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フリーターから無職、そして死へ

 六畳ワンルームのアパートの中で、俺はPCに向かい黙々と文章を書き綴っていた。勿論アパートの床は畳だ。

 何故に、畳であることを強調するのか?

 この畳の匂いと感触がたまらないからである。

 あえて言っておくが、別に畳フェチでもなければ、変態でもない!

 ともかく、日本人であるならば、畳の部屋に住むべきだと、俺は常々考えている。

 とすれば、アメリカ人ならばフローリング。

 だとすると、中国人は?

 アフリカ人は?

 はてさて、そんなどうでもいい事を考えてしまう事が、ここ最近多くなった気がする。

 まあ、俺のダメダメ得意技の一つ、現実逃避ってやつだ。

 そして、そのどうでもいい事を考える量に対して反比例するかのように、俺の書く文章量は減少の一途をたどっている。

 俺はふと、窓に目をやる。

 窓の外には、当たり前のように外の景色が広がっているわけなのだが、それらは締め切ったカーテンに遮断されていて、実際俺の目に映るのは洗濯など一度もした事のない、薄汚れたカーテンだけだった。

――そう言えば、あのカーテンを開けて窓からの景色を見たのは、どれくらい前だっただろうか?

 いかんいかん、これもまたどうでもいい事のひとつでしかない。

 そして、さき程述べた通り、俺の文章を書く手は見事に空中で静止してしまっていた。

 


 世の人間は俺の事をきっとこう呼ぶだろう。


『フリーター』


 フリーターと言えばニートに対しては、いくらか僅差で勝利するとは言え、ごく普通に社会生活を営む人間の中では底辺の位置に存在する、素晴らしく悲しい存在だ。

 おっと、ちょっとばかり訂正せねばならない。

 世の人間は、俺の事を『フリーター』と少し前までは呼んでいた。

 なら、今はなんと呼ばれているかって?



『無職』


 となってしまったのである。


 俺は数日前まではとある居酒屋で働いていた。

 勿論正社員などではなく、清く正しく日銭を稼ぐ駄目フリーターとしてだ。

 まぁ、事の顛末を簡単に話すとすると、俺は首になったのだ、店長を殴ったせいで……。

 言っておくが、俺は暴力性の高い男ではない、むしろ殴るだの蹴るだのといった野蛮な行為に対して嫌悪感を持つタイプだ。

 そんな俺が、どうして店長を殴ってしまったのか?

 実際、この店長と呼ばれる男は、下の人間を酷使してその疲労に苦しむ顔を観ては喜ぶという、わかりやすいドSの嫌な男であった。ゆえに、俺だって言いたい嫌味の一ダースくらいは絶えず常備していた。

 しかし、俺も二十八歳の大人の男だ。そんな事で上司に文句を言ってはいけないと言うことなど百も承知していた。耐えるのも仕事のうち、時給のうちなのだと、自分自身に言い聞かせては厨房の中でせっせと料理を作っていたものだ。

 その点、十八やそこらの、まだ親の金銭にお世話になっている若者のバイト達はいい気なもんだった。

『まじでだりぃーんだけどぉー』『けっ、あの店長死ねよ』『あいつ、俺が大学卒業したら確実に俺より給料低いぜ』

 などなど、エトセトラエトセトラ。

 勿論、これらの台詞は店長の目の前で吐かれたものではなく、裏で隠れてコソコソと言っているものだ。

 確かに、俺は店長ことを嫌いではあったが、こいつらの様に陰口を叩くという行為に対しても嫌悪感を抱いていた。

 まぁ、今になって考えてみれば、陰口でも叩いてこまめにストレスを発散していれば、あんな事にはならなかったのかも知れないと――まぁ、今更ながら思ったりもする。

 

 その日も、店長のやつは厨房で働くやつ、料理を運ぶやつ、だれかれかまわずに理不尽な文句をつけては、嫌みったらしくヘラヘラと笑っていた。

 まぁ、そんなのは日常茶飯事菜ことなので、いつもの様にため息の二つもついては、厨房の換気扇にでも流してはいたのだが、その日はすこし違っていた。

 その鉾先が、一人の人間に集中していたのだ。

 その相手とは、まだバイトを始めて十日足らずの新人さん。確か大学一年生だとか言っていた。まぁ、そいつは女の子で、正直とろいやつだったし、いつも『すみません、すみません、ごめんなさい、ごめんなさい』と半べそをかきながら謝罪の連呼が得意技だった。

 それが店長のドS魂に火をつけてしまったのだろう。

 その日は、その女の子に対してやる事なすこと、一挙手一投足に対して、ネチネチとしたこってり豚骨風味の脂っこい嫌味をぶつけていた。

 俺は厨房に貼り付けられたオーダーの料理を、額に汗して作りながら、その様子を見ていた。

 何故助け舟を出さないのか? そう思われるかもしれない。

 しかし、俺は知っている。

 ここで何かしらを言って、助けたとしても、また後日同じような事が起こるだけだし、この女の子だって、仕事が何時までたっても進歩しないようでは後々困るに違いない、実際職場というものはミスを繰り返しているわけにはいかないものなのだから。

 だから、俺はあえて何も言わないのだ。

 心の中に、ふつふつと湧き上がる小学生のような正義の味方の心などは、奥底に縛り付けて、がんじがらめにしておくべきものなのだ。

 そう思っていた。そう思って抑えつけていた気持ちは、その数秒後にまるで大雨でダムが決壊するかのように、容易く崩れ去った。

 それは、店長の攻撃が、女の子に対して精神面ではなく肉体面におよんだからだ。

「何でこんなにトロ臭いんだ! なめてんじゃないのか? ほら、もっとキビキビ手を動かせよ!」

 などと言いながら、蛇のようなヌメッとした感覚で、その女の子と手を握り締めると、さらにはもう一方の手でお尻をまさぐる様に撫で回しだした。

 女の子は、何ひとつ反抗する事無く、店長のなすがままにされていた。

 そして、その目の中から、ずっしりと重みのある液体が今にもこぼれ落ちそうになっていたのを、俺は見てしまったのだ。

 見なければよかった。

 きっと、それを見ていなければ、俺はなにもしなかっただろう。

 いつものように、仕事を終えて、家に帰り、適当にネットを巡回して、趣味の小説でも書いて自己満足に浸っていた事だろう。

 しかし、見てしまったら、もう駄目だ。もう止まらない。

 気がつくと、俺は厨房を飛び出して店長の手首を捻り上げていた。

 人の身体の間接が、ミシミシと音を立てるのが聞こえて、気分が悪くなった。

「おまえ、なにしやがるんだ! はなせ、今すぐその手を離せ!」

 振りほどこうと、店長は大きく身体を左右に振る。

その揺れに合わせて、さらに関節のきしむ音が、俺の耳に飛び込んできた。

その音と、店長の声が、俺の心を急速に静めさせた。

「す、すいませんでした! いやぁ、でも店長、あんまりその子にきつく当たるのもどうかと思いますよ。そんな事したら、辞められちゃいますよ。シフト組むの厳しくなりますよ。そうするとまずいでしょ?」

 俺はまだ当たり障りの無い言葉を発するくらいの平静さを保っていた。

「バカやろう。俺はなぁ、わざわざ手間をかけて教育してやってるんだ。そんな事もわからないのか、このバカが! まぁ、バカだからいい歳してフリーターなんざやってるんだろうけどな!」

 この店長の言葉にも、俺はまだ平静を装う演技は出来ていた。

 悲しいことながら、こういう言葉にはいくらか慣れてしまい、耐性が出来ていたからだ。

 そして店長は、加速するジェットコースターのように、矢継ぎ早に言葉を繰り出していく。

「お前確か二十八だったよな? 俺は今年で二十五だ。なぁどうだ? 自分より年下にこき使われる気分は? なさけないよなぁ、みっともないよなぁ。俺だったら恥ずかしくて自殺しちゃうかもしれないわ。いやぁ、そう考えると死なないで生きていられるお前は偉いよ、凄いよ、凄い恥さらしだよ。無様な人間ですってでっかいプラカードを背負って生きてるんだもんなぁ、ほんと感心するよ。一つたりとも見習いたくは無いけどな、あはははは。まぁ実家の両親も泣いてる事だろうねぇ、産まなきゃよかったってな」

 ここまで言われても、俺は平静を装い続けていた。

 俺はひきつった作り笑顔でその場を取り繕って、また厨房で何事もなかったかのように料理を作りに戻る。

そして、すべては万事オッケー。普通の日常へと戻る。

――そうなっているはずだった。

なのに、俺の意思とは関係なく――いや、俺の意思が、脳を通さずにダイレクトに身体を動かせたいう方がきっと正しいんだろう。

 俺の右拳は店長の顔面にめり込んでいた。

 拳に、嫌な感触が伝わった。

 


 そして、俺はその場で首になった。

 我ながら情けない。

 いい歳して、ぶちきれて暴力を振るった事、その結果無職でいる事、その両方が情けない。

 きっと、店長の言う通り、両親だって今の俺を見れば泣きじゃくるに違いないだろう。

 結局の所、俺は女の子を助ける為に、殴ったのではなく、自分自身を罵倒されて殴ったのだ。

 女の子を助けるヒーローなんてもんには、所詮なれる器じゃなかったってことだ。

 

 まぁ、ヒーロー云々の夢物語は置いておくとしてだ、今目の前に突きつけられている問題は――金だ!

 幾らかの蓄えはあるとは言え、そんなものは1ヶ月もしないうちに食いつぶしてしまうだろう。

 だから、すぐさま次の仕事を見つけなければならないと言うのに、俺はPCで求人の募集を探すのではなく、趣味の小説を書いてしまっていたのだった。

 小説の賞にでも応募して、賞金で一山あてればいいのでは?

 残念ながら、そんな落胆的な希望を抱くにも俺は歳を取りすぎてしまっている。

 バイトをやめて、はや十日。

 日々減っていく銀行の残高を眺めては、ため息をつく生活を送っていた。



 そんな時、不意に携帯電話が鳴った。

 俺の携帯電話は、悲しいことに、ワンギリのいたずら電話と、急遽バイトのシフトに入れという店長からの着信がほぼメインとなっている。

それ以外の電話といえば、ごくまれに田舎の母親からかかってくる、生きてる? ちゃんとご飯食べてる? 等の生存確認電話くらいのものだった。

 しかし、バイトを首になった俺にバイトのシフトの電話が入るはずも無く、さらに一度のコールで切れないところを見ると、これはワンギリでもない。

 とすると、残る可能性は両親からか……。

もし、俺がバイトを首になった事を知られたらどうしよう。

いい歳して、バイトってだけでもヤバイっていうのに、さらに無職くとなれば、電話機越しに泣かれてしまいかねない。

そして、俺も涙目に鳴ってしまうかもしれない。

 俺は、恐る恐る携帯に表示される着信番号を見てみた。

 そこに表示されている着信者は両親の名前ではなかった。

 俺はほっと安堵の息をついた。

それと同時に、一体全体この番号が誰からのものなのかと言う疑問点が頭の中に生まれる。

 ワンギリ、バイト、親、その三つの選択肢の中に存在しない、新たな選択肢。

――ま、まさかっ! 俺があの時助けたバイトの女の子からの電話で、俺に惚れちゃいました、お付き合いさせてください、というか、抱いて! 等という急転直下のウルトラ展開を巻き起こす内容だったりするのではないか! うむ、確かにあの子はなかなかかわいらしい顔をしていたし、思い出してみれば素晴らしく発達したバストも持ち合わせていた!!

 俺の妄想はもうとどまる事を知らなかった。

まぁ、こんなんだから小説と妄想の区別がつかないような駄目人間に落ちてしまいそうな所にいるのだが……。

 俺はすぐさま携帯電話の通話ボタンを押す。しかし、あまりの焦りっぷりに二度三度と、ボタンを押す指が滑ってしまう。

 いかん! 落ち着くんだ。 心を静めて精神を集中し、狙いを定めて通話ボタンを押すのだ。このボタンこそ、幸せの世界へと続く扉を開くカギとなるのだ。

 四度目にして、俺は通話ボタンを押すことに成功。それと同時に小さなガッツポーズを一つ。

「も、もしもし」

 俺は幸せなデートの一シーンを思い浮かべながら、にやけた顔のまま、変にカッコウつけた声で電話に出た。




 電話を終えた俺は、嬉しさと悲しさの混ざり合った複雑な表情をしていたと思う。

 そう、この電話は嬉しくもあり悲しくもあったのだ。

 先に、悲しい方から語る事にしよう。

 この電話の相手は、バイト先のあの女の子ではなかった!

 それどころか、男子だった! しかも、まったく記憶に無い相手だ。

 話をしてみると、どうやら高校のときの同級生だと言っているのだが、まるで思い出せない。まぁ、高校を卒業して十年もたてば忘れてしまうのも仕方の無い事だ。それ以前に、俺は高校を卒業してから、高校時代のやつとほとんど連絡をとった覚えがない。

 高校の時に仲のよかった奴がいないわけではない。けれど、そいつらは就職したり、大学にいったり、結婚したりと、人生と言う名の大海原に出航してしまい。俺はといえば、フリーター生活。

 それ故に、自然と距離を置いてしまっていたのだ。

 

 次に嬉しいほうの話をしよう。

 こいつは、なんと久しぶりに会って飯でも食おうというのだ。

 しかもしかもしかもっ! 焼肉!

 勿論、そいつの奢りでだ!

 肉! しかも牛肉! どれくらい食っていないだろうか……。

 俺が食うのはせいぜい鳥の股肉、しかもブラジル産のグラム70円くらいのものばかりだ。

 もう、ジューシーな牛肉の肉汁の味などとうの昔に忘れ去ってしまっていた。

 その記憶を呼び戻させてくれようというのか、こいつは!

 なんて良い奴なんだ! 誰だかさっぱり思い出せないけれど、きっととてつもなく良い奴に違いない!

 俺はこの誘いに、二つ返事でオッケーを出した。

 肉が食える。

 この思いだけで、男の子は数日夢と希望を持って生きる事ができるのだ。



 

 そして、肉の日――もとい! 友人と会う日がやってきたのだった。

 近所のスーパーに行く以外では、久しぶりの本格的外出だった。

 お金が無いということは、引きこもりざるを得ないという事を知った。

 部屋着兼、近所お出かけ用のジャージを脱ぎ捨てて、久々にちゃんとした格好をした俺は、鏡の前で髪型をチェックすると、家を出た。

 久々の夜の街。

週末と言う事もあって、繁華街はカップルやら、仕事を終えたサラリーマンの集団やらで賑わいを見せていた。

 仕事や学校での疲れやストレスなどを、これからバーッと飲み食いして遊んで発散させようとしている連中が大量にいるに違いない。

 まぁ、俺などは仕事もしていなければ、当たり前のように学校にも行っていないわけなのだけれど……。

 しかし、今日の約束の相手があのバイトの女の子だったらどれだけ嬉しかった事か……。

 かわいい女の子とデートしつつ、焼肉をおごってもらえる。これはまさにこの世の至福と言っても過言ではないだろう。

 けれどまぁ世の中はそんなには甘くな出来ていない。

 けれど、俺の歯をぜんぶ虫歯にしてしまうどぼスイートな、甘い世の中ってものに生きてみたいと思わないでもないのだけれど。

 

 街に出た俺に浴びせられた言葉は、その甘さとはまるで正反対のものだった。

「あなた死ぬわよ」

 唐突に背後から声をかけられた。

 俺は恐る恐る振り返ってみると、そこにはセーラ服を着た黒髪が綺麗な少女が立っていては、俺のほうを繁々と見つめていた。

 高校一年生くらいだろうか、まだ幼さの残る顔立ちと、なだらかな平原をイメージさせる胸の辺りがそれを語っていた。

 まぁそれはさておき、いきなり見ず知らずの男に、『あなた死にますよ』等と言う頭のおかしい奴にかまう気はさらさら無かった。

 言い換えると、そんな事に関わるよりも、俺は早く肉が食べたかったのだ。

 俺は何事も無かったかのように、その少女を無視しては、目的地に向けて歩き出した。

 しかし、どれだけ歩いても、俺の背後からその少女の気配が消えることはなかった。

「あなた死ぬわよ」

――まだ言ってるのかこいつは……

 俺は完全に無視をする事を決めた。

「聞こえているのかしら? あなたは死ぬのよ」

「ねぇ? 耳が悪いの? 顔だけじゃなくて耳も悪いの? それとも、全てが悪いのかしら……?」

 少女の言葉はとどまることを知らずに続いた。

「そこの三十歳くらいの人生に落胆した表情をして、今にも犯罪に走りかねない人、死にわよ」

 俺のこめかみあたりに、ピキピキと血管が浮き上がるのがわかった。

「もしかして、こんなどうしようもない人生なら、死んでしまってもいいと、思っているのかしら……?」

 俺は歩くスピードを上げた。もはやこれは競歩と言ってもいい位の勢いでその少女を突き放しにかかった。

 だというのに、その少女は必死で追いすがっては、俺に暴言以外の何者でも無い言葉を投げかけ続ける。

 勿論、俺は完全に無視だ。

 すると、暫くその少女の暴言が途絶えた。ついに諦めたのか? いや、俺の背後から気配は消えはしていない。

 そうこう思っていると……。

「わかったわ。こう言えばいいのでしょ。そこのとても若くて将来有望の、素敵なお兄様、あなたはこれから死んでしまいますわよ」

 俺の中で、なにかの線がブツンとキレる音がした。

「そう言う問題じゃないんだよ! 言い方をかえればいいってもんじゃないだろ! それになんだその棒読み台詞は! おちょくってんのか!」

 俺はとうとう無視することが出来ずに、振り返ると同時に突っ込みを入れてしまったのだ。

「棒読み台詞なのは、まったく気持ちが入っていないのだから仕方ないじゃない。第一何ひとつとして真実が含まれていないのだから」

 淡々とした口調で少女は語った。

 そして、一言さっきの自分の言葉に注釈をつけた。

「ああ、間違っていたわ。これから死ぬという部分に関してだけは、揺るぎの無い事実なのだから」

 この時、始めて女でもぶん殴ってしまいたいという気分に駆られた事だろう。

「知っているかい、お嬢ちゃん。いきなり見ず知らずのお兄さんに、『死ぬ』とか言うのは良くない事なんだよ」

 俺は自分自身が我慢強い男である事を再認識した。まだ、大人として言葉を制御することが出来ていたからだ。

「確かに、見ず知らずのうだつの上がらない、見るからに女っ気の無いおじさんに『死ぬ』と言うのは良くないことかもしれないわ」

「おい! お前は俺に喧嘩を売ろうとしているのか?」

「いいえ、喧嘩を売ろう何て考えてはいないわ。ただ、あなたに教えてあげようと思っただけなの」

「なんだよ! この俺がうだつの上がらない、見るからに女っ気の無い『おじさん』だと言う事を教えようとしたのかよ! そんな事実なんて確認もしたくねぇよ! てか、断じてそんな事実認めねぇ!」

「今、自分で事実と言っていたと思うのだけれど」

「はっ!?」

 掘ってしまったのか! 墓穴と言うものを掘ってしまったのか!?

 ああ、俺は自分自身でうだつの上がらない、女っ気の無いおじさんであると言う事を、知らず知らずのうちに心の中で認めてしまっていたのだ。

 俺はその場で右に一歩、左に2本よろめくと、右膝をガクッと落としそうになったが、寸でのところで踏みとどまった。

 こんな所で膝を落としている場合ではないのだ、何故なら俺には焼肉が待っているのだから!

 俺は大きく深呼吸を一つすると、その少女に向かって言い放った。

「いいか! 俺はこれから大事な用があるんだ! だからこれ以上、俺の精神を落ち込ませるような暴言を吐いたりする事も、俺のあとをつけることも禁止だ!」

「却下します」

「な、なんだとぉ……」

 俺の言葉は、あっさりと却下されてしまったようだ。

「それに、あなたは大事な部分を理解していないわ。私があなたに伝えたいのは、あなたがうだつの上がらない、見るからに女っ気の無いおじさんであると言う所ではなく、『死ぬ』と言う部分なのだから」

「は? 死ぬ? 俺が?」

 少女は、細くて白い首をコクリと一回縦に振って見せた。

「はいはい、冗談きついわ」

 呆れ顔でスルーしようとした俺に、冷淡な表情で少女は言葉を続けた。

「残念ながら、冗談なんかではないの」

「まてまて、そうするとあれか、お前はこれから死ぬかどうかがわかるって言うのかよ」

「ええ、そうよ」

 少女はごく当たり前の事を言うかのように、サラリと言ってのけた。

「見えるのよ、私のこの目には……」

 少女の左目の奥が、怪しい光を放つのを、俺は見た、見てしまった。

 まるで何もかも吸い込んでしまうかのような、漆黒の瞳。その瞳を見つめていると、周りの景色が全て消え去り、今のこの俺の身体全てすらも取り込まれてしまいそうな気がして、背筋が震えた。

「お、おいおい。そう言う怪しい宗教の勧誘は、別の奴にしてくれよ! おれは信じないからな! 占いだって信じないんだからな!」

 どこか自分の中で信じてしまいそうになっている部分を、否定するように、俺は言葉を少女にぶつけた。

「信じるとか、信じないとかはどうでもいいの。ただ、私はあなたに死んで欲しくないだけなのだから」

「うーむ、なら俺はどうすればいいって言うんだよ」

「そうね、まずは今いるその場所から、少しばかり移動してくれるかしら」

「移動?」

「そう、最低でも私のほうに3歩分は移動して欲しいわね」

「意味がよくわからないんだが……」

「急いで!」

 始めて、少女は声を大きく張り上げた。そして、その言葉の中に切羽詰った緊迫感を感じた俺の身体は、自然と彼女の言われた方向に動いていた。

 その刹那。

 俺の顔に強烈な突風を感じた。

 そして、その突風はあたりに埃を巻き上げると共に、俺の目の前に居る少女のスカートをも大きくまくれ上がらさせてくれた。そして、俺はその瞬間、そのスカートの中の白い布きれをはっきりと視認した。

――うむ、やはり下着は白に限る。

俺は暫しその光景に見とれてしまっていた。だか、一つ言っておく、俺が断じてロリコンではない! はずだ!

 俺は紳士の振りをするために、急いで視線をそらして、振り向くと、俺の立っていたであろう場所に、巨大な看板が落下して、地面のアスファルトを粉砕していた。

 なるほど、この突風は看板は地面に激突した時のショックによるものだったのだと、この時理解した。

 それと同時に、もしさっきの場所にずっと立っていたならば、俺の身体はこのアスファルトのように粉々になっていたであろうという、恐るべき事実もこの時理解した。

「あなた、うだつの上がらない、見るからに女っ気の無いおじさんだけでなく、スケベですね」

 まるで、地面を這い回るゴミ虫でも見るようなさげすんだ目で、少女は俺を見ていた。

――うーむ、なんだか背中がゾクゾクする。ま、まさか俺はロリコンな上にMだとでも言うのか、いや、そんな事が……。

「って、こんな事態に、なに馬鹿な事を考えているんだ、俺は!」

 自分で自分の心に突っ込みを入れる自分が、我ながらかわいくもあり憐れでもあった。

「ともかく、この場合はお礼を言っておいたほうがいいのか……。あ、ありがとう」

 俺は軽く頭を下げて、少女に礼を述べた。

「いいえ、気にしなくてもいいのよ。だって、まだ問題は何ひとつとして解決なんてしていないのだから」

「ほへ?」

「今、あなたとても面白い顔をしているわね。いいえ、確かに最初から面白い顔ではあったけれど、今のあまりのおまぬけっぷりな表情に少しばかり、笑みを浮かべかけてしまったわ」

 等と言っているが、この少女の表情に笑みなどというものは一欠けらも存在しては居なかった。

「冷淡な表情でそんなこといわれたら、余計に切なくなるんだよ! 笑いたければ俺の顔を存分に笑えばいいだろうがぁ! こんちくしょうめ!」

「ごめんなさい……」

 絶えず一定の表情を保っていた少女の表情が、心なしか表情が雲って見えた。

「いや、いいんだよ! そこは別に謝る必要なんて無いんだよ! あぁ、気にしなくていい、まったくもって気にしなくていい。なにせ、俺はうだつの上がらない、見るからに女っ気の無いおじさんで、さらにスケベなんだからな! そんなやつの事を気にするひつようなんて無いんだよ、ああ、全くないね、日本国憲法的にも問題無いに違いないね!」

 自分で言っておきながら、いささか悲しくなってきた事は、隠し通しておく事にしよう……。

「わたし、笑うという事がほとんど無いので、上手く笑える自信が無いのよ。だから、スケベなおじさんの前でそんな不恰好な真似をしたくはなかったの」

「あれか、もうスケベとおじさんのこの二点に重点を置きだしてきやがりましたか、こんちくしょう」

「いいえ、平均的に全てにおいて、あなたは駄目人間であると私は思っているわ。そんな二点だけを特出してあげたりなどはしないわ。ただいささか、うだつの上がらない、見るからに女っ気の無いスケベ親父だなんて、言うのが長ったらしくて、口が疲れれると思ったから」

「はいはい、もうどうとでも呼べばいいとおもうよ」

「そうだ、そうしましょう。どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのかしら。馬鹿と一緒にいると馬鹿が伝染してうつってしまうからかしら」

 少女は両掌をパンと一回叩くと、俺に向かって提案をだした。

「お互い、名前を名乗りあえばいいのよ。そうすれば無駄に長い通り名で呼ぶ必要がなくなるわ」

「すまないね、おれの馬鹿がうつってしまってさ。まぁいいや、名前くらい。おれの名前は碓氷和久うすいかずひさだ」

「うすい……幸薄そうな名字ね」

「うるせぇ! 名前はともかく名字は変えられねぇだろうが! てか、そっちの名前はなんなんだよ!」

「そう言う風に、言われると、とても教えたくなくなってしまうけれど、最初に名乗りあおうと提案したのが私自身なのだから、渋々ながら名前を教えることにするわ」

「渋々なのかよ!」

「私の名前は鷺ノ宮千歳さぎのみやちとせ

「さ、さぎのみやちとせ……。くそぉ、なにかしら名前で馬鹿にしてやろうと思ったが、突っ込みにくい名前じゃねぇかよ……。しかも、なんかお嬢様臭い響きだし」

「仕方ないわよ。私はあなたと違って馬鹿ではないのだし。あと、別にお嬢様という訳でもないわ」

「とにかく、改めてお礼を言っておくとするか。よくわかんないけど、助けてくれてありがとう」

「さっきも言ったと思うのだけれど、まだお礼を言われる筋合いはないの。だって、あなたはまだ『死の運命』から逃れられてないのだから」

「ほへ?」

「また、面白い顔ね。その面白い顔は駄目人間の中でも、良い点だと覚えておくわ」

「いや、俺の顔の話しはどうでもいいんだよ! その『死の運命』って奴はなんなんだよぉぉぉぉぉ!」



 続く。

 

 


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