9話・私と彼の宝石の話
ひっぐえっぐと散々泣いて。少しだけ過呼吸も起こして。
泣いて、泣いて、泣いて。
目を真っ赤にした私が泣き止んだのは、深夜を回った頃合だった。
真っ赤な目で、ぶさいくな顔で、涙の跡で引きつる頬で。
それでも、誰にも言えず、ずっと胸に秘めていた気持ちを吐き出せたことで、少しだけ落ち着いた心で。
私は静かな気持ちでレイスの膝に上にいた。
「……ありがとう……話、それちゃった、ね」
泣いていた間も気になっていた事を口にすれば、レイスは少し驚いたように目を見開いた、それからへにゃりと眉を寄せて困ったように笑った。
「そんなこと、気にしなくていいのに……イクは、優しすぎるね」
「そんなこと、ないよ。わたし、けっこう、わがまま、だし」
のどがからからだった。ぶつ切りになる言葉は聞き取りにくいだろうに、それでもレイスは少しだけ悲しそうに、でもどこか穏やかに笑っていた。
「優しいよ。優しすぎて、困ってしまうほど。イクは、優しい」
そんな風に、声をかけてもらったのは、いつ以来だっただろう。
パソコン越しに、話を聞いてくれる友人がいる。
文字だけのチャットでしか、互いを知らないけど、どうしようもなく優しい人だ。
自分の境界線を確り守っている人だから、その境界を超えない範囲でなら、頼っても大丈夫だと思えた。
だから、泣きたい日は彼女に連絡をした。
私より年上のお姉さん。既婚者。子供が二人。
ネットにアップしている私の小説を読んで感想をくれたのが、出会いだった。
母親であるその人は、強い人だった。
私の泣き言に、一時間、ときには二時間。長いと三時間。自分の時間を使ってくれる人だった。
パソコン越しにぼろぼろ泣きながら。弱音を吐いて。励ましてもらって。そうやって前を向けた日は少なくない。
通話じゃない分、口には出せないこともたくさん話せた。文字だからいえることがあった。
得がたい人だ。
現実は知らないけれど、それでも失えない人だ。
もちろん、現実の友人たちだって、得がたい存在だけれど。それとは別のベクトルで、大切な人だった。
その人に、少しだけ。
似ているな、と思った。
レイスは、似ている。
そっと私の心に寄り添ってくれるところ。
否定せず、肯定せず、私の心を分かろうとしてくれるところ。
大切だと、臆せず口にしてくれるところ。
あの人、は。画面越しだから。実際には抱きしめては、もらえないけれど。
画面越しなんて気にならないくらい、抱きしめてくれる、人だ。
優しい心で抱きしめてくれるところが、本当によく似ていた。
「だいすき」
ぽつりと、小さな小さな声で呟いた言葉。
どちらに向けたのか、自分でも分からない。
意識しない間にこぼれた言葉に、ぱちり、と瞬いて。
あ、と、思った、けれど。
落ちた言葉は戻らない。そっとレイスを伺えば、相変わらず穏やかに笑っていたから、多分、聞かれてはいない。
そのことに、安堵して(落ち込んで)
なんでだろう、と首をかしげた。
ようやく落ち着いて、自分からレイスから離れたのはもう深夜二時になろうとしていた。
すっかり冷めてしまった昼食がテーブルの上に転がっていて、私はどうしたものかと思ったけれど、泣きはらした目でコンビニに行くのもためらわれて、かといって土地勘のないレイスを深夜に放り出すわけに行かず、仕方なくレンジで温めなおしたそれを食べることにした。
冷めてしまったファーストフードほど不味いものはない。と、思う。
だけど、レイスは文句一つ言わなかったし、炭酸も抜けて完全に溶けて水としてコーラと混ざった氷の入った飲み物は薄くて飲めたものじゃなかったけど、それにも文句を言わなかった。
もくもくとポテトを口に放り込みながら、レイスを伺っていると、ハンバーガーにかぶりついたレイスがもぐもぐと口を動かしていた。その仕草が、こういってはなんだが、小動物染みていて、かわいいなぁ、などと思った。
「これは、不思議な食べ物だな。ホットドッグに似ているような」
「あれ? 食べたことない?」
「初めてだ」
その言葉にカルチャーショックを受ける。せ、世界的にメジャーだと思ってたのは私だけ……? あっ、それとも、いいところの出だから、ファーストフード食べたことがないとか? ありそうだった。なにしろ明らかに高価な宝石をぽんと渡してしまう人だ。
そこまで考えて、あ、と思った。
ハンカチに包んでポケットに入れていた宝石を取り出す。不思議な輝きをもつそれは、光の角度で色を変えるようだった。電気の灯りだけだと、薄い水色に見える。
ハンカチの上でそれを転がして、どうやってレイスに返せばいいんだろう、なんて考える。
レイスは。
これが私を、守ってくれると、いったけれど。
とうていそうは思えなかったし(言われてみれば今日は過呼吸がいつもよりマシだったかもしれないけど、偶然だろうし)、なによりこんな高価なものをほいほい貰うわけにはいかない。
「ねぇ、レイス」
「ああ、それなんだけど」
そっと口を開けば、ぱくりとハンバーガーを最後の一口まで食べたレイスが指先を舌で舐めながら首をかしげた。え、えろいなぁ、なんて思って顔を赤くしていると、対面に座っていたレイスがずいっと近づいてきて、思わず仰け反る。
宝石をのせた手の手首を握ったレイスが、掌の上から宝石をとって私の後ろに回った。
「肌に触れているほうが護りが効くんだ。身に着けておいてくれ」
「え、ちょ、え」
そういって首の後ろでチェーンをはめてしまう。ちょ、やめてほしい! 本当にやめてほしい! これ返したかったの! つけて欲しかったわけじゃないの!!
どうにかして外して返そうと思ったけど、これが外れない。四苦八苦している私をおかしそうにみているレイスを恨みがましく睨んでも、赤い目では効果がなかったのか。よりレイスが笑みを深めるだけだった。ち、ちくしょう!
「持っていて。きっとイクを守ってくれる」
「……絶対返すからね」
「じゃあ、預かっていて」
「…………もうっ」
目もくらむような美形に満面の笑みでにっこりと微笑んでいわれてしまえば、それ以上反論の余地があるはずがない。
そうでなくとも私とレイスの間の顔面格差は深刻なのに。
こちらは平々凡々の一般人だ。男の人の表現方法はわからないけど、女性なら傾国の美女と呼んでもよさそうな美貌を持っている相手への対人スキルなど皆無である。
むくれた私はずずーっと一気に薄くなったコーラをあおって、ハンバーガーにかじりついた。