第2話 ゴミ掃除
前触れも無く忽然と空から現れたディアナに、男達は戸惑いながらも警戒を露わにする。一人は露骨に頭上を仰いでいたが、その先には果てのない空しか広がっていない。
「てめぇ、一体どこから……」
「…………」
少女の側へと降り立ったディアナは冷え切った瞳で男達を見定める。
少女を追い回し、蹴りや裏拳をくれてやっていたのは骨と皮でできてるかのような細身の木偶の坊。
身体を動かす度に肥え太った腹を醜く揺らす家畜以下の豚。
三人の中で最も体格の良い、脂ぎった髪を逆立てた傭兵崩れ。
最後の奴が頭領だろうなと当たりを付けたディアナは、とても素直な感想を相手に聞こえる声量で口にした。
「……うわぁ。真っ正面から見ると、より汚さと気持ち悪さとその他諸々が際立つよ」
見るだけできつい……と、直視すらしたくないと態度で示す。
「ああ? お前今なんて言った?」
「うん、声も耳障りだね」
表情はにっこりと笑顔を見せているのに、吐き出す言葉は嫌悪しかない毒ばかり。
ディアナの発言に倒れ伏していた少女は唖然とし、男達は悪鬼の如き容貌で怒気を出す。
ぶつけられる大の男三人の殺気に少女は身震いするが、ディアナはまるで頓着せずに口を開いた。
「これは忠告。この子から奪った物を全て返して、今すぐこの場から立ち去るなら見逃してあげる」
軽薄な笑みを消し、無表情になったディアナは淡々と喋る。
それは上位者が下位者へ告げる一方的な命令に等しかった。
対し細身の男は軽く笑い捨てる。力のない者が虚勢を張った精一杯の命乞いと判断したのだ。
「……ははっ、随分なこと言うね。そんな大層なこと言って、実はビビってるんじゃないの?」
ゲラゲラと笑いゆっくりとした歩みで間合いを詰める男を、ディアナは只々冷たい双眸で見ている。
そのまま男が側に近づい来てもディアナは何もしない。
「ほら、何か言ってみろよ?」
危機感のない男は更に笑みを歪ませてディアナに一歩迫り、徐にディアナの肩へ手を伸ばした瞬間。
「……これだからゴミは嫌いなんだよ」
「……はっ?」
男の目に追えない速さでディアナはその手首を掴み取っていた。
いつ掴まれたのかも察知出来ず呆気に取られた男は咄嗟に腕を引こうと力を入れるが、万力のような力強さで縫い留められた手は微動だにしない。
瞬きの後、男は腕を掴まれた状態で宙に浮かんでいた。
「……えっ?」
気の抜けた声が虚しく響く。
ディアナが男ごと腕を振り上げた。ただそれだけの出来事に男の思考は付いていけていないのだ。
地に足が付かない浮遊感にやっと恐怖を抱いた男だったが、もう致命的に遅かった。
「……潰れろ」
ディアナは自身の身長より高く上げた男を、一切の躊躇いなく振り下ろした。
「ゴハッ……⁉︎」
風を切る一撃で地面に叩きつけられた男は鈍い音を身体から発して地を跳ねる。
ディアナは止まらない。
浮き上がり隙を晒した胴体目掛けて、即座に回し蹴りを叩き込んだ。
「ぅッ⁉︎」
呻き声すら上げられず、男は肺の中の空気を全て吐き出し猛烈な勢いで吹き飛ぶ。何度もその身を跳ねさせ、地を削りながら二転三転してようやく静止。
数秒経ってもその身体はピクリとも動かない。
たったの二撃で男は完全に沈黙していた。
「…………うそ……」
人間が地を跳ねるなんていう光景を初めて見たのだろう少女は驚きで眼を見開き、容赦無い追撃に無意識に声を漏らす。信じられないという思いに支配され、口までもポカンと開けていた。
残った男達も同様なのか、場に飲まれて一言も発せない。
「……わざわざ警告してあげたのに、ホントにゴミは嫌。どうして平然と世界を闊歩してるの?」
しんと静まり返ったその中で、この状況を作り出したディアナは滔々と喋り出した。
「ただでさえ腐臭を撒き散らすだけの不快でしかない存在なんだから、人知れず世界の隅っこで朽ちていけばいいのに」
はぁー、と大袈裟に溜息を吐く。
翠緑の瞳にあるのは世界への嘆きとか底辺への侮蔑とか、そんなものではない。
むしろその逆、何もない。
温度も無ければ感情も無い。
ただただ──『無』。
断じて人に向ける眼では無いのに、ディアナは目の前の物体をそんな風に見ている。
まるで、ではなく、正真正銘ゴミを見る眼だった。
「全く、騎士団は何してるんだか。ゴミ掃除はあなた達の仕事でしょうに」
淡々と吐き出される侮辱極まりない言葉に、男達の思考は底知れない怒りで侵食される。
やめろと冷静な心が訴えても、こいつはヤバイと本能が叫んでも、男達の意識には届かない。
「あぁ、めんどくさ。さっさと死ねば?」
ぷつん、と。
頭領であろう男の理性が切れた。
「クソがあああああああッ‼︎」
怒りで冷静な判断能力を失い、彼我の実力差を考慮せずに突貫する。
先程仲間の一人が無残に打ち倒されたことすら頭に無いのか、男は無謀にも背にある剣を抜き放ちディアナに駆け迫った。
一気に間合いを詰め、ディアナに一太刀を振りかぶろうとした刹那。
──銀閃。
男の右脇腹から左肩まで一直線に裂傷が奔り抜けた。
「──ぐぁっっっ⁉︎」
一寸遅れて襲いかかってくる痛みに男は呻き剣を手放す。ドバドバと流れ出る血は草花を真っ赤に染めあげ、男の体温を確実に奪ってゆく。
いつ斬られたのか、そもそも獲物はなんだったのか、それすらも男には認識の外。
顔を上げた男は驚愕に目を見開いた。
「……て、てめぇ、それを、いつっ⁉︎」
蹲りながらもディアナの手許に目をやった男が見たのは、無手であったはずの右手に握られた短剣。
装備はしていなかった。突如としてその手に握られていたのだ。
血が滴る白刃を片手で弄ぶディアナは、男を見下ろし態とらしくクスクスと嘲笑する。
「さぁ、いつでしょう? あぁ、あえて急所は外してあげたから、運が良ければ死なないよ〜。まぁ、あまり派手に動くと出欠多量でバイバイだけどね〜」
男の頭が急速に冷えた。
下手をしたら死ぬ。間違いなく殺される。目の前にいる女は、常軌を逸した化け物の類いだ。
生存を許されているのはただの気紛れでしかなかった。
「さぁて、テキパキ話してくれるかな?」
「た、頼むッ! 治してくれッ‼︎ お、俺はまだ死にたくねぇ⁉︎」
先程までの威勢は何処へやら。
少女を追い詰めていた時は悦楽に浸っていた輩が、自分が死に瀕す羽目になったらみっともなく醜態を晒しているのだ。三文芝居だとしても笑えない。
命乞いをするゴミを一瞥したディアナは、横に伏せていた少女に視線を投げる。
「この娘から盗ったものは?」
「出す! 全部出すっ!」
「よろしい、早くだしてね」
がざがさと身包みから荷物を投げ出し、少女が投げていた宝石の数々が入った小袋をばら撒く。後ろで震えながら控えていた残りの一人も伸された男と自分の分の宝石を袋にまとめていた。
「こ、これで全部だ。だから、た、頼む……」
「しょうがないなー、えいっ」
た、助けてくれるのか……と、男が安堵を覚えた直後。
可愛らしい掛け声と共に、ディアナの右手には短剣と入れ替わるように火球が現れた。
その行為が何を意味しているのか。
それをどうするつもりなのか。
「傷口ごと焼けば、血は止まるよね?」
魔女がそこにいた。
「……ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ⁉︎」
「ま、待ってよお頭ぁ‼︎」
恐怖に駆られ後ずさった男は絶叫を上げ遮二無二走って逃げてゆく。ディアナが豚と称した男も、転がっていたもう一人を抱えて一目散に逃走。
残されたのは手持ち無沙汰となった火球を消すディアナと、未だ起き上がらない少女だけであった。
「あーあ、折角治してあげようと思ったのに」
「…………あ、あの」
「うん?」
顎に指を立てて遠く離れる男達を見送っていたディアナは、か細い声に反応して振り向く。
少女は両手で体勢を持ち上げてどうにか失礼の無いようにとディアナと視線を交わし、安堵の篭った声で礼を告げた。
「ありがとう、……ございます。私は、リーティア……。リーティア・トワイライトと、申します……」
淡い笑みを浮かべた少女──リーティアは、疾うに限界を超えていたのだろう。礼を告げると糸が切れたように意識を手放した。
あららと溢すディアナはリーティアに近付き頰をつんつんと突くが全く反応を示さない。
「うーん、助けてもらえたからって私が良い人とは限らないのに。この娘は中々の『姫様』みたいだね」
よくもまぁついさっきあれ程の所業を行なった自分を前にして気を失えるものだとディアナは感嘆し、気に入ったと一つ頷く。
左手に持った箒を手放すとその箒は地面に落ちることなく滞空し、意識があるかのように主人であるディアナの側に佇んだ。
「よいしょっと」
傷付いたリーティアに負担を掛けないよう腰と膝裏に手を伸ばして、ゆっくり優しく持ち上げる。
彼女の持ち物であった宝石の入った袋は脚を使い器用に蹴り上げて抱えた少女の腹に落とすと、ディアナはとんっと飛んで舞い込んで来た箒に腰掛けた。
「さて、行きますか」
重力など微塵と感じさせずふわりと上昇したディアナは、リーティアを連れて海岸線の大都市へと飛んで行った。