パン屋の居候娘 その1
~某日、王都中央噴水広場近くのパン屋~
彼女の朝は早い。
まだ暗い内に起きると一階の厨房に下りて顔を出し、店主に朝の挨拶を済ます。
その後は外の掃き掃除と店の掃除をやっつけ、その頃にはパンの第一陣が焼きあがるので今日の出来を見がてらパンを朝食にし、食べ終わる頃には第二陣が焼けるので店に陳列していく。
一通り終わって一息入れるとオープンとなり、すぐに朝のピークが訪れる。
時間的にはまだ朝食前だが、それに合わせて朝食用のパンを焼いているので、それ目当てに近所の人が買いに来るのだ。
一部の職人系の仕事の人は丁度出勤時間で、朝ご飯と間食用にサンドウィッチを買っていく。
この世界において主食はほぼパン一択なので、大体近所の人は朝に朝食と昼食分を、夕方に夜の分を買いに来る。
各家庭でパンを作らないのかと言えば、家庭によっては作るし貴族の家も割と自家製だったりするのだが、それでもこの店には大抵のご近所さんが買いに来てくれるし、北の貴族街入り口に位置する場所に店があるので爵位持ちの貴族の従者も主人の夕食用に買いに来る。
大体売り切れた所で朝のピークが終わり、八時を過ぎるので一休みとなる。
こんな朝の風景も、もう三か月程になる。
出稼ぎに来たので雇ってほしい→とりあえず試験雇用で→どう言うわけかお客に人気で正式採用→何ならうちの空き部屋使えや→ありがとうございます。
そんなやり取りが行われたのは、かれこれ三か月ほど前だ。
本当は出稼ぎじゃなくて王国の事を学ぶため――と言う名目のトモヤの観察なのだが、若い女の癖に働きもせず宿屋に一人で寝泊まりするのも目立つので、当初よりどこかで働き口を見つけて一人暮らしをする予定だった。
仮に昼間働いていないように見えると、それはほぼイコール夜の女扱いされかねないのだが、それで変に目立ってあちこちから声がかかるようだと『王国民に紛れての実地調査』を達成しにくくなってしまう可能性がある。
種族的にはそう言った目で見られるが、実際は魅了の魔力を発する種族と言うだけで、誰も彼もが爛れた日常を送っているわけでも無いのだ。そもそもあの森でそう言った相手を探すのは骨だし。
幸いにも店主に気に入られて居候させて貰える事になったし、仕事柄忙しいのは一日でも数回の決まった時間なので自由時間が多くて助かった。
そもそもが、『食品を扱う店ならそう言った自由時間があるのでやりやすい』と教えてくれたのは父であるベスターだったりするのだが。
他には飲食店等も視野に入れてはいたのだが、微量ながらも漏れる魔力に魅了の効果が混じってしまうので、場合によっては非常に面倒な事になりかねないから、一度に対応する人数が確実に少ない個人経営の食品を扱う店が無難だったのだ。
働いてみたら人気店で、下手をすれば飲食店の方が無難だった可能性は否めないけど。
「いらっしゃいませー。あらジョセフさん、どうしたんですかその手」
昼前に昼食を買いに来たのは、一般兵団一本で生きている四十代半ば位のジョセフさんだった。
二の腕が包帯でぐるぐる巻きになっていて、よくよく見ると血が滲んでいる。
「おお、サクラちゃん今日も可愛いね」
「どうせそんな事を言っているから奥さんに怒られたんでしょう」
「いやー、コップまではキャッチ出来たんだが勢い余って包丁まで飛んできて、あわや大惨事だ」
「一体どうしたんですか」
「いや、ほら、二丁目のマッシュのとこの奥さんが大荷物持ってたから手伝ってやったんだが、家まで運んでさぁ帰ろうって所にうちのと鉢合わせしてな。浮気だなんだって大騒ぎよ」
「ジョセフさんの奥さん、嫉妬深いから。それだけ愛されてる証拠でしょうけど」
「たまに重すぎる愛に悩みもするんだがなぁ」
「まぁ、そう言う事ならちょっと手を貸してください」
「おう?」
鍛えられて自分の四倍や五倍はありそうな太さの腕に手を当てると、エキストラヒールをかける。
魔法自体は得意では無いが、そもそも母や同族が魔法に達者すぎるのだ。
これでも魔法師団の上位並には魔力もあるし、魔法師団の平均以上に色々な魔法を使える。
「うお、すっげーなサクラちゃん。うちの奴のヒールじゃ軽い止血が精いっぱいだったのに」
「外側を塞いだだけで中は少し傷が残っているので無理はしないでくださいね」
「助かったよ。よーし、じゃあ隊の奴の分も買ってってやるかー!」
ガッハッハーと豪快に笑うと、あれとこれとそれと、と大量注文になった。
それらを三つの大きな紙袋に入れて会計を済ますと、お代を頂いてジョセフさんは上機嫌のまま帰って行った。
「次焼けたぞーぅ。おーいサクラちゃん、品出し頼むー」
「はーい」
あと少しでお昼を買いに来るお客さんで賑わうのが、ここ『噴水広場前のパン屋』である。
他にもパン屋があるが、基本的に凝った名前を付けるよりかは位置情報を名前に入れた方がお客さんに覚えてもらいやすいし、どこも大体そんな感じでやっている。
人によっては店主のダリルの名前を取って『ダリルのパン屋』とか言ったりもする。
元は爵位こそ無いがある程度お金のある貴族だったようで、どう言うわけかパンに目覚めてパン屋をやる為に一等地の噴水前に店を構えてしまったのが先代。
資産は店を出す費用で殆ど使ってしまったらしい。
二代目のダリルは『俺は貴族で悠々自適に暮らしたかった』と嘆きこそすれ、料理関係の特性を持っていた事で先代よりも美味しいパンが作れてしまい、結局こうして店をやっていた。
人柄も良く、お店も繁盛している事から先代の知り合いの娘である一般貴族の娘さんを嫁に貰い、二人で切り盛りしていた。
が、奥さんのアリサさんに子供が出来て働けなくなり、丁度お店に立てなくなる寸前に自分が雇ってくれと言ってきたことでトントン拍子に話が進んでしまったのだった。
そのアリサさん、妊婦だからと言ってゴロゴロしているわけでも無く、店内に椅子を置いて常連やサクラと日がな一日喋って過ごしていたのだが、そろそろそれも辛くなってきて、『毎日最低限の運動をした方がいい』と言うサクラのアドバイス通りに三十分ほど散歩をしてきた後は部屋でのんびり過ごすようになっていた。
そうなるまで雇われて一か月も掛からなかったのだが、ダリルやアリサから見てサクラは表情はあまり変わらないけど可愛いし人当りも良く、会話も上手ければ計算も間違わず、ある程度魔法を使える事で助けられているので最早無くてはならない存在になってしまっているのだが、サクラとしては王都にいる間の住処と割り切っている。
サキュバスは、若くて魔力の発達が未熟なうちは尻尾や羽と言った魔族の部分が出てこないので、見た目だけは完全に人間と変わらない。
仮に出てきたところで隠すことも出来るので問題は無いが、種族の違いと言うのは特に王国民には大きな問題だった。
エルフを崇拝し、そのせいでドワーフを何となく嫌うと言う部分だけでも、エルフと人間族を特別視しやすい傾向にあると言える。
そこに来て忌み嫌われる魔人なんて現れたりしたら、物の三十分で十重二十重に兵士に取り囲まれるだろう。
現状特にバレる心配も無いが、水鏡を使っての特性検査をしたらわかってしまう。
特に王城にあるのは特性だけじゃなく種族や魔力量なんかも測れるらしい。
なので、何となく魔法を使いはするが、『生活必需魔法に毛が生えた程度しか使えないんですよ』と言って魔法師団に入ってみたらと言う言葉を回避したりもした。
「そう言えばサクラ、後で出かけたいって言ってたけど、一通り焼きあがったら俺が表に出るからいいよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
勿論行先はトモヤの所、では無くて噴水だった。
ダリルがニヤニヤしている。
サクラとしては辟易しているのだが、サキュバスである以上、高い魔力を隠匿していても魅了の効果は少しあって、お客さんに熱心に誘われる事がある。
うちの家政婦にならないか、と言う爵位持ちの貴族もいて丁重にお断りしたのだが、爵位持ちの誘いを断る事自体に多少のリスクはあり、一回断ってもちょくちょく言ってくるので適当にあしらっている。
これで無下に断りでもしたらダリルさんやアリサさんに何か迷惑が掛かる可能性もあるし、特にアリサさんは大事な時期なので問題事が無いに越したことは無い。
今回は、やはり同じく常連の平民だったが、稀にみる優良物件と近所で評判の好青年だ。
貴族の経営する商会で順調に出世しているそうで、将来的には支店の運営を任される可能性すらあると言われる程なのだが、そんな彼もサクラを見て一目惚れしてしまった。
『サクラさん。今度お昼を一緒にどうでしょうか』とダリルやアリサのいる前で真っ向勝負に出てこられ、その状況で無下に断るのもかわいそうだし雇用主に自分が悪く思われるのも避けたいしで、結局『じゃあ今度』と素っ気なく返した。
その今度、は後日ダリルやアリサのいないところで打ち合わせしたので詳細は知らないはずだが、昼頃に外に出たいと言い出したら一発でバレる。
問題は自分に普通の人間と付き合う気が全く無い事で、ハナからどうやって店の売り上げに影響が出ないように断るかを考えているあたり、青年が可愛そうだと思わなくも無い。
結局、食事の後に『また今度誘っていいですか?』の問いが来て、『年一回位でしたら』と返した事で多分終わった。
終わったと思いたい。
当人は元々高根の花だと思っていたようで、特にショックは受けてる様子も無く『ではまた来年誘いますね』と返してきた。
さて、来年どうなるのだろう。
夕方から夕食前の書き入れ時を片付けると、今度はアリサの代わりに食事の準備をする。
母であるフローラが家事全般パーフェクトだったので色々仕込まれはしたが、どう頑張った所で『最強の主婦』と言う特性を持つ母に並び立つ事すら出来るわけが無い。
どうやら家事や旦那の世話など、主婦において必要なスキルを完全にこなせる特性らしいが、非常にレアな特性らしく正確な所は父であるベスターも知らないらしかった。
考えようによっては主婦としては最高クラスの戦闘力を持っている、と言う称号みたいな物の可能性もあるけど。
そして自分はそう言った家事関連のスキルが『家事手伝い』と言うまさかの物だったので、あんまり期待できない。
種族的にも愛を司るなんて言われるだけあって、旦那の為に家事系のスキルが発現しやすい種族ではあるらしいのだが、どうやら中途半端らしい。
ただ、師が師なだけに、王国民程度の舌なら十分満足できる料理が作れるらしく、試しに一度作ってみたら今度から頼むと言われてしまった。
食事が終わると片づけて、シャワーを浴びて自室に引きこもる。
と見せかけて布団に寝てる風の自分を模したダミーを魔法で作り、自分は透明化の魔法をかけて窓から飛び立つ。
羽があるわけじゃないが飛行魔法くらいなら使える。
行先は学校の寮だ。
中央噴水広場前のお店からは直線で大体五分ほど飛べば着く。
どうやら最近トモヤは自分の漏れ出る微量の魔力を感知出来るようになったらしく、ベランダに着地して少しすると顔を出すようになった。
自分の魔力感知が出来ると言う事は、魔力に交じっている魅了の効果も受けてなければおかしいのに、トモヤはそう言った反応をしない。
何なら母の、魔族からしても強力な魅了の効果を受け付けなかったと言うので、それはもう魅了無効化能力か女に興味が無いかのどちらかだと思う。
最初の頃は学生からくすねた制服を着ていたのだが、部屋に置いといて見られたら面倒なので透明化の魔法で全て誤魔化す事にした。
これでも誰かに見られたら問題になりかねないので、自分が見られる範囲は魔力感知で一通り確認しながらだし、隣の部屋の動きにも注意していた。
最悪見つかったとしても、短時間なら簡易的なシェイプチェンジの魔法で服装くらい変えられるので、何とか誤魔化すつもりだ。
「抜けられないかもしれない」
「大丈夫よ。攫ってあげるから」
「うーん、サクラに言われるとそれも有りかもと思う自分がいる」
その後の大騒ぎを思い浮かべるだけで面倒くさい。
自分が今の生活を出来ているのは、あくまで『パン屋の雇われ看板娘』くらいで済んでるからで、魅了の力を使って繁盛させたりしたら目立つし、次期国王とされるトモヤを攫ったとなったら近衛兵団が出てこないとも限らない。
出てきたところで一ひねりだけど。
と言うか、そもそも自分がトモヤを攫った証拠すら残らないけど。
じゃなくて、ここに来た理由の大半はトモヤの抱える茶色のトラ猫であるところのトラ子だった。
猫は癒し。
「うなー」
「むふ」
抱っこして顔の前まで持ち上げるとお腹に顔をうずめた。
至高のひと時。
その状態がくすぐったいのか、トラ子が後ろ脚をジタバタして顔に当たるけど、それすらも愛おしい。
冬毛でもこもこのお腹、最高。
「……もう最近猫と遊ぶために来てるよなぁ」
「仕方ないじゃない」
そもそも王国内で猫を飼うのは結構難しいらしく、お客さんに聞いたら『一応巨大化するせいで害獣扱いになってるから、飼う場合は届け出とか必要だよ』と言われ、そもそもお店で飼えるわけも無いし大人しく諦めた。
「多分今月中、遅くても来月半ばまでにドワーフ王国に攻め入るってママが言ってた」
「マジか」
「ドワーフが太い地脈に何かの細工をしてるみたいだけど、
とりあえずそれの確認と正常化できるかの調査だって」
「うちにシエルがいるせいもあるけど、殺し殺されみたいなのは止めて欲しいなぁ」
「言っておく」
部屋の中で気配が動いた。
トラ子をトモヤに返すと透明化の魔法を使い、寮の屋根まで飛ぶ。
いっつもトラ子が見えないはずの私を目で追うのは、どういう目をしているのだろう。
「トーモヤー。次お風呂いいよー。何なら私ももう一回入ってもいいよー」
「もう一回入るんならシャルを入れてやってくれ」
今日はドワーフ娘か。
本当ならもっとゆっくり話し――モフり――たいのに、ある程度の時間が経つと誰もがトモヤを探しに出てくるから困る。
一応ざっと周囲を観察してトモヤを狙う輩がいないかのチェックはするが、過去一度としてそう言った刺客を見つけた事は無かった。
そもそもだけど、トモヤは王国的にも重要人物になっているはずが、貴族内では味噌っかす扱いで結局シェリール王女のカリスマ性で今後も王国を切り盛りするんだろうと言うのが貴族からの評価だ。
これで眉目秀麗系マッチョで世の女性を篭絡するタイプだったら多少は危機感を持たれたかもしれないが、そもそもが一般的な女性陣の趣味から外れるタイプなので、その辺りも安心。
トモヤみたいなこの世界ではひょろい系に属す男は、どちらかと言うと権力を持つ女性がペット的な魅力で魅かれると言われていて、貴族の中でも女系が強い所ではそう言う『ペット君』がいくらかいると言われているが、それでも基本はマッチョ系が好かれるので大丈夫だろう。
こうして五分も話さないで寮から離脱するのだ。
頻度としては週二回か三回だけど、父であるベスターから『トモヤの近況は?』とさも当然のように聞かれるので、それなりに気を付けて観察するハメになっている。
と言うか、元々自分が王国に派遣されたのは、トモヤとのラインを確保する為だったと確信していた。
最近では城までくる人間族がおらず、もう人間と交流する機会も無いのかと凹んでいたはずだったのに、ふと気が付けばトモヤラブな父の出現である。
一体何が起きたのか、正直最初は理解出来なかった。
実際話してみると悪い奴じゃないなとは思ったけど。
こうして、一応魔力感知の上位である魔力捜査を警戒しつつ寮を離れ、店へと戻った。
あのエルフには気付かれていないはずだけど、もし気付かれていて泳がされていた場合、結果的にダリルさんやアリサさんに迷惑が掛かりかねない。
そうなったらなったで動きようはあるけど、本来の目的の為にも自分は目立たないのが一番なのだ。
魔力感知自体は五感に魔力を感じる器官を追加したような付加的な能力だが、魔力捜査は自分の感じ取れる範囲の中での異常を探す能力で、これを使われると魔力を抑えているサキュバスは見つかりやすい。
普通の人の魔力量よりも気持ち抑え目にしないと魅了の影響が出てしまうからだが、かと言って元々疑われもしない限りはそんな事もされないので大丈夫だと思う。




