3.魔王の御名
「嗚呼、そう、だったな」
自身の役目が何なのかを受け止める。比較的あっさりと、空っぽだった器に何かが満たされたかのような感覚でもって迎えられた。
「思い出されましたでしょうか?」
「あぁ、思い出した。自分で了承したことだ、違えることはないさ」
「ありがとうございます」
リリスの問い掛けに、これもまたあっさりと答える。半ば茫洋とした中での遣り取りではあったが、確かにそれは自身の意思で成したことなのだ。そして、今はそれこそが自身の存在意義に等しい。違えるなど、たとえ命を脅かされたとしてもしないだろう。
「では、魔王様。ご説明に移らせてもらいます」
「あぁ、そうしてくれ」
「はい、魔王様の記憶が無いことは、何度も繰り返しますが、正常なことなのです。魔王様の魂は、此処とは異なる世界に生まれ死して後、何らかの因果をもって偶然にも私どもの世界の狭間に漂流して来られました。おそらく、異なる世界で唯の生命に過ぎなかった魔王様の魂は既にほとんどが漂白、すなわち無垢な状態でありました。これは人格を残せば発狂してしまうが故の魂の防衛機能であり、魔王様はこの時点で記憶の殆どを喪失していたと予測できます。そして、幻竜王様の呼び掛けによって僅かな痕跡から人格形成に結びつかない唯の知識が再現され、それを元に人格の骨子もまた新たに創り出されたと判断できましょう。そこに魔王様としての権能が結びつき、今があります」
「……なるほど」
自身が既に天寿を全うしている、かもしれないし、そうでないのかもしれないが、覚えていないのでは最早どうでもよいことだ。しかし、前世と今世の自分の繋がりが、知識くらいにしか無いのは如何なものか。まぁ、似たような人格ではあるのだろうが、感情を伴わない知識から創り出された人格では元の人格との差異が確実にあろうし、そこに魔王としての権能がくっつくとなれば、差異で済んでいるかどうかも怪しい。
それでも、やはり今の自分は魔王であり、この世界の存在なのだという強い自負が、それらの事情をあっさりと押し流していた。
「まぁ、理解はできた。自分でもどうかとは思うが、納得もある。とはいえ、呼び名が無いのは不便であるので、名無しとでも名乗ろうかと思うのだが、どう思う?」
「ネモ様、でございますか。私は可愛らしい良き名かと思うのですが、魔王様のお役目を考えますとその、少々威厳に欠けるかと」
テキトーに安直な名を告げると、リリスは若干の困り顔で意見を述べてきた。しかし、威厳か。
「ふむ、では魔王として公に現れる時には異界の魔王の名を名乗ろう。そして、一人称も我に改めるとしよう」
「えぇ、サタナエル様。そちらの方が断然、魔王様らしい良き名かと。一人称についても、はい、そちらの方がやはり威厳や風格が違います」
やはりテキトーに異界の魔王の名を選択すると、リリスは満面の笑みでそれを褒め称えた。我はそれに苦笑しながら釘を刺す。
「普段はネモの方で呼んでくれよ、リリス。我は堅苦しいのは苦手だ。それに短い方が好ましい」
「そうですか?では、そのように致します」
我の言葉に、リリスは特に抵抗無く頷いた。
「では、ネモ様。魔王様としてのお仕事をご説明致します」
そして、即座にそれを実行に移し、核心となる事柄の説明に移った。
「魔王様のお役目は、世界に溢れた魔力を霊力に変換し、竜脈に戻すことでございます。そのための法則こそが魔であり、魔王様のみが十全に扱うことのできる霊術です」
「霊術とは、何だ?」
「霊術とは、霊力により世界に干渉する技術であり、魔法の上位互換、私ども精霊か竜王のみが扱える創世の秘術のことです。理論上、私たちも神様方のように創世することができるようですが、技術である以上は研鑽を必要とします。ただ、神様方に生み出された私どもは自身の領分においてのみ本能的に実行できるように調整されております」
「なるほど……」
意識を集中する。すると、周囲に第六感的に感ぜられるチカラの波動。おそらくこれが魔力であろう。さらに深く集中すれば、地下を流れる魔力とは異なる無垢なる波動。これが霊力。そこで我は意識をリリスに戻した。
「霊力はどうやって発生しているんだ?」
「霊力は、精神的なエネルギーであり、仮想上精神世界の量子、霊子の働きによって発生し、それはすなわち魂こそが霊力の生産装置であることを意味し、精神活動を続ける限りほぼ無尽蔵に生産される永久器官であります。そして、世界の霊力は神様方が生産されています」
「それは魔力を戻す意味があるのか?」
「あります。ほぼ無限に生産されるとはいえ、一定期間における生産量は有限です。無計画に消費されれば、枯渇します。さらに、霊力は生命の欲望、感情、意思といったものに影響を受けやすく、そのようにして変質したものが魔力です。そして、この魔力は世界を歪める性質があり、この歪みを正すために霊力が消費され、放置すればそれだけで霊力は減衰します。だからこそ、魔力を霊力に変換し直す魔王様が必要なのです」
リリスは淡々と説明を続ける。だが、その話を聞いて我は思うところがあった。神の奴は何故そんな危険物を人類に与えたのか?そして、魔力を与えたとはどういうことなのか?その疑問を我はリリスに尋ねた。
「神様方にも当然、感情がございますので。御自身の創った世界に自信もあったのでございましょう。そして、人類に与えられた魔力とは、正確には人類の魂に組み込まれた霊力の魔力変換を容易にする器官とそれを操作することを容易にする器官、この二つの器官のことであり、これにより人類は、魔王様を除き世界で唯一魔法を使うことのできる生物となったのです」
そして、世界の危機は実にしょうもないことが原因だった。結局のところ、神もまた傲慢だったのだ。自身が絶対的存在と信じて疑わず、あくまで肉体に囚われたモノたちより一段階だけ高次の生命体に過ぎないことを忘れていたのだろう。