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第3話 越境者



 真っ白の空間の先に光が見える。

 淡く輝く波紋が揺らめいている。

 その向こうには出会ったことのない人々が、見たことのない景色が、限りない未知が満ちていると、英雄譚にそう教わった。


 知ってしまった外の世界。

 行きたいと思った。


 緑豊かなだけの大森林はどこか窮屈だったから。

 樹々の梢に切り取られた空以外の風景が観たかったから。

 内に籠り、外部を断ち、知りもしないで同族以外を毛嫌いする一族に失望していたから。


 雲の流れる先には何があるんだろう。

 森の向こうの明日には、どんな未来が待っているんだろう。

 退屈な今から抜け出したいと、少女は心から渇望した。


 最初は望んだ。望むだけでは周りは変わらなかった。

 次に考えた。待っているだけでは状況は変わらないと理解した。

 最後に実行した。自ら行動を起こし、自由になると決心した。


 家族と別れ、一族を離れ、森を駆けて。

 やっとの思いで、手を伸ばしても届かなかったその光に遂に辿り着いた。

 歓喜に震えながら大きな一歩踏み出して……。


 それから──。









「…………んぅ……」


 ゆっくりと意識が浮上していく。

 ぼやけた視界に映るのは夢の続きではなく、木造とは異なる見慣れない白い天井だった。

 部屋に僅かに差し込む陽の光に目を瞬かせ、少女──リーティア・トワイライトは覚醒しきっていない朧げな頭でぼんやりと思考する。


(…………あれ、ここは? たしか、森を出るために『境界』を抜けて、初めて見た外の世界に感動して、そしたら男の人たちに…………っ⁉︎)


 微睡みが吹き飛ぶ。

 ぬるま湯に浸かっていた自身の人生の中では一番と言っていい壮絶な記憶を思い出し、リーティアはがばりと身を起こした。

 その拍子に額に乗せられていた冷えた濡れタオルがぽとりと落ちるが、動転していたリーティアは気付かずに慌てて周囲を見回した。


「…………ここは……?」


 簡素な一室だ。ベットが二つ、衣服の収納棚に二人用のテーブルセット。部屋に置かれているのはそれくらいで、あとは玄関に繋がっているだろう廊下とカーテンに閉ざされた大きな窓があるだけ。

 一般常識に疎いリーティアではあるが、ここが何処かしらの宿泊施設だろうということは判った。


「…………?」


 混乱は収まり、代わりに疑問が残る。

 泊まった記憶はない。ベッドで就寝した覚えもない。というより、人里に辿り着いてすらいなかったはすだ。

 まず間違いなく、此処までは何某かに運ばれたのだろう。

 誰に? と自身に問う。

 黒衣に身を包み、白銀と翠緑が印象的な女性の姿が目に浮かんだ。


「……もしかして……」

「──目が覚めたんだね」

「っ⁉︎」


 不意に掛けられた声にリーティアはびくりと過剰な反応を示し、声の出所である廊下に急いで視線を向ける。

 奥から現れたのは記憶通りの、窮地を救ってくれた箒を手にする女性だった。


「おはよう。えーと、リーティア……でいいんだっけ?」

「あ、はい。リーティア・トワイライトと申します。……それで、あなたのお名前は……」

「あぁ、そっか。まだ名乗ってなかったね」


 胸に手を添え、女性は微笑を浮かべる。


「私の名前はディアナ。出会ったのも何かの縁だし、とりあえずよろしくね」


 英雄譚に登場する魔女に酷似した風貌の女性──ディアナは、強烈な出逢いに反し穏やかで優しげな人だった。

 暫し見惚れていたリーティアだったが、するべきことを思い出しあたふたと立ち上がる。


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします! あ、あと、助けてくれてありがとうございました!」


 最大限の感謝を込めてリーティアは何度も頭を下げる。見ていて心配になるくらいにその動作は緊張気味で、忙しない態度はいっそ清々しい。

 稀に見る潔い謝辞にディアナは大袈裟だと苦笑する。


「どういたしまして。身体の具合はどんな感じ?」

「はい、もう大丈夫かと思います。ちょっと頭が痛いですが……」


 男に裏拳を受けた側頭部をさする。

 傷にはなっていないが触れば一発で分かるくらいには腫れており、鈍痛には思わず顔を顰めるが動けないほどではない。


「そう、大事にならなくて良かったよ」

「この度は本当にありがとうございます。ディアナ様は命の恩人です! なんと御礼を言ったらいいか……」

「御礼なんていいよ。あまり気に病まなくていいから」

「いえ、でも……」

「それよりもリーティア、あなたお腹空いてない?」

「……えっ?」


 何かを言い淀むリーティアに先んじて、ディアナはふとした疑問を口にした。

 問われた少女は角度の変わった質問にぽかんと固まり、あまりの突然さに逆に落ち着いたのか自身の腹部へ目線を落とす。

 ぐぅ〜っと、可愛らしい音が鳴り響いた。


「やっぱりお腹空いてるみたいだね」


 くすくすと微笑むディアナに揶揄うような気配はないが、意味はどうあれ笑われたリーティアは羞恥で顔が真っ赤になる。

 可愛らしい反応を横目に、ディアナはテーブルに乗せられているフルーツバスケットから紅い果実を二つ取ると、一つをリーティアへと投げ渡した。


「一先ずそれでも食べて。それであっちに浴室があるからシャワーでも浴びてくるといいよ」

「そ、そんな、そこまで気を遣ってもらわなくても……」

「……リーティア」


 遠慮は時に無粋となる。

 微笑みは崩さぬまま、一切笑っていない瞳でディアナは首を微かに動かして行動を促す。


「いいから行きなさい」

「はいっ! 失礼しますっ!」


 親に叱られたような気分になったリーティアは受け取った果実を片手に、急いで浴室へと駆け込んでいった。





 ◇





「わぁーっ!」


 見渡す限りの人、人、人。

 ヒューマンを始め、ドワーフや獣人など様々な種族で溢れる大通りに出たリーティアは、感動で思わず声を洩らした。

 同族しかいない森で育った彼女にとって、この人混みは行き交う人々を眺めているだけで一日を過ごせると思える程に目新しい。

 かつてない開放感に感動で身が震える。まさか自分が森の外の世界を満喫できる時が来ようとは。雑多な喧騒ですら耳に心地良いとリーティアは浮き足立つ。

 が、その直後、はっと思い出したように慌てて後ろへ振り返った。


「……あっははー」


 視線の先では含みのある笑みを湛えたディアナが純真無垢な少女を見守っていた。


「街に出ただけで嬉しそうなんて、余程の箱入り娘だったみたいだね、リーティア」

「い、いえ⁉︎ そんなことはっ! いくら私がエルフだからって同族以外の人を初めて見たとか、そんなことは決してないですよっ⁉︎」

「やっぱり初めてか、流石ね引きこもり」


 パタパタと手を振って必死の見栄を張るリーティアをディアナはばっさりと切り捨てる。

 エルフと書いて引きこもりと読む、これ世界の常識。その一族の姫ならば言わずもがな。

 微笑ましさより呆れが先が出るくらいだ。この程度で脚を止められるのは一々付き合ってられないので、ディアナは先んじて街へと繰り出す。


「さぁて、ご飯ご飯。リーティアもあれじゃ物足りないでしょ?」

「はい……たしかに、お腹は空いています」

「まぁ、ほとんど一日中寝てたらお腹も空くよ」

「私、そんなに寝ていたんですか?」

「うん、そりゃあぐっすりとね」


 短時間とはいえ追われ続ける精神的疲労と、絶え間ない全力疾走は身体へ相当の負担を掛けていたらしい。とどめに食らった脳を揺さぶる拳撃は特にこたえたようだ。

 鈍痛と熱に苛まれていたリーティアがたった一日でここまで動けるようになったのも、ディアナの適切な看病のお陰である。


「……ディアナ様。お食事はその、何処かの酒場? 料亭? などといったところで、金銭を支払ってお召し上がりになるんですよね?」

「その質問が疑問形な時点で、リーティアがエルフの中でも極め付けの世間知らずだっていうのがよく分かったよ」

「す、すみません……。でも私、お金を1キャリスも持っていないんです……」

「へぇ、流石の箱入りエルフでも通貨単位は知ってるんだね」


 馬鹿にし過ぎとも取れる発言だがディアナに他意はなかった。エルフは森の外の当たり前を知らないのが殆どだからだ。

 まず故郷を離れるエルフの絶対数が少なく、その者たちは大抵がエルフの中での変わり者のため帰郷という発想が頭にない。

 只でさえ外界との繋がりを断ち、外に出て行く同族とも縁が断絶されるのだ。常識がないのも窺い知れるというもの。

 その点を踏まえると、通貨の単位まで把握していたリーティアは十分に教養があると言えるかもしれない。……あくまでエルフの中では、という一言が付くが。

 どうしてエルフがそんな取り返しも付かないコミュ障を抱えてしまったのか。

 少なくともディアナは知らないし、興味もさらさらない。


「あっ、でも私宝石を持ってますので、それで物々交換が出来るんじゃないかと!」

「お馬鹿」

「うっ……」


 案の定常識が欠けている。

 頓珍漢な発言をするリーティアの頭にディアナは軽い手刀を叩き込む。


「リーティアの持ってた宝石は少し見させてもらったけど、どれも超が付く一級品ばかり。たかが街の酒場じゃ店中の食材掻き集めてもお釣りがくるよ。ちゃんとした換金所でお金に変えなさい」

「……でも、それでは料理の代金が……」

「最初からリーティアにお金に関しては期待してないよ。私が奢るから、積もる話はその時にでもね。……ほら、着いたよ」


 宿から歩いて約十分。

 着いたのは海岸に程近い通りにある酒場兼大衆食堂。外からでも中の賑わいが聴こえてくるそこは、リーティアにとっては新鮮さの塊であった。

 瞳を輝かせる少女を見て、意外と欲望に忠実な子だなとディアナは良い意味で感心する。

 初めての場所でも尻込みしないリーティアの度胸を見て取ったディアナは、中が伺える仕様の横開きの入り口を開け放った。


「大将! 二人、空いてるー?」

「おうよ! 可愛い嬢ちゃん二人だ!」


 『らっしゃい!』と男達の野太い声が唱和した。

 ディアナの陽気な態度、店員の息の揃った掛け声にリーティアはギョッとする。

 エルフの少女は興味深げにきょろきょろと顔を左右に揺らしながら、ディアナの後に続き入店した。


「ほわぁ……」


 内装は知識にある海を思わせた。

 料理台の目立つ場所には珊瑚と水草で彩られた水槽があり、中では鱗煌めく魚が悠々と泳ぎ、扁たい二枚貝が水底にじっと構え、赤い甲殻類たちは鋏を持ち上げ自己を主張している。

 壁には特別平べったい魚と、手脚が胴体より長い真紅の蟹の標本が飾られ迫力満点だ。

 見るもの全てが目新しいリーティアの好奇心は収まるどころか確実に高まった。


「ディアナ様、ディアナ様! 水槽で泳いでいるのは海にいる魚ですか⁉︎ あっ、あの赤いのは海老って言うんですよね!」

「うん、まぁそうなんだけど……」

「あっ、あれが蟹ですね! 本当に鋏が生えているんですね!」

「よし。リーティア、少し落ち着こうか?」

「……あっ」


 多分に呆れを含んだディアナの声に、リーティアは冷や水を浴びたように平静を取り戻す。

 だが、時既に遅し。

 案内している店員がその屈強な体格に似合わない緩んだ表情で純な少女を見守っていた。


 いや、店中の全員が同じ顔をしていた。


「……っ⁉︎」


 首から駆け上がる朱色。

 居た堪れないなどという段階を優に超越し、羞恥で死にたくなったリーティアは急速反転して扉へ疾走しようとするが、そんな逃げ道はディアナが許さない。


「いや! 離してください、ディアナ様っ‼︎」

「はいはい、あなたは良い玩具だということが良く分かったよ。この短い間に何回恥ずかしがれば気が済むの?」


 首根っこ掴まれた少女は手脚をバタつかせるが、ディアナは意にも介さず奥のテーブルへと連行し問答無用で席に付かせる。

 対面に座ったディアナは両手で顔を覆う少女に構うことなく、意気揚々とメニューを手に取った。


「何がいいかな〜っと。リーティアもいつ迄もそうしてないでね」

「…………はい」


 このまま固まっていては迷惑もいいところ。

 失敗は無かったことに出来ないと諦めたリーティアは、赤い顔で大人しくメニューを開く。


 時を置かず、少女の変化は顕著に現れた。

 右へ左へ、上へ下へ。実に興味津々な様子で目線が動く。

 料理の内容は内装と同様に魚貝を中心とした海鮮料理がお勧めのようで、貝や海老、蟹といった本の中でしか見聞きしたことない料理にリーティアの興奮は再上昇。

 先程の失態は即座に忘失されたようだ。


「わぁーっ! どれも食べたことなくて目移りしてしまいます……!」

「……あれ? エルフって食べちゃいけない系の何かってあったっけ?」

「いえ、そういうのはありません。自然の恵みに感謝する儀式や祭事はありますが、肉も魚も食べられます。ただ、海の食材を見たことがなかったので……」

「うわっ……」


 リーティアの告白に、ディアナは僅かな憐れみを抱くと共に衝撃を受ける。

 食すことはおろか拝見したことすら無いとは。驚きを禁じ得ない。


「エルフってホント、生粋の引きこもりなんだね……」

「あはは…………」


 身も蓋も無い公の事実に、リーティアは苦笑い以外の選択肢がなかった。


 その後少女は盛大に悩んだ末、ディアナと同様に店一番のお勧め料理を注文する。

 給仕されたコップの水を口に含んでやっと一息吐いた頃合いで。


「さて、料理が来るまでどんなお話をしようかな。ね、エルフの『姫様』?」


 安堵が一転し緊迫に変貌した。


「げほっ、ごほっ⁉︎ な、なんでそれを⁉︎」

「ふふ、良い反応。リーティアは隠し事が下手だねぇー」


 けらけらと笑うディアナに、リーティアは今更ながらの今更過ぎる恐怖を覚える。

 ここまで流れで着いて来ていたため冷静になる暇が無かったが、そもそも何故ディアナは自分を慮ってくれるのか。それすらもリーティアは聞いていないのだ。

 焦りや動揺が急激に湧き起こり、リーティアは冷や汗をかいて百面相してしまう。

 眺めるディアナは非常に愉しそうだ。


「あっははー、ごめんごめん。大丈夫、別に取って食おうだとか、故郷に返還しようなんて考えてないから」

「……それでは、その、どうして私を助けてくれたのですか?」

「うーん、唯の気紛れなんだけど。そうだなー、強いて言うなら……」


 顎に指を添え、少し悩む素振り見せたディアナはこう答えた。


「私、この世界が好きなんだよね」

「……はい?」


 飛び出た突拍子の無い台詞に、リーティアは緊張感を忘れて素っ頓狂な反応を返す。

 流石にそれだけで説明を終えるつもりはなかったのか、ディアナは言葉を重ねた。


「見たことないは沢山あるし、食べたことないものも一杯ある。希少なお宝もあれば、心を震わす絶景美景も広がってるし、人類未到達の魔の領域も探究心を満たしてくれる。生死を賭けた戦いも刺激的で、自由気ままに遊び尽くせる玩具に満ちたこの世界が楽しくて面白くて仕方ないんだよね」

「はー……」

「──だから、世界の汚い部分は綺麗にしたい性格(たち)なんだ」


 ──ゾッとする声音だった。

 今迄のあっけらかんとした態度が一瞬だけだが完全に消え去り、一種憎悪にも似た念を感じる程に。

 得も言えぬ恐怖に身体の芯から凍えるような感覚がし、リーティアは鳥肌が抑えられない。

 しかしディアナの豹変は一瞬で、瞬きの後には瞳に宿った激しい感情は霧散していた。


「……で、リーティアは一体どんな経緯で此処にいるの?」

「……え⁉︎ あっ、その、えーとですね……」


 呆気に取られたリーティアは固まっていたが、元に戻ったディアナに話題を振られたので話す内容を沈思する。


「……全部話すと長くなりますが……」

「じゃあ要点を掻い摘んで」


 言外に長話は好まないと言われたため、どうまとめれば上手く伝わるのか黙考する。

 だけど身の上話などしたことが無いから、思案しても話の枝葉は切れるどころか伸びるばかり。

 結局、少女は心の想いを愚直に、溢れる言葉に任せて沈黙を破ることにした。


「……その、自由になりたかったんです。ご存知の通り、エルフは基本的に一生を森で過ごします。外部との繋がりはありません。それが最初は普通で、今思えば窮屈でしたが、別に不満はありませんでした。それ以外の世界を知らなかったので。

 でも、(あに)様……失礼しました、兄に、一冊の本を頂いたんです。後で知りましたが、それは有名な英雄譚の一つで、私はそれを読んで感動しました。森の外にはこんなにも私の知らない世界が広がっているんだって。それからは如何にして森から脱出するかを考えるようになり、その後色々あって脱出に成功し、『境界』を渡って現在に至ります……」


 束縛からの解放を遂げた少女の過去。

 不慣れな自分語りは大方ディアナの予想通りの形で締めくくられた。

 話していて長々のなり過ぎたと気付きリーティアはすみませんと謝罪するが、ディアナは手を振って問題ないと主張する。


「…………ふ〜ん。……それで、この後はどうするの?」

「この後、ですか?」

「うん」


 投げ掛けられた問いにリーティアは黙り込む。

 考えていない訳ではなかったが、世間を知らなさ過ぎる少女には明確な目的がない。

 言い換えれば、閉塞された故郷からの脱出が何よりも成し遂げたい悲願であったのだ。


「故郷から脱出して、あなたは晴れて自由の身になった。それじゃあこれからは何をしていきたいの?」

「それは、……やっぱり、外の世界を色々と見てみたいです」

「でも昨日分かったと思うけど、力が無い人間は淘汰されるのがこの世界。旅をするなら最低限の実力がないと簡単に死んじゃうよ?」


 ディアナの歯に衣着せぬ物言いにリーティアは苦衷を滲ませる。

 身に染みて理解していた。

 一歩間違えていたら、昨日でリーティアの人生は終わっていた。死んでいたかもしれないし、売り飛ばされていたかもしれない。

 あの時の恐怖が色褪せることは決してないだろう。愚行を犯した結末の一つして、少女の中に永遠の教訓として刻まれたのだから。


 突き付けられた現実は余りにも無慈悲だ。


 自由を手に入れた矢先、その先にある望んだ未来に手を伸ばせない苦悩。

 どうにかしたくても、どうすればいいのか分からない。

 少女の懊悩を目にし、魔女はニコリと笑った。


「そこで、リーティアに提案があります」

「……提案、ですか?」

「そっ。実はね、あなたの知らない外の世界にはね、世界を旅して自由を謳歌するだけの職業があるんだよ」

「そ、そんな夢のような職業があるんですか⁉︎」

「おぉ、凄い食い付き」


 身を乗り出しテーブルに両手を付いたリーティアは、食堂に入る時以上に目をキラキラと輝かせていた。

 普通の感性を持つ人間なら、いやそれどんな職業だよとまず第一に怪しむものだが、世間を知らないエルフの少女はそんな可能性を露ほども考えていないようだ。将来が心配になるくらいにチョロい。

 無垢な少女を自分色に染められると気付いたディアナは愉快になり、全身を使って大演説を始める。


「そう! それは『境界』を渡って世界を旅する命知らずの職業! 未知を探求する自由の象徴! 異類異形の魔物が跳梁跋扈する『魔境』。清涼とした飛沫の舞う水景色や、英雄譚に描かれるような幻想的光景が舞台の『秘境』。目にしたことのない草花が隆盛し、至宝の鉱石や草花が眠る『森境』。そんな世界の随所へ繋がる『境界』の向こう側へ旅をし続けるだけの、ちゃんとした、立派なお仕事!」

「そ、それは一体……!」


 最後の方が弁護のような職業紹介だったが、曇りに曇った眼を持つ少女は普通に喰い付き、魔女は詐欺師のような微笑を浮かべた。


「──『越境者(エクシード)』。ちなみに私の職業でもあるよ」


 『越境者(エクシード)』。

 『境界』を渡り、世界を巡り、未知を探求する自由の具現。


「せっかく自由になったんだから、世界くらい見とかないと」


 ──だから、とディアナは続け。


「あなたが望むのならば、今度は私の気紛れで、あなたを一端の『越境者(エクシード)』として育ててあげる。どうする、リーティア・トワイライト?」


 戯れに伸ばされた魔女の手。

 これを掴み取らなければ、自分は一生後悔する。

 リーティアの未来はここで決まったのだ。


「はいっ! お願いします、ディアナ様!」

「うん、よろしくねリーティア。あと、今更だけどディアナ様はやめてほしいかな」

「ですが……」

「じゃあこれはお願い。堅苦しいのは好きじゃないんだ」


 組んだ手の甲に顎を乗せ小首を傾げるディアナ。

 畏敬すら抱き始めている彼女の素の言動を嬉しく感じ、リーティアはもじもじと指を絡ませて上目遣いをした。


「……では、その、(あね)様とお呼びしてもよろしいですか?」

「……はぁ、呆れた。まぁいいよ、好きなように呼んで」

「──へい、お待ちっ! おすすめ二つ!」

「おっ、きたきた」


 会話が終わって丁度、料理が運ばれてきた。

 立ち昇る湯気。食欲を刺激する馥郁たる香りはそれだけで胃が満たされるようだ。


「すごく美味しそうです!」

「はいはい、感想は食べた後にね。それよりも……」


 お酒じゃないけどと一言加え、ディアナはコップを掲げる。

 流石に何を意味しているのかを察したリーティアは、溌剌とコップを片手に取った。

 前途に不安など感じない。

 数多の難事が立ち塞がろうが乗り超えてみせると不屈の信念が胸を焦がす。


『乾杯っ!』


 この日から、少女は『越境者(エクシード)』としての道を歩み始めるのだった。







ファンタジー物の定番その1

エルフの少女が仲間になった!

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