンマークは増殖をし、いまや中条さんの頭上でラインダンスを踊るほどになっていた。

「ああ、それこれな訳だから、俺はもう行かないといけないんだぁ! だめだぁ! 地球の大ピンチだああ!」

「ほ、ほええ、そ、そうなんですか!?」

 クエスチョンマークはマイムマイムを踊っていた。

「じゃ、そういう訳なんで! またね!」

 俺は、おれ自身ですら、理解不能な言葉を残して、一目散にその場を去った。走った、疾走した!

 俺の背後には、段々小さくなっていく『おっぱい』もとい『魔乳』もとい中条さんの姿があったのだった。

 



「危ない危ない、あのまま変なところに連れて行かれたらどうしようかと思ったぜ……」

 俺は中条さんの姿が完全に見えないところまで走った後、すぐに足を止めた。

 情けないことに、少し走っただけですぐに息が切れやがる。

 まぁこれが無職引きこもりの悲しき体力なのだ。

「しかしなぁ、中条さんをあのまま怪しい宗教にのめりこまらせておくのも……」

 確かにそうなのだ。俺がイケメンヒーローならば、怪しい宗教から救ってやるべきなのだ。

 それなのに、俺ときたら適当なことを言っては、逃げるだけ……。

 まぁ実際、俺はイケメンでもなければ、ヒーローでもないのだから、仕方の無いことだと、自分で自分を納得させた。

「帰るか、家に……」

 家路に向かう足取りは、何故か重かった。




「おかえりなさい」

 鷺ノ宮は玄関で俺を出迎えたりなどはするはずも無く、しかし、お帰りの言葉はきちんとかけてくれる。

「ただいま」

 俺は言葉を返す。

 このなんでもないやり取りが、何故か嬉しくて、自然と頬の端が緩んだ。

 

 部屋は、見事なまでに、整然と片付けられ、さらに埃一つ落ちていないほどの徹底した掃除が施されていた。

「相変わらず、掃除に料理にと、見事なもんだよな」

「あら、まだここに一番大きなゴミが残っていたわね」

 そう言って、鷺ノ宮は俺のオデコを小指ではじいて見せた。

「うっさい! 珍しく俺が褒めてやったと言うのに……」

 俺の不満そうな顔を向けたが、そんな事は素知らぬ顔で、台所に向かう。

「いくら褒められても、相手が和久では嬉しくもなんともないわ。そういう事は、相手が誰であるかという事が大事なのよ」

 そう言いながら、朝ごはんの支度を始めている。

「けっ、そうかよ、そうかよ。じゃあ、鷺ノ宮様は誰に褒められると嬉しいんだよ」

 我ながら嫌味たっぷりの言葉を、俺は台所にいる鷺ノ宮にぶつけてみた。

「そうね、やっぱりそれは――」

 そこまでで鷺ノ宮は言葉を止めた。

 先ほどまで聞こえていた、お玉で鍋をかき混ぜる音も同時に途切れた。

「そんな事を、わざわざ和久に教える必要は無いわ!」

 怒声? いや、強くありながら、どこか悲しげな雰囲気を含んだ言葉が台所から聞こえた。

「はいはい、別にそこまで知りたくなんか無いですよーだ」

 俺は鷺ノ宮の感情の変化に気がついていた。しかし、あえて気付かぬ振りで言葉を返した。

 俺は勝手に想像していた。

 きっと鷺ノ宮が褒められたい相手というのは、今は居ない母親なのではないかと……。

 



 鷺ノ宮と俺との生活は続いた。

 もうそんな事は無かったんじゃないかというほどに、『死の運命』とやらの話はしなくなっていた。

 もしかすると、鷺ノ宮は行く場所が無くて、その為だけに『死の運命』なんて事を言っているだけなんじゃないかと思ってしまうくらいだった。

 しかし、どう考えても、いくら行く先がないとはいえ、こんな無職のさえない男の家に転がり込む事に利点などありはしない。

 そう、俺なんかと一緒に生活して良い事などあるわけが無いのだ。

 自分で言っていて、かなり悲しくなってはくるが、実際その通りなのだから仕方がない。

 

 しかし、何も無い日々というのは一週間も続きはしなかった。

 すでに、動き出した歯車が止まる事の無いように、俺と鷺ノ宮の物語は動き出していたのだ。

 その物語の新しい一ページが、俺のアパートの扉とともに開いた。

 こんな朝早くに、一体誰がこのアパートの扉を開けようとしているのか?

 普通に考えれば疑問に思うべき点だっただろう。しかし、寝起きで正常に働いていない俺の頭ではそんな事は何一つとして思いはしなかったのだ。



「碓氷さーん、やっと、やっと、見つけましたよぉ」

 俺が開けた扉の先に、それは居た。

「お、おっぱ……。中条さん!」

 そこに居たのは、紛れも無く魔乳こと中条桃子その人だ。

「えへへへっ、この周辺ぜーんぶ探して回ったんですよぉ。やっと、やっとぉ、五日間歩き回って碓氷さんのアパートを見つけたんです。私すっごくがんばりましたぁ」

 褒めて褒めてと、飼い主に催促をする可愛い子犬のように、中条さんは目を輝かしてはこちらを見つめていた。

 俺はついつい、よくやったねと、頭を撫でてしまいそうになったほどだ。

「あ、あはははっは、そうなんだぁ、探しちゃったんだぁ。五日間も……」

「はい! 一日中歩き回って碓氷って名字の家を探したんですよぉ。足が棒になるかと思っちゃいました」

 それはもう完全にストーキング行為と呼ぶべきことではないのかと、俺は思ったが、勿論中条さんに言えるはずもなかった。

 狭いアパートだ。そんな俺と中条さんのやりとりが部屋の奥にいる鷺ノ宮の耳に入らないわけが無い。

 だから、勿論鷺ノ宮は玄関に現れるわけだ、そうすると、二人は鉢合わせをするわけだ。

 そうなると……

「和久、一体全体朝から何を騒々しくしているのかしら?」

 玄関に顔を出した鷺ノ宮が見たものは、勿論中条桃子の姿。

 そして、中条桃子が見たものは、鷺ノ宮千歳の姿。

 鷺ノ宮の姿を見て、中条は目を数度パチクリとさせた。

 そして、しばらくの間、頭の上に得意のクエスチョンマークを3個ほど点灯させると、その数秒後に、それをエクスクラメーションマークに変化させると同時に、ポンと手のひらを一度叩いた。

「あなたは、碓氷さんの妹さんですね!」

「いいえ、違います」

 問われて、0,1秒も経たぬうちに鷺ノ宮は言葉を返した。

「ち、ちがうんですかぁ?」

 中条桃子の必死の思案は一瞬にして打ち砕かれたのだ。 

「ちょっと待ってもらえるかしら、あの、えっと、あなたお名前はなんとおっしゃるんですか?」

 鷺ノ宮は、眉間に指を当てて、眉毛の端をヒクヒクさせながら、中条さんに尋ねた。

「あ、あのぉ、私は中条桃子っていいます。碓氷さんとは、前にバイトさきでぇ」

 そこまで言ったところで、鷺ノ宮は強引に中条さんの言葉を止めさせた。

「いいわ。もういいの。私はあなたの――そう、中条さんの名前を聞いただけなのだから、それ以上のことはいいのよ」

 暴言は俺にだけかと思っていたが、どうも元来鷺ノ宮千歳という女は、そういう性格のようであると、今ここでわかった瞬間であった。

「少しばかり、ここで待っていてもらえるかしら」

 鷺ノ宮はそう言うと、俺に目で合図をして見せた。

 その視線からは、どういうことか、今すぐ簡潔に説明してもらえるかしら、という思考が容易く伺え取れた。



 俺と鷺ノ宮は、玄関から離れて、部屋の一番隅っこ移動をした。

 まぁ所詮数メートル移動しただけなので、会話の声など玄関に駄々漏れなのではあるが、小声で耳打ちするくらいのボリュームならば、なんとか話せないわけでもない。

「さて、あの人は何の為にこのアパートにやってきたのかしら? 簡潔に説明してもらえるかしら」

 鷺ノ宮は俺の耳元で、小さく囁いた。

「いやぁ、あれだ、前にバイト先で揉め事が会ったときに、助けてやったことがあってだな、それでだな、あれだ、あれなんだよ」

「和久、私の言葉の意味が理解できていなかったのかしら? 私は『簡潔に』と言った筈よ」

「いやぁ、あれだ、あれなんだよ、ほんとにあれがあれで、どう言えばいいのかなぁ」

「わかったわ。それはつまり、私に説明をしたくなどないということなのね。そういう意味にとっていいわけなのね」

「いやぁ、それは違うんだなあ。なんていうのかなぁ、こう人間関係というのは言葉で表すには難しすぎるというか、なんというか……」

 煮え切らない俺の言葉にあきれたのか、鷺ノ宮はため息を一ついた。そして、今までと違う口調で、俺に問いかけてきた。

「どうでもよい事だけれど、あの中条さんと言う人はとても豊満な胸囲をしているわね……」

「そうなんだよ! でかいんだよ! これが! 本当に! 感動するほどに!」

 つい反射的に出てしまった言葉に、俺は『しまった!』と頭を抱えた。

「そう、なんだか今の一言で全てがわかったような気がしたわ……」

 今一瞬、鷺ノ宮の背後に阿修羅の姿が浮かんだような気がしたが、それは絶対に気のせいだと、そう俺は必死に思い込もうとした。

 その刹那、鷺ノ宮は不敵な笑いを浮かべると、そのまま玄関にいる中条さんの下へと足を進めた。

「え、おい、あのちょっと!」

 勿論、俺の静止の言葉などは完全に無視だ。

 この瞬間、俺の脳裏には嫌な予感しかしなかった……。




 続く。

  

 

   

 


年末年始は体調不良でした……

ええ、ええ、

更新できなかった言い訳なんですけどおおお。


次からがんばります……

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