5話・私と彼の買い物の話
「そういえば、ベッドの上のピンク色のが、音が鳴っていたが」
「え? ああ、スマホ……降水確率のメールかな」
簡素な食事を終えていわれたとおりにベッドの上に置き去りのままのスマートフォンを手にとる。
予想と違って、メールではなく着信で、しかも表示された名前はこのタイミングでかかってくるのはあまりにタイムリーすぎて、眉を顰めてしまう。
折り返してかけたほうがいいのだろうけれど、レイスの前でかけるのは気が引けて、脱いだばかりのパーカーを羽織りなおして外に行くことにする。
「ちょっと電話してくる。……すぐ戻るから」
「わかった」
ぱたん、と閉じた扉一枚。とても遠い距離に思えた。
着信への折り返し。かける相手はお父さん。内容は、大体想像がつく。
「もしもし?」
『ああ、依玖か。今度の病院なんだけどな』
週に一度の病院はお父さんに送り迎えをしてもらっている。負担をかけているな、と思うけど、本当に体調が悪いときは公共交通機関を使えないので、仕方がないと言い訳をしていた。
『仕事が入ってしまって、送っていけなくなったんだ』
「うん、大丈夫。最近は体調いいから、一人で行けるよ」
『そうか。お金は振り込んでおくから』
「わかった。じゃあね」
手短に用件だけを話して、通話終了のボタンを押す。はぁ、と心のそこから息を吐き出して、ずるずると玄関の扉に背を預けて座り込む。
タイミングがあまりにもよかったから、もしかしたらレイスを部屋にあげたことがばれたのかと思ってしまった。もう一度深く息を吐き出して、肺の中を空っぽにする。
階段から見える外に視線を移して、小さく呟いた。
「病院……レイスもつれていこう、かなぁ」
それは、とてもいい思いつきのように思えた。
「外出? していいのか?」
「うん……帽子被ってもらって、服を揃えたら、多分……いける、かな、と」
「いきたい!」
部屋に戻って、来週の病院に一緒に行くか尋ねた。とはいっても病院まで連れて行って病院の先生にレイスのことを知られたら連鎖的にお父さんに連絡が行くから、駅前のカフェで病院が終わるまでまっていてもらうことになるのだけど。
帽子と服は適当に私が選べばいい。みたところ、派手なのはコートだけで、中のインナーと黒いズボンは普通に使えそうだった。あ、でも膝までのロングブーツは浮くかもしれない。
……靴って案外高いんだよなぁ。とはいっても、季節柄サンダルみたいなのでは違う意味で浮くしなぁ。
それにサイズどうしよう。日本の規格と外国の規格って違うって聞いたような。メジャーで図って店員さんに言えば伝わるかな……。
目をキラキラさせているレイスは見るからに楽しそうで、朝も本当は出かけたかったに違いない。窮屈な思いをさせるのは本意ではないし、閉じ込めるために部屋に招いたわけではないから、私としても外出させてあげたい。
「じゃあ、とりあえず、私が今日適当に買ってくるから」
その格好で外には出せないと案にいえば、素直に頷いてくれる。でもとたんに神妙な面持ちになって私の手を握ってきた。どきり、と心臓が跳ねる。
「イク、心遣いは嬉しいけれど、イクの負担になることはしないでくれ」
「……私は、そこまでお人よしじゃ、ないよ」
「なら、よかった」
そっと口にした嘘に、レイスは心底安心したように笑った。つきりと胸が痛んだけれど、普段から節制しているし、むしろ振り込み額に対して使った額が少ないと心配されることもあるのだから、これくらいの出費は多めに見て欲しい。そんな言い訳を胸の中で言い連ねて、財布をもってバッグを取る。
「さっそく、でかけてくる。お昼は……なにが食べたい?」
「なんでもいいよ。イクの好きなもので」
「そう? じゃあ、いってきます」
徒歩十分の駅前からバスに乗って十五分。市内では一番大きなショッピングモールの、普段なら素通りするメンズ売り場。
きょろきょろとしていたらかっこよく服を着こなした店員さんが愛想のいい表情でよってきた。本当はあんまり店員さんと話すのは得意ではないし、いつもならさっさと選んで購入するなり立ち去るなりするのだけど、今日ばかりはそうもいかない。
すでに春ものからちょっと気が早いとおもうけど、一部夏物になっている服を眺めながら、かけられた声にこたえる。
「なにをお探しですか?」
「えっと、兄弟の……上着、を。この季節のもので……」
「でしたら、こちらのパーカーなどいかがでしょう。春らしくてさわやかですよ」
用意していた言葉をつっかえつつも何とか口にする。
服にもさわやかという表現が当てはまるのかとちょっとおかしな気持ちになりつつ、じゃあそれを、と口にする。
メンズものなんて縁がなさ過ぎてわからない。店員さんのお勧めに従ったほうがいい。
「下に着るのは、薄緑色のタートルネックなんですけど、色は……」
「無難なところではグレー、ちょっと派手でもよろしければ青色などお勧めですが」
「……青、で。あと、靴を一足……サイズは……」
S、M、L、ではなくメジャーで測った長さを伝えてしまったので店員さんが一瞬固まったけど、すぐにならLサイズですね、こちらなどどうでしょう、と服売り場の一角にある靴のコーナーに案内してくれて、これまた無難そうな値段も手ごろなものを選ぶ。
「あと、帽子、ありますか?」
「帽子も色々ありますが、ニット帽でしたらセール品もありますよ」
そういってさらに売り場の奥に案内されて群青色のニット帽を手に取った。これなら銀髪もいい感じに隠れるだろうし、なにより雰囲気がかわりそうだ。一目で警察の人にばれることもないだろう。
「はい、これで。お会計、お願いします」
「ありがとうございます」
さわやかな笑顔とともに支払いを済ませて商品を受け取り、大きく息を吐き出した。
気が滅入らないうちに同じショッピングモール内にはいっている世界的カジュアル衣料品メーカーに足を向ける。
寝るときも同じ服をきせるわけにはいかないし、下着だって必要だろう。こちらでは店員さんに声をかけられることもなく、私から声をかけることもなく、ぽいぽいとカゴに必要なものをいれていく。
パジャマがわりのスウェットの上下に目に付いたシンプルで無難な下着を数着。
お会計をして一息吐く。
(お昼、は)
バスの中であれこれ考えたけれど、どれも持って変えるまでに冷えてしまう。駅前のファーストフード店でテイクアウトしようと決めていた。
まっすぐにバス乗り場に向かい、ちょうどタイミングよくきた駅前いきのバスに乗る。
人ごみは疲れる。疲労を感じながらがたごととバスに揺られる。行きより早くついた気がするなぁ、とバスを降りて、そのまま某有名ファーストフードチェーン店に。
いつもなら使わないお店だけど、外国でも展開しているからはずれがない。と、思いたい。
オーソドックスなメニューから二つセットで選ぶ。
お会計をして番号を渡されてちょっとまって、受け取って。これで一仕事終わりだ。
午後二時、家を出たのが遅かったからすっかりお昼を回ってしまった。近いとはいっても、ショッピングモールは地味に時間を使う。
ふう、と心の中でため息を吐き出して、部屋に向かって歩く。こういうとき、スマホって便利だなって思う。メールが出来たら一言、いまからかえるよ、って送るのに。
あ、メアド、きけばいいのか。
普段本当にスマホートフォンを使わないから今日も部屋に置き去りだった。目から鱗だ。帰ったら忘れないうちに聞こう。そう決めて、少しだけ歩くスピードを上げた。