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7話・私と彼の『愛』の話

「イク!」

「!」


 大きな声にびくりと身体をすくめる。同時に夢から覚めた。起きれば夢を忘れるというけれど、私はこの夢を忘れたことは一度もない。

 私が見る夢は、高確率でこの夢で、忘れようがなかった。むしろ、起きた時のほうがリアルに思い出せる。

 そっと、夢の中でしめられた、首に触れる。どくどくと早鐘のような鼓動。冷たい指先。同じくひんやりとした感触の、自分の首。

 生きているはずなのに、生きているのが不思議なほど冷え切った体。

 ぞっと背筋を這い上がるものがあって、咄嗟に口を両手でふさいで体を丸くする。

 少しずつ荒くなる呼吸。過呼吸だと気づいていたけれど、意識しても呼吸は元に戻らない。ぜっぜっと、不自然な呼吸を繰り返していると、ふと温かさに包まれた。

 呼吸が苦しくて自然と浮かぶ涙をそのままに歪んだ視界をあげれば、目の前に薄緑色が広がっていた。……遅れて、レイスに抱きしめられているのだと、背中をなでる優しい温度がレイスの手だと気づいて、私はそっと目を閉じて、意識を委ねた。

 どうしようもなく安堵できる体温に包まれて、私は静かに涙を流しつづけた。




 ふと、意識が戻ったとき、外は真っ暗で時間なんてわからなかった。

 相変わらず温かな心地よさに包まれていて、耳には同じくらい心地いい音楽が聞こえていた。それは私には聞き覚えのない、音色で。ゆっくりと顔を上げれば、目を閉じたまつげの長い、綺麗な表情が目に飛び込んできた。その口が動いていたから、耳に心地いいこの音色がレイスの歌う歌なのだと気づけた。

 異国の言葉で紡がれるそれは、穏やかで優しい、とても居心地のいい歌だった。

 しばらくぼうっと歌に耳を傾けてから、おもむろに自分の置かれていた状況を把握した。

 胡坐をかいたレイスの膝の上に横抱きにされているのだと気づいて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。涙を流したから、頬がひりひりと痛い。

 だけど、不思議と意識はすっきりしていた。


「レイス」


 そっと名前を呼べば、綺麗な調べを奏でていた口元がとまって、瞼の下から綺麗な青色が見える。晴れ渡った夏の青空より綺麗な、色。太陽が宿っているような、きらきら輝く素敵な瞳。

 穏やかな色を灯した瞳が私を見下ろして、背中に添えられていた腕に少し力が篭る。

 左手で私をささえていたレイスの右手がそっと私の額にかかった髪を払う。


「イク、落ち着いた?」

「うん……ごめん」


 視線を伏せて、優しく頭をなでてくれる手はそのままにぽつりと呟けば、いっそう優しい声音が頭上から降ってくる。


「なにを謝るんだ」

「みっともないとこ、みせた」

「みっともなくなんて、ないよ」

「……迷惑、かけたでしょう」

「迷惑なんてとんでもない」


 どこまでも優しい声音は、どうしようもなく私の涙腺を刺激した。ぐすり、と小さく鼻を鳴らして、レイスの服を左手で掴む。ベッドを背にしているらしいレイスが、また優しく頭をなでてくれるから、ぐすぐすと私の涙がとまらない。ごまかすように疑問を投げかける。


「私、いつ寝たの……」

「最初は転寝をしていたみたいだったけど。ベッドにはこんでしばらくしてから苦しそうにしていて。起こしたんだ。そのあと、また眠ってしまったけど、今度は寝息も落ち着いていたから」


 睡眠時間が、足りていなかったからだろうか。

 いまいち記憶がないが、いつも昼寝をする時間に起きていたから、睡眠時間が足りなかった自覚はある。気づかないうちにうとうとしていても不思議ではなかった。

 最近はあの悪夢もみなかっただけに、なんともいえない心地になる。

 やっぱり、私の中にお父さんに黙ってレイスを部屋にあげている罪悪感があって、それであの夢をみたのだろうか。

 ああ、でも、夢を見れたことは、少し嬉しくもあった。

 あの夢は、どうしようもないほど辛いけれど。苦しいけれど。

 あの夢だけが、いまだ私とお母さんを繋ぐ、絆であるから。

 かぼそい糸を必死で手繰って、今にも切れそうな細すぎる糸を懸命に繋いでいる私にとって、悪夢であろうと、それは、掛け替えのない絆だった。


「あのね、イク。これは俺の国にある、寝物語なんだけど。聞いてくれるかな」

「……なに?」


 ゆっくりとした問いかけに、少しの間をおいて問いかければ、にこりとレイスはいつもとは違う穏やかな笑みを浮かべて、それから口を開いた。


「昔々」


 そんな、お決まりの文句で始まった、昔語りの寝物語。


「国で一番えらい王様にはたくさんの后がいました。だけど、王様はどうしても心が満たされませんでした。后を愛しています。でも物足りないのです。王様は足りないものはなんだろうと考えました。いくら考えても答えはでません。仕方がないので王様は、自ら探すことにしました。臣下が美しいと褒め称える演劇を城の広間でさせました。吟遊詩人を呼びつけ国で一番人気だという物語を聞きました。それでも王様の心は埋まりません。あるとき、あまりにも我慢できなくなった王様は自ら外へとでました。気の向くまま、風の吹くほうへ馬を走らせた王様はやがて森に分け入り、そのまま迷ってしまい途方にくれていました。そんなときです、この世のものとは思えない美しい歌声が聞こえたのです」


 静かにレイスの語りに耳を傾ける。とつとつと抑揚をつけず語られるそれが、とても心地よかった。

 ああ、その王様と私はなにか似ているな、と思った。心がさみしい。なにをしても埋まらない感覚は、よく、わかる。私が、毎日漠然と抱えて、どうしようもないと諦めてしまっている、それに思えた。


「歌声に導かれるように進んで行くと、湖のほとりでそれはそれは美しい女性が歌を唄っていました。王様は聞きほれました。しばらくすると歌がやみ、王様は思わず、なぜやめるのか、と聞きました。女性は王様に驚くこともなく、にこりと笑って、初対面の人に聞かせるのはここまでよ、と悪戯気にいうのです。馬を下りた王様は女性に近づいて、ならば明日もくれば続きが聞けるのか、とたずねました。女性は、ええ、と答えました」

「それで……?」


 ありふれた物語のはずなのに、どうしてか無性に続きが気になって、一息入れたレイスをせかせば、レイスはふんわりと笑って人差し指を私の唇に当てる。


「せかすのはよくないよ。こういうのはゆったりと味わうものだ。……王様は次の日も、次の日も、次の日も。毎日毎日湖に通い続けました。そして少しずつ歌の続きを聞いていくのです。いつしか、王様の心は少しだけ満たされていました。でもやっぱり足りません。歌を全部聴けば埋まるとおもった王様は、ある日すべて歌うように命じました。王様の命令は絶対です。逆らうものはいません。でも、女性は違いました。くすくすと笑って子供をあやすように言うのです。貴方は寂しいのね、だからこの歌にそんなに恋焦がれるのだわ。ああ、貴方は独りなのね。心から信頼できる友がいないのでしょう。それはとてもとても寂しいことだわ。私だったら耐えられない。ねぇ、私が貴方の友になりましょうか?……王様は、王様だったから対等な友人はいませんでした。それを指摘されたのも初めてでした。驚く王様に女性は小さく微笑むばかりです。王様は気づいたら、ぜひ友になってくれ、と女性に懇願していました。鈴を転がすような声で女性は、喜んで、と答えました」


 それはとても、羨ましいことだと思った。

 私にだって、友達はいるけれど。

 掛け替えのない、親友だって、いるけれど。

 そういう風に、気にかけてくれる人の得がたさを知っているつもりだった。

 私を気にかけて、言葉をくれて、傍に寄り添って、支えてくれる、人。

 大切な人たち。得がたい人。優しい人。優しいだけではない人。

 自然と涙を流した私に微笑んで、レイスの男の人にしては細くて白い指が私の涙を拭う。


「女性は友になった証を王様に授けました。女性にとってなにより尊いものでした。王様はそれを大切に守ります。守っています。……おわり」


 だけど、物語の結末は。

 なんだか、想像していたものとは違っていた。

 不思議に思って瞬きを繰り返せば、小さく笑ったレイスが人差し指を自分の唇に当てる。しぃっと小さな子供のような仕草をしたレイスが悪戯気に片目を瞑って見せた。


「物語の続きは、王様たちだけの秘密なんだ」

「……もったいないね」


 ぽつりと呟いた私に、レイスが優しい眼差しで言葉を促す。私は考えながら、たどたどしく言葉を口にのせた。


「『大切なもの』知りたかったし、気になるし……なにより尊いもの、ってなんだろう」

「イクは、なんだと思う?」

「……私、なら」


 たとえば、命に代えても守りたいもの。

 なによりも尊いもの、というくらいだから。それくらいあってもいいはずだ。なんだろう、私にとって、命と引き換えにしてもいいと思うくらい、大切なもの。

 自分自身に問いかける。

 答えは、あった。

 一つだけ、見つけた答え。それが普遍的なものであるか、普通であるかは気にしなかった。

 ただ、私だけの答えを、そうっと口にした。


「記憶」

「記憶?」

「うん、お母さんとの、記憶。私の、……一番大切な、もの」

「そう、イクはお母さんが大好きなんだね」

「うん。……思い出は、美化される、ものだしね」


 私の記憶に残る、お母さんとの思い出。

 私のお気に入りの硝子のコップを割ってしまったと、泣いたお母さん。

 幼稚園の友達の家に泊まりに行った日、胸騒ぎがして友達の家で「おかあさんが泣いてるからかえる!」なんて言い出した。

 帰ってみたら本当にお母さんはこの世の終わりといわんばかりにしくしくと泣いていて、帰ってきた私を抱きしめて、また泣いた。

 壊してしまったと泣いて。

 寂しいと泣く人だった。

 優しい、人だった。

 記憶に残る想い出は泣き顔ばかりだけれど、どうしようもなく優しい人だったのを覚えている。優しすぎて、自分を殺してしまった人。現実に耐え切れなかった人。


 ――私の前で、首を吊った人。


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