護衛士
この地に神の信仰を根付かせよう。嬉々として、熱を込めて私が訴えると、マロンドさんは笑顔で受け入れてくれた。なにもやることがないかのように思えた領地経営だったが、やっと一歩だけ前に進めたような感じがして嬉しい。
「では、早速村に戻って調査しましょうか」
「い、今からですか?」
「善は急げというではありませんか」
あたふたするマロンドを先んじて屋敷の外に出ると、馬車の御者が剣を振るっていた。同じくらいの年頃だろうか。茶髪の青年で、澄んだ青色の瞳をしている。私に気づくと、汗だくになりながらも、片膝をついて頭を下げる。
「アルベルト、これからソフィ様が村に向かわれる。同行せよ」
「ああ、あなたが護衛士の方でしたか」
どうやら馬車の御者も兼ねてやってくれているらしい。今日の送り迎えのために臨時で雇ったのかと思っていたが、違ったようだ。彼は、私の声に反応することなく無言で下を見続けている。どうやら、貴族に話しかけられても反応しないように教育をされているようだ。
「あの……私は父親であるヴィルフリートの代わりに領主となったソフィです。よろしくお願いします」
「……」
「ソフィ様、彼らは主人と話すことを許されていません。お戯れはここまでにしてください」
「……わかっています。独り言です。では、行きましょうか?」
「いえ。私はこの注文書を教えていただいた工房に提出しなければいけませんので」
「そうですか、では行ってきます」
そう言って、馬車に乗り込んだ。マロンドのいない馬車は非常に広く開放感が湧いてきた。彼の存在には大いに助かっているが、不意にひとりの時間が取れたことにホッと一息をつく。不意に窓を眺めると、空の群青がとても澄んでいた。
「いい天気ですねー」
「……」
「あの、私は元シスターで貴族ではなかったんです。だから、2人でいる時には内緒でお話ししませんか?」
「……」
むう。なかなかに手強い。ある程度、情報収集もしたかったし、何よりこの前からずっとマロンドとしか話していなかったので、他の人との会話に飢えている。しかしそれだけ、貴族と平民の間の隔たりは大きいということだろう。しばらくは、寂しい時間が続きそうだ。
「ああ、そうだ。業務連絡なんですが、祈台を食卓に設けてましたので、食事の時にみんなで神に祈りましょう」
「……」
「村にもお祈りできる施設が一つあってもいいかなって。これから、そのために調査をしに行くんです。やっぱり村の中心の位置に建てた方がご加護があるような気がしますし。独り言ですけど」
そうやって、独り言を延々に話すこと1時間。腹の音がクーッと鳴った。そう言えば、今日はなにも食べていなかったことを思い出した。私は携帯しているポーチからドライフルーツと干し肉を取り出し、窓から身を乗り出した。その様子にギョッとした顔でアルベルトがこちらを見る。
「あ、危なっ……」
「これ。半分こしましょう」
「……危ないから、中に入ってください」
「受け取ってくれるまで入りません」
「……くっ」
私が笑顔で言うと、すごく不機嫌そうな顔をしながら食べ物を受け取ってくれた。さすがに危険な時には話してくれるんだと、なんだか嬉しくなった。決して私を慕ってくれている訳ではなさそうだけど、最低限領主として尊重はしてくれていそうだ。
「屋敷の食事はどうですか? 料理人のドワンゴさ……ドワンゴは上手ですか?」
「……」
「ねえ、どうですかね?」
「……っ、危ないって言ってるでしょう?」
「だって話してくれないから」
なんとなく実力行使で再び窓から身を乗り出してみる。さっきの会話で味を占めた私は、もう一度同じ方法で会話を試みる。アルベルトはすごく嫌な顔をしているので、なんだか申し訳ないが、話したいものは話したいのだからしょうがない。
「くっ……わかりましたから、早く身体を引っ込めてください。ドワンゴの腕は知りません。食べたことがないので」
「えっ?」
「執事以外で、貴族の料理人が平民に料理を出すわけがないでしょう? ドワンゴだって、味見以外は許可されていないのに」
「そうなんですか。それは、申し訳ありません」
「……なんであなたが謝るんですか?」
無愛想にアルベルトは答える。よくよく考えてみると納得だ。自分の考えの浅さに思わずため息が出てしまう。どうやら修道院の感覚が抜けていないようだ。同じ屋根の下に住んでいるのだから、同じ食卓で食事をするものだと思っていたのだが。
「それに、これは独り言なので聞き流してくれて結構ですが、村の連中だって祈りの施設なんて建てられたって嬉しくともなんともないと思いますよ」
「なんでですか?」
「村の連中は明日食うものだって不自由してるのに、祈ってる時間なんてあるわけないじゃないですか。逆に自分たちの税金使って何やってるんだって反感を買うだけだと思いますけど」
「……そうですか」
帳簿上は安定した税収が入っていたので、村もそこまで困っていないと思っていた。村長のドバッサオも人柄は良さそうだし、あんまり困っている様子もなかった。アルベルトの話と実際の印象が違うので、調べてみる必要はありそうだ。
「ありがとうございます。非常にためになる情報でした」
「……独り言ですって」
護衛士は大きくため息をついた。