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第1話 エルフの少女



 山の麓に広がる林の奥深く。

 そこだけ切り取られたかのようにぽっかりと空いた空間に、揺らめく波紋が佇んでいた。

 遮られることのない陽射しは天へと聳え立つ光の柱を想起させ、陽光を受けて儚げに輝く『境界』は幻想的な美しさをたたえている。


 しかし、突発的に出現する『境界』はやがては消滅する定め。


 その『境界』も例に漏れず、時が経つにつれて存在が希薄になってゆく。

 このまま泡沫と消えるその間際。

 『境界』は最後の力を振り絞るかのように純白に発光し、一人の人間を放出した。


「──脱出成功ーっと。こっちは陽射しが眩しいなぁー」


 箒に乗って勢い良く『境界』を抜け出た魔女──ディアナは、青空を目指して地上近くから上昇し、燦然と煌めく太陽に思わず手を翳して目を細める。

 元の地点と境界を抜けた先の昼夜が入れ替わることは珍しくない。『越境』という長距離を瞬時に移動する弊害の一つ、世界の明転である。

 急激な明暗の変化は目に負担であったが、あの鬱屈とした森からの脱出はディアナの気分を良好にさせた。


「うぅ〜っと」


 澄んだ空気と風の薫りが全身を包み込む。

 ディアナは爽快な感覚に身を委ね、身体をほぐすために両手を伸ばす。


「えーと、ここはどこらへんかなー?」


 瞳が光に慣れて辺りを見渡す余裕もできたディアナは、上空から俯瞰して周囲の地理を確認する。


 遠方には緑豊かな山脈が波のようにうねっており、下を見下ろせば林と棚引く草原が拡がっている。

 ただし目に見える範囲が全て緑一色というわけではなく、少し離れたところには整備された街道が見受けられた。


 街道を道なりに辿ると一方は山を貫くトンネルに、もう一方は人の営みを感じる巨大な都市に。

 都市の更に先には、蒼穹と見紛う遥かなる碧が広がっていた。


(あれは確か……海境都市(ヴァンドゥール)だったっけ?)


 海に面した巨大都市を観て、ディアナは記憶から名前を引っ張り出す。


 海境都市(ヴァンドゥール)は世界的にも有名な貿易の要所だ。海と通ずる汽水湖を中心に栄えたこの都市には連日多くの船舶が入港し、この都市を基点に貿易品と数多の人種が行き交うと伝え聞く。

 加えて海境都市(ヴァンドゥール)には世界有数の常駐型の『境界』──通称『境界門』が鎮座しているため、遠く離れた都市や国にも海境都市(ヴァンドゥール)の品が届くと評判は上々。

 海洋貿易で繁栄し『海の玄関』とまで呼ばれる海境都市(ヴァンドゥール)は、今まで縁が無かったのが不思議なほどの大都市であった。


(ふむ、海境都市(ヴァンドゥール)と言えば海産……海の幸……エビ、カニ、ウニ……、よし行こう!)


 世界を気儘に旅する越境者(エクシード)にとって、新鮮な海の幸など滅多に食せるものではない。

 空を見上げれば天上に太陽が昇りきるまであと僅か。


 早速と空を翔けるさなか、近くから剣戟に似た甲高い音が鳴り響いた。


「ん?」


 音源は直下の林。

 樹々に反響していて正確な位置が掴みにくいが、間隔を空けて継続する甲高い音は徐々に林の外へと向かっているようだ。

 こんな辺鄙な場所で一体どこの馬鹿達が争っているのか。


(おっ、出てきた出てきた……って、うわっ、すっごい美少女)


 真っ先に林から飛び出してきたのは、弓を片手に持つ一人の少女だった。

 金の刺繍が施されたローブに包まれた華奢な体。覗く肢体は新雪のように白く美しい。

 腰まで波打つように垂れる長髪は、例えるのなら黄金を織り込んだ繻子のような輝き。

 青く透き通った瞳が印象的な相貌は、いっそ精巧に造られた人形と言われた方が納得出来る程に整っており、美少女という言葉に相応しい面立ちである。


(なんであんな()がこんなところに……?)


 神に祝福された優れた造形。

 一目で値打ち物だと判る豪奢な装い。

 彼女は間違いなく大層な身分の者だろう。

 そのような人物が護衛の一人も付けずに、都市から離れた林の中を彷徨っているのは不自然極まりない。


「…………もしかして」


 ディアナは少女の顔立ちを、特に側頭部に目を向ける。

 懸命に走る少女の金髪からチラリと覗いた耳は、予想の違わず木の葉のように尖っていた。


(なるほどねー、ということはあの娘が……)


 どうやら大穴の脱走だったらしい。

 アイツら引きこもりなのに……と、一羽きりで籠を破って飛び出た勇敢で無謀な小鳥に興味が湧く。


 駆ける少女は遥か先の都市を目指しているようで、縺れそうな脚を一心に動かし、流れる汗を厭わず必死に走り続けている。


 それもそうだろう。

 彼女は今追われているのだから。


 少女を追走するのは三人の男達だ。

 薄汚れた格好に品性を感じない醜い形相で、幼気な少女を複数で追い回していた。


 少女は走りながら構えた弓で矢を射るが、威力の篭っていない一矢はナイフで易々と弾かれる。

 お返しとばかりに距離を詰めた男がナイフを振り落とす。暗器を扱う技術が皆無であるその粗末な一振りを、少女は身を投げ出すように横に飛んで回避する。

 下卑た笑みを浮かべて二撃目へと継なごうする男に、少女は懐ろに入れていたキラキラと輝く何かを投げて行動を阻害。即座に反転して水平線に建つ都市へと走り出す。

 その間男達は少女が投げたものをゆっくりと拾い集め、終わると同時に少女の追走を再開。

 こんな光景がディアナの下で二度繰り返された。


「……クズいなぁー」


 少女に戦闘の心得はない。

 防御も真面に熟せないのだから攻撃など以ての外。あのままでは反撃は疎か、逃げ切ることも叶わないだろう。

 少女が複数相手にまだ捕まっていないのは、あの男達が遊んでいるからに過ぎない。

 地べたを這い回る下衆共は、見ているだけで不愉快だった。


(エルフのお姫様、か……)


 引きこもりのエルフの、それも高位な身分となれば、きっと窮屈な生活を送ったのだろう。

 わざわざ護衛をまいて、自らの意思で『境界』を踏み越えるくらいには何かを渇望していたのだろう。

 想像でしかないが、今この時は少女がようやく手に入れた自由のはずだ。

 それをこんな、歩き始めてすぐの場所で終わらせるのはどうにも忍びない。


「それに……」


 あの下衆どもは私の気分を害した。

 理由はこれで充分だ。


 ディアナは少女の真上へと移動し、腰掛けていた箒を手に持ち躊躇いなくその身を空へと投げる。

 翡翠の瞳に冷徹を宿しながら、重力に引かれて下へと落ちていった。









「はぁ……はぁ…………っ⁉︎」


 躓きそうになる脚を気力だけで動かしているが、もう限界に近かった。

 激しい呼吸を繰り返し過ぎて肺が悲鳴を上げている。息を吸うのも苦しくて苦しくて堪らない。

 いっそ止まりたいと思うが、それは到底無理な話。止まれば自身に未来はない。

 此処まで逃げれたこと自体が奇跡みたいなものだったのだ。自らの意思で止まらなくても、きっと未来は変わらないだろう。


 奇跡の後に待っているのは、目を背けたくなる非情な現実なのだから。


「オラァッ!」

「ぅくっ⁉︎」


 疲れきった身体では避けることすら能わず、背後の男に蹴り飛ばされる。

 無様に転び、衣服は汚れ、手の傷口からは血が流れる。

 倒れてしまってはもう駄目だった。身体が思う通りに言うことを聞いてくれなかった。

 撒き餌として利用してきた宝石は既に投げ尽くした。

 手に持つ弓も至近距離では意味を成さず、矢を引く力も残っていない。

 本当に打つ手がなくなった。このままでは間違いなく捕まるか殺されるかの二択。愛玩動物の奴隷として売り飛ばされる可能性もある。


 そんな絶望的な状況を前に。

 それでも少女は諦めなかった。


 ──やっと、やっと外の世界に出れたのに!


 長年の望みだった。

 遂に掴み取った自由だった。


 ──それがこんな形で終わるなんて、絶対に認められない!


「あ゛ぁっ!」

「ぁがっ⁉︎」


 破れかぶれに弓を振り切り、男の顔面に一撃を入れる。

 ぐらりとよろける男を横目に少女は覚束ない脚で地を踏みしめるが、彼女の悪足掻きはこれで最後だった。


「調子乗ってんじゃねぇ!」

「うっ⁉︎」


 振り抜きざまの裏拳がこめかみに直撃し、軽く吹き飛ばされる。

 そのまま草原の上を滑って倒れ伏した少女は、今度こそ身体が動かなくなったことを悟った。


(……い、たい……)


 ぐわんぐわんと頭が揺らぎ、視界が擦れて目の焦点が合わない。

 体験したことのない痛みは少女の全身を犯し、諦念という感情が精神を蝕む。

 背後で男達が何かを言い合っているが、もう上手く聴き取れなかった。


(……いやだ、いやだよぉ……)


 後悔しないと決めていたのに。

 悲涙は流さないと誓ったのに。

 自由になるんだと叫んだのに。


 押さえ切れない悲哀が瞳から溢れる雫となって頰を伝い、一粒二粒と草花を濡らしていく。

 止めどなく流れる涙は少女の諦めの証だった。


 もう、駄目だ。


 薄れる意識の中、目の前に徐々に濃くなる黒い影が映り。


 トンッと、何者かが少女の真横に柔らかに着地した。


(…………だれ?)


 男達でないのはなんとなく分かった。存在感というものだろうか、感じる気配が今迄に出逢った誰よりも異彩を放っていたから。


 途絶えそうになる意思を繋ぎとめて、のろのろと顔を動かす。

 見上げた先には色が三つあった。

 身を包む黒紫の衣装。

 風に流れる白銀の髪。

 宝玉が施された翠緑の箒。


 ぼやけた風景の中であってなお、目の前に立つ女性は綺麗であった。


 その様はまるで、英雄譚に登場する自由の象徴。

 空を駆け、神出鬼没に現れる魔法使い。


「…………魔女、様?」


 思わず呟いていた言葉。

 それを聴いた女性は、此方に向かって柔らかに微笑んだ。


「私は魔女じゃなくて、通りすがりの『越境者(エクシード)』だよ」





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