挨拶
どうやら、契約魔法に違反すると、最悪炎に包まれて焼け死ぬこともあるという、非情に危険なものらしい。『君はすぐ情に流される』とか、『世間知らずもいい加減にしなさい』とか、あらゆる種類の説教を喰らった末に、やっと朝陽が昇った。
「はぁ……しかし、今さらあれこれと言ったって、もう遅いのだな」
「……その台詞は、10時間前に聞きたかったです」
そんな風につぶやくと、ゼルヴァーダ神父はギュンと怖い顔で睨む。しかし、もはや気力がなくなったのか、大きくため息をついてガックリとうなだれた。そして、あきらめるように、バラバラドラの屋敷に戻るよう指示をした。
「契約魔法の効果は神のみぞ知る。あんまりここに長く居座ると、契約違反と見なされる可能性もある。とりあえずは、君は領主として頑張りなさい」
「はい、任せてください!」
張り切ってそう答えると、凄く不安な顔をされたが、こちらはやる気満々である。どんな仕事でもやる気と元気があればなんとかなるのではないのだろうか。意気揚々とアルバドール修道院の外に出ると、そこにはすでに馬車が準備されていた。そして、側に立っているのは執事のマロンド。どうやら、昨日の夜はここに泊まっていたらしい。
「マロンドさん、今日からよろしくお願いします!」
「ソフィ様。執事に『さん』付けは必要ありません。マロンドと呼び捨て下さいませ」
「な、なるほど……わかりました。よろしく、マロンド」
歳上の方に敬称を使わないと言うのは、多分に違和感があるが、今後は貴族社会に慣れていかなくてはいけない。特にゼルヴァーダ神父には私だってできるんだと言うところを見せてやりたいものだ。
「で、領主ってなにからやればいいんですか?」
「さあ、私は領主ではありませんからわかりませんな」
「……一般的な領主が行うことでもいいのだけど」
「わかりません。私はあなたに仕える執事で、あなたに指示されることはあっても、指示することなどはございません」
馬車に揺られながら、執事はニコニコ顔で言い切る。話を聞いていると、執事の理想像は究極のイエスマンだそうだ。主人の命令は絶対で、善悪も是非も判断せず、与えられたことをただひたすらにこなす。それが執事のあるべき姿ですよ、とマロンドは自信満々に語る。
「と言うことは、私が自分で考えなくてはいけないのですね……では、まずはこのバラバラドラの領民のことを知りたいです。資料はありますか?」
「はい、ここに」
マロンドが鞄から紙を取り出して渡してくれた。どうやら、道中用に準備してくれていたらしい。なかなか仕事熱心な人なのかしらと頼もしく感じる。早速資料に目を通すと日付が4年前になっていた。土地や税率の資料もすべて4年前。
「これが最新でしょうか?」
「はい」
「……わかりました」
聞きたいことは山ほどあるが、まずはある分の資料で大まかに把握したい。まず、人口としては、約200人ほどが住んでいる。いずれも麦農家で、他に特筆すべきものがないのか、記述はそれだけだった。
まあ、細かいことは後回しにして、一度は顔を合わせて挨拶しないとね。
土地は、領民が住む農村、畑に、デブァラル山と呼ばれる山が一つ。
税率は30%。「これって高いんですか?」と尋ねると、「普通です」と返ってきた。あんまりにも特筆されたことがないので、いったいなにをしたらいいのかがよくわからない。
「……じゃあ、とりあえず村長さんにでも会いに行きましょうか?」
「かしこまりました」
マロンドは馬車の業者に、バラバラドラにある村に向かうよう指示した。せっかく、父親の葬儀に来てくれたんだから、お礼をしっかりとして今後の関係を深めることができればいい。そして、馬車に揺られること半日が経過した時、村の周辺に到着した。
「わぁ、麦農家がいっぱいですねえ」
特に普通の光景なのだが、自分の領地だと思うと凄く思えるから不思議だ。麦農家の人たちは黙々と働いている。そんな中、村長のドバッサオが歩いていた。どうやら、見回りらしい。
「……おや、あなたはヴルフリート様の」
「はい。父の死後、領主に任ぜられましたソフィと言います」
「ほぉ、女性の領主とはなかなか珍しいですな。しかも若いのに」
ドバッサオの目がまん丸になる。昨日も思ったが、随分とかっぷくのよい体格をしている。白い髭と垂れ目が印象的で、優しい笑顔が素敵なご老人だ。まずは、父親の葬儀が昨日で大して時間が経っていないのだが、一通りお礼を言う。
「なにかお困りごとがありましたら、なんでもおっしゃってください」
「それはそれは……ありがとうございます」
人の良さそうな顔で、お辞儀をする村長。どうやら、おおらかな気質の人で安心した。この人にこの村を任せていれば概ね上手くいくのではないだろうか。ホッと肩の堅さが取れて、馬車に乗り込もうとすると麦農家の人たちの視線が目に入ってきた。
……なんだか、睨まれているのは気のせいだろうか。