はじまり
春のうららかな昼下がり。
「ごきげんよう」
そんな少女小説でしか見たことのない挨拶を目の前で繰り広げる、生まれも育ちもよい良家の少女たち。
しかも生まれ育ちが良いだけではなく、全員、顔が良い。
容姿も入試の選抜基準だったんじゃないかと疑いたくなるくらい美少女揃いだ。
地元で〝あさきた小町〟に選ばれたこともあり、多少は容姿に自信のあった広能可憐もすっかりビビり、それを隠しきれずにいた。
「ごきげんよう」
猫真似で挨拶を返す可憐。
――――声が震えている。顔も引きつっている気がする。
だけど、始まったばかりの高校生活。
見知らぬ土地、新しい学校、まだ出会っていない友達。
想像するだけで胸が躍る。
物怖じよりも期待のほうが大きかった。
教室に入ると、20個あまりの机が目につく。
戦前の教室を彷彿させる古くささ。…………というよりも、実際に戦前から使われているものだ。
しっかり掃除されていてカビやホコリのにおいはしない。
可憐は、映画のセットみたいと一目で気に入った。
――――ここでかつてどんな青春が繰り広げられて、自分にはどんな青春が待っているんじゃろ。
すっかりポエムスイッチが入ってそわそわする可憐。
窓際、後方の自分の席に座る。
ほどよく日の光と風が入り込む気持ちの良い席だった。
前方に目をやると黒板の上に額に視線が止まる。
なかに茶色く日焼けしたなにやら揮毫してある紙が入っている。
〝良妻賢母悪役令嬢〟
平成すら終わった今日、〝良妻賢母〟を未だに掲げているのも引いてしまうのに、なにやらよく分からない単語まで追加されている。
目を擦ってみる…………。
もう一度目を擦ってみる。
〝悪役令嬢〟の文字は消えない。
「………………悪役令嬢ってなに?」
可憐はひとりごとをつぶやいた。
§
私立悪役令嬢女学院は横浜の山手にある中高一貫の女子校である。
フランス人宣教師の開いた日本屈指の名門校。
校舎は開校当時のままの木造二階建て。明治時代の洋館そのものである。
洗練された上流階級出身のクラメイトのなかで、普通のサラリーマン階級出身の上に、地方から出てきたばかりの可憐はどうしても浮く。
しかも、クラスメイトのほとんどが内部進学組。
すでに人間関係が出来上がっていて、外部から入学してきた可憐が付け入る隙はない。
必然的にぼっち飯になっていた。
昼休み。自分の席で俯く可憐。
――――なんということじゃ。なんということなんじゃ。
親の反対を押し切って関東に出てきた手前、逃げ帰ることは出来ない。
さっそくのピンチに頭を抱える。
そこに救いの手が差し伸べられる。
「広能さん、いっしょに食べない?」
その明るく活発だがちょっと軽い感じの美少女は名を槙原梓と言った。
§
なれない環境でどっと疲れて、とぼとぼ帰路につく。
――――結局、梓ちゃんとしか友達になれんかった…………。
地元ではクラスの中心にいた自分が、横浜ではほぼぼっちと化してしまうなんて、と驚愕する可憐。
とりあえず明日取り返そうと、持ち前のポジティブシンキングで気合いを入れ直す。
ぐるぐる考えている間に、校舎と同じくらい古い寄宿舎についた。
〝悪女〟では寄宿が奨励されている。特別な理由のある一部の生徒を除く、ほぼすべての生徒が学校に寝泊まりしている。
個室はなく上級生と二人で一つの部屋。
――――全く気の合わないひとだったらどないしよ。
恐る恐る自分の部屋のドアをノックする。
中から「はあい」と返事が聞こえる。
「…………失礼します」
扉をゆっくり開いた。
「〝至高の悪役令嬢〟になれ広能」
個室は八畳ほど。正面が窓になっており、左右の壁にベッドがひとつづつ備え付けられている。古いだけあって質素な作りである。
「…………まあ、田舎から出てきたばかりで、分からないのも仕方ない。〝至高の悪役令嬢〟とは悪役令嬢のなかの悪役令嬢のことだ。気高く、美しく、研ぎ澄まされた刃物のように鋭利で、人の愛憎をその一身に集める。誰しにも平等に服従を〝許す〟選ばれた存在」
左手のベッドには、白猫と黒猫の柄のパジャマ姿の、線の細い美少女が入っていた。
可憐が軽くお辞儀すると、にこりと微笑み返してくる。
「貴様にはその〝至高の悪役令嬢〟を目指してもらう」
近づいていって挨拶をする。
「きょ、今日からお世話になります。1年の広能可憐ですっ。よ、よろしくお願いしますっ!!」
「2年の山守落葉です。よろしくね、可憐ちゃん」
落葉はつややかな腰まである黒髪を棚引かせて、儚げに笑った。
「そして、こっちはメイドの義侠さん」
そして、さっきからよく分からないことを捲し立てていたグラサンのメイド服姿の筋肉男を指さす。
可憐は目を擦る。もう一度目を擦る。
グラサンメイド男の幻影は消えてくれない。
「よろしくなっ!! 広能っ!!」
肩をばしぃんと叩かれる。痛みが拡がる。
「うわああ実体があるっ!!」
叫ぶ可憐。
「はっはっは、この坂井義侠が見えないというのか」
頭に手を当て、ナイスジョークと笑う大男。
「こ、この人は何なんですか」
落葉に問う可憐。
「私たちふたりのメイドさんです」
「…………返品出来ないんですか」
「駄目です」
「ええーー」
うふふふふ、と落葉とふたりして笑い合う可憐。
「「………………………」」
笑ってもグラサンメイドは消えない。
「おかしいじゃろ!?!? 何で女装した大男がっ!!」
グラサンメイドに向かって叫ぶ可憐。
「はいー、差別。男が女装しても何も問題ありませんー。差別止めてください」
「いやいや女装はいいとして、何でここにおるんじゃっ!!」
「メイドだと落葉さまに説明されただろう。忘れんぼさんめっ!! お前こそ、その、のじゃろり語やめろ。高校生にもなってキャラ作りとか痛々しいぞ」
「キャラ作りじゃないけんっ!! ただの方言じゃからっ!!」
あなたはなんなんですかとか、ほんとなんなんですかとか、疑問が頭の中をぐるぐる回る。
「〝至高の悪役令嬢〟になれ。広能」
同じ言葉を繰り返すグラサン。
「…………〝至高の悪役令嬢〟ってなんなん?」
可憐は日和って会話を始めてしまう。
「〝至高の悪役令嬢〟とは〝至高の悪役令嬢〟だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「………えぇ」
腕を組んで黙り込むグラサンメイド。
「そ、その至高の悪役令嬢ってなんか、ダサくないん? 至高のって自分でつけちゃうのって」
「不服なら、〝至高の悪役令嬢〟になってお前が変えろ。称号を変えても文句を言わせないほどの〝至高の悪役令嬢〟になれ!!!!」
「ええぇ…………」
関わってはいけない人種だと脳内でアラームがけたたましく鳴り響く。
しかし何も言わず、ずん、と近づいてくるグラサン。
「…………そのう、うちよりもっと、…………その、…………し、至高の悪役令嬢?に向いている人はいると思うんじゃけど」
「そんなことはないっ!! お前、いじめっ子オーラ隠せてないぞ」
「はい? …………い、虐めしたことないけん」
「小学生のころは!?」
「…………ど、どうじゃろ」
首を傾げる可憐。3年以上前のことなんて記憶があやふやだ。
「でたっ!! 人を傷つけておいて無自覚っ!! やはりお前は悪役令嬢に向いてる。〝至高の悪役令嬢〟の素質がある」
「…………何でいじめっ子だったって決めつけられなきゃならないんじゃ」
――――いじめっ子であることが至高の悪役令嬢に向いているということになるんじゃ。悪役令嬢って夜のお店の女王様みたいなものなんじゃろうか…………。
可憐の疑問に答えは与えられなかった。
一週間に一度3,000字程度は投稿するのを目標に書き進めていきたいと思います。
よろしければお付き合い下さいませ。