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数日たって……


「何てことの無いまま月日って奴は進むもんなんだな……」

 誰彼に向けての言葉ではなかった、しかしそのすぐ横にいた人物にとって見れば、それは自分に投げかけられた言葉だと思うだろう。

「あら、和久は何かしらが無いと嫌なのかしら?」

 故に、鷺ノさぎのみやはそれに対して言葉を返す。

「まぁ、そう言う訳じゃないんだけどな」

 俺は思っていた、あの日から俺のどうでもいいような人生は変わるのだと、それが良い方向か悪い方向かは別として……。


 俺が鷺ノ宮千歳さぎのみやちとせと出会って、五日が過ぎようとしていた。

 どうやら俺は『死の運命』とやらに襲われることも無くのうのうと生きているようだ。

 無収入のまま生きている。

 つまりは無職だ。

 まぁ当面の生活費は、鷺ノ宮から渡された茶封筒に入っていた金で何とかやってはいけそうではあった。

 そんな事でいいのか? 俺の胸に葛藤がないわけではなかった。けれど、面倒なことは先送りにする、そうして今まで生きてきてしまったのだ。だから、この問題だって先送りだ。

 畳の上に俺は寝転がる。

 視界には汚ねえ木目の天井が見える。

 勿論、そうする事が何の意味も持たないこともわかっている。

 けれど、両腕を組んで険しそうな顔で天井を見つめていると、傍目からは色々悩んでいるようにみえたりするものなのだ。

 そう、ただのポーズだ。

「楽しい?」

 鷺ノ宮は俺の顔を覗き込んで訪ねた。

「楽しそうな顔に見えるか?」

「そうね、楽しそうには見えないわ」

「わかってるんじゃないかよ!」

「あら、わかっている事を聞いてはいけないという決まりがあるのかしら?」

「まぁ、そんな決まりは無いけど……」

「それに、一人難しい顔をして天井を見ていても、何も良い事は無いと思うのだけれど」

「一人難しい顔をして天井を見ていてはいけないという決まりもないだろ」

「そうね、確かにそうだわね。でも、一言良いかしら」

「なんだよ」

「横にいる私が、そういうのを見るのが嫌なの」

 鷺ノ宮はそう言うと、俺のオデコをぱちんと人差し指ではじいた。

 俺は腕を組んだまま上半身を起こして一思案する。

 そして『確かに一人でいる時ならば良いだろうが、険しそうな顔で天井を見上げている奴と二人きりというのはとても嫌なものだろう』という結論に達したのだった。

「そうだな、こんな事していてもしょうがない事なんだよな。確かに何一つとして問題は解決しやしない」

「あら、珍しい。えらく素直なのね」

「まぁ、俺も大人だからな、理知的な思考をめぐらせればそういう結論にもなるってもんよ」

 すまし顔で語る俺に、鷺ノ宮は唐突に俺の額に手のひらを乗せた。

 ひんやりした感触が俺の額を包み込む。

「熱は無いようね……」

「おいおい、どうして俺に熱があると思ったんだ……」

「理知的な思考だとかの、戯言を急に言うものだから、私はてっきり、和久が熱にでもおかされているのものかと思ったのよ」

「うるせえやい!」

 

 ここ数日で俺と鷺ノ宮の距離は縮まったような、それでいて平行線のような、そんな感じだった。

 こいつがこういう口調で来るものだから、俺も遠慮なく言葉を返すことが出来る。その関係のおかげで男女が一つ屋根の下で暮らすというこの環境を、変な空気にすることなく保っているのだと思う。


「しかし……『死の運命』とやらは、あれから俺に見えたりはしないのか?」

「あら、そんなに死にたいのかしら?」

「そんなわけはないだろ。でも、気になるだろ」

「安心して和久。今のあなたには『死の運命』は見えないわ」

「そうか、ならいいんだ」

 未だに『死の運命』とやらが実際なんであるのか、何故それが鷺ノ宮に見えるのか、何一つとしてわかってはいない。

 おっと、前言撤回だ。

 一つだけわかった事があった。

 俺の『死の運命』とやらを見るとき、鷺ノ宮の右の瞳が、不思議な色合いを見せるのだ。何故そうなるのか、そう見えるのか、勿論問いただしてみたかった。けれど、人には言いたくない事が多数あるものだ。それがもし肉親であったとしても教えたくないことなどは数限りなくある。

 俺は勝手な推測で、このことは鷺ノ宮にとって、そういうものの一つであると決め付けた。だから、問いただすことはしなかった。

 まぁ、知るのが怖かったのも確かだ。

 真実なんてものは、知らないほうが良い事のほうが多いのではないかと度々思うものだ。

 ただ、俺はその鷺ノ宮の瞳の奥に潜む光を見て、ただ綺麗だと素直にそう思っていた。

 勿論、その事も鷺ノ宮に伝えることは無かった。


 

 どうやら、俺は今日も死ぬ事無く、生きることが出来そうだった。

 しかし、しかしだ! トラブルもなくそして職も無く生きるという事は一言で言うと……。

「とても、退屈ね」

 俺の心の声を鷺ノ宮が代弁をしてくれた。

 そして、欠伸を一つと背伸びを一つ。

 確かにここ五日間の生活は退屈極まりないものだった。

 俺は基本的に、あの魔乳事件以来、ほとんど外出しなくなっていた。何故ならば、迂闊に外に出て、中条さんに出会ってしまったら、またあの魔乳のパワーに負けて怪しい施設に連れて行かれないとも限らないからだ!

 鷺ノ宮も、食事の材料の買出し以外は家にいることが多かった。

 たいした娯楽も無い我が家だ、退屈になるのは仕方の無いことだろう。

 俺はといえば、鷺ノ宮の目を盗むようにたまにパソコンをつけては、メッセンジャーでネット友達とのやり取りをしたりなどをしていた。

 この俺の置かれている状況をネット友達に話した結果は、さんざんたるものだった。

『嘘乙!』

『釣り乙!』

『病院池!』

『そんな嘘までついて、興味引きたいの? かわいそー』

 などなどエトセトラエトセトラ。

 しかし、この話に対して興味を抱き、食いついてくる物好きも数人存在していた。

 小説サイトで知り合い、頻繁に連絡を取り合うようになった二人。

 きっと、小説のネタにでもなると思って、からかい半分で食いついてきているのかもしれないが、それでも話を聞いてくれるだけで俺は嬉しかった。


「ねぇ、そのパソコン、私にも使わせてくれないかしら?」

「うおっ」

 俺の肩越しにヒョコっと顔を出した鷺ノ宮に、俺は驚いてその場で垂直に数メートルジャンプした。勿論、これは比喩的表現である。

「ねえ、使ってみてもいいかしら?」

「ダメだ!」

 鷺ノ宮の要望に、俺は光の速さで否定した。

「というか、鷺ノ宮はパソコンを使ったことあるのか?」

「ないわ。それどころか、触ったことすらないわ」

 どうして、そう胸を張って自慢そうにいえるのか不思議でならなかった。

 勿論、胸を張ったとしても、まっ平らな胸になんら変わりは無かった。

「なら余計に触らせるわけにはいかないな。壊されでもしたらたまったもんじゃない」

 俺の言葉に、不服たっぷりな表情を見せては、鷺ノ宮はブツブツと不平をぼやきながら、台所へと行ってしまった。

 きっとそのブツブツに含まれる言葉の一つ一つが、俺の心をえぐる罵倒に相違なかった。

 とは言え、俺はこのパソコンがあるからまだマシだとは言え、鷺ノ宮には何も無い。

 しいて言うならば、毎日のように作る料理が気晴らしといったところだろうか。

 どうやら、鷺ノ宮は料理をするのが嫌いではないようで、今もさっきのイライラを解消させるべく、包丁を振るっては料理にいそしんでいるに違いない。

 もしイライラがピークに達したとき、その包丁が料理にではなく、俺のほうに向かって来ない事を祈るのだった。

 台所から包丁が小気味よいリズムを刻む音が聞こえる。

 誰かに料理を作ってもらう。それは小さいころは当たり前のことだった。

 母親が料理を作るのは当たり前、父親が家庭に金を入れるのも当たり前。けれど、今はその当たり前の事を毎日こなすというのがどれほどの苦痛であったかという事を知ることが出来ている。

 両親の苦労を知りたいならば、仕送り無しで一人暮らしをしてみると良い。きっと半年もせぬうちに、当たり前のように暖かい飯が出てくることが、幸せなことだったと気がつくだろう。

 鷺ノ宮の作る料理はとても美味い。

 これほどうまい料理を作るのに、どうして性格はああまでひねくれ曲がってしまったのか不思議なくらいだ。

 そして、俺が美味い美味いと飯を食べると。

『当たり前よ』

 と、言われて当然の顔をするのだが、その表情の中に笑みが含まれている事を俺は知っている。

――美味い飯の恩返しをしなくちゃいけないよな。

 俺はそう思った。実際のところは、それ以上に俺の命を助けてくれた事に対して恩返しをするべきなのだろうが、飯のほうが先にたってしまうところが、俺の俺たる所以なのだろう。

「なぁ鷺ノ宮、昼飯を食べたら、外に出かけないか?」

 俺の声に反応して、台所の包丁の音が途切れた。

「そうね、夕飯の材料を買いにいかないと、冷蔵庫の中身が和久の頭の中と同じで空っぽだものね」

 俺の恩返しをしなくてはと思う心が、急激になえていくのが感じられた……。

 



 昼食を済ませた俺と鷺ノ宮は、一緒に家を出た。

 外は快晴、日本晴れ。とは言え、もう冬だ吐く息が白く濁って見えた。

「なぁ鷺ノ宮。お前、その格好で寒くないのか?」

 鷺ノ宮は何時通りのセーラー服姿だった。というか、これしか服を持っていないようだった。

「そうね、寒いわね」

「なら上着を着るとか何とかしないのか?」

「無いものは仕方がないわ」

「俺に上着を貸してもらおうとか考えないのかよ」

「和久の上着を借りるくらいならば、迷わず凍え死ぬことを私は選択するわね」

 こいつに優しい言葉をかけると、十割の確立でこめかみに血管がピキピキと浮かび上がりそうな言葉が返ってくるのだ。

 俺は血液が頭に上るのを抑えつつ、駆け足でアパートの部屋に戻ると、クローゼットの奥に仕舞い込んであったものをほじくり出して、また鷺ノ宮の元に戻ってきた。

 そして、俺は投げつけるように、手に持っていたものを鷺ノ宮に渡した。

「なにこれ?」

 鷺ノ宮はそれを手に取り、広げて見せた。

「なにって、それがなんに見えるんだよ」

「冬物のコートかしら……」

「はい大正解!」

「和久にしては、結構いいコートじゃない」

「和久にしてはってのは一言余計なんだよ!」

「所で、こんなものを渡してどうしろというの? 重くて仕方がないわよ」

「鷺ノ宮、知ってるか?」

「なによ」

「コートっていうのは着るもんなんだぜ。着ると暖かくなるもんなんだぜ」

 俺は幼稚園児に説明するような口調で鷺ノ宮に言って見せた。

「そうらしいわね」

「だったら、どうするかは決まってるだろ」

 鷺ノ宮は、コートを太陽の光に透かすように掲げてはじっと眺めていた。それから、左右にふってみていた。

 最後に、パタパタと埃を落とすようにはたくと、仕方ないような表情を、わざと俺のほうに向けて、コートを羽織って見せた。

 男物のコートは、小柄な鷺ノ宮の身体をまるで隠してしまいそうだった。

「なんだか、臭うわね……」

 クンクンとまるで小動物のように、鷺ノ宮はコートの襟の部分を嗅いだ。

「スーパーで消臭剤でも買っとけよ……」

「ふふふ、そうさせてもらうわ」

 鷺ノ宮はそう言うと、いつもより早足で歩みを進めるのだった。

  

 

 

 続く。

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