31.逃走
「さて、シュカよ。この魔宮のこと把握しているな?」
「勿論です、我が父よ」
「よろしい。では、守護者として存分に働いてもらおう」
我が問い掛けに即答するシュカ。
その性能に問題は無さそうだ。後は、実戦で確かめることになろう。
霊峰フロウの麓。そこに集結していた帝国の軍隊は、夜魔の手によって死滅か堕落かを強制されていた。
どれほどの遣り手であろうとも、集団の半分ほどが失われれば、勘の良い者や運の良い者に気付かれよう。その通りに、今宵の惨劇もまた、気付かれてはいた。
しかし、昨日まで、あるいは、ほんの先ほどまで、仲間であった同僚であった者が敵に回る状況。混乱を治めるは至難の業。それを成し遂げる傑物は、いち早く取り除かれ、惰性のように働く兵卒に、隠れた才ある者はいなかった。
パニックである。夜魔が手を下すまでもなく、最早、同士討ちによって壊滅するような有様。
ただ、この男は、そんな中にあって冷静そのもの。近場の者たちを諭し、守り、率いるだけの余裕があった。
B級冒険者ウォーディン。
握る大剣を殊更、豪快に振るって夜魔を退ける。一匹、また一匹と、着実な戦い方。
だからこそ、詰みを悟っていた。
「爀灼大社に入るぞ!」
夜魔たちは逃す気がない。しかし、だからこそ危険極まる魔宮の入口は塞いではいなかった。逃げ場がないからだ。
彼の呼び掛けに、僅かな理性を残す者たちがひたすらに駆ける。
その先頭を征きて、ウォーディンは道を切り拓く。
「【水膜】」
高温の爀灼大社での活動に支障をきたさないための水魔法を使う。それを見て、他の面々も次々と発動させる。
橙の明かりが、一瞬、彼らの視界を潰す。
次いで、鳴動が響く。
「何だ今のは!?」「おい!ここもヤバいんじゃねぇか!?」「死にたかねぇ!!」「何なんだよ、いったい!?」
「うるせぇ!炎竜王が叫んでるだけだ!アイツは、奥から出てきやしねぇ!」
ウォーディンの大音声に、シンと静まる場。
「もっと奥に行くぞ!入り組んだ通路を使えば、追手を撒いて外に出れるかもしれねぇからな!」
「わ、わかった」「あぁ、そうだな」「そうしよう」
指針を示せば、混乱した集団は一先ず落ち着く。いや、依存する。それが救いの一手となると盲信する。崩れた場合を考えることはできない。そして、崩れれば、二度とウォーディンの言葉には従わないだろう。
しかし、今はそうするより他にない。
奥へ奥へと進んでゆく。
やがて、空気が弛緩する。追手が来ない。魔物はあっさりと斃される。直近の危険がない。
広間に出る。
「……休むぞ」
嫌な予感を覚えながらも、ウォーディンはそう言う他になかった。
「……アイツらがいない?」
腰を落ち着けたウォーディンは、集団のメンツを見て疑問に思う。その実力を認め、自身が推してこの依頼に加えた男女一組の冒険者がいなかった。
ヤられたか、逃げるに成功したか。あるいは、この事件に深く関わる者だったか。
「チッ」
思わず舌打ちをした。その仮定が正解だったらば、己の失敗だ。
今の時代。帝国に歯向かうのは、愚か者の行い。
一部の者が、恨み辛みを残していることは確かにあるが、ここまで被害を受けるほどの戦力を待ち得る者は稀だ。ましてや、人類共通の悪である魔宮の攻略に、ちょっかいを掛ける者などいるはずもない。
そのような認識が一般的。それからすれば、ウォーディンの判断に誤りはない。
今回の事態が、異常であったというだけのこと。
「まさか……」
小さなウォーディンの呟きを拾った者はいなかった。
彼の脳裏に浮かぶのは、魔王復活の噂。ほとんどの民が、実感する恐怖などなく語る、比較的最近になって囁かれ出した凶報。
小国の壊滅と、霧の都の壊滅。
しかし、そうであれば、魔宮の攻略を邪魔する理由がある。
嫌な想像が、ウォーディンの脳裏に浮かび続ける。
「……っ!」
故に、気づくのが遅れた。
「避けろ!」
広間を、火炎が、舐める。




