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プロローグ





 ──今日もまた、新たな境界が生まれる。





 ◇





 広大な世界の、地図には載っていないどこか。

 空に満遍なく飾られた星々と一際美しく佇む満月が輝く夜更け時。

 樹木が鬱然と地を覆う大森林の中を、ディアナは翡翠色の箒に腰掛けて縫うように翔け抜けていた。


「はぁー、面倒な……」


 鍔の広い黒紫のとんがり帽子に、均整の取れたスタイルが浮き出る同色の衣装。白皙の美貌は硝子細工の繊細さで、長い睫毛にけぶる翠緑の瞳はまるで宝石のよう。さらさらと風に靡く艶やかな銀髪は、微かに差し込む月光を浴びて淡く煌めいている。

 麗しの美貌をさらに彩るのは、色彩豊かな宝玉が目を惹く指輪やネックレスなどの様々な装飾品だ。過剰なまでの飾り付けは人の美を損なうことがあるが、彼女にはその法則は当て嵌まらないらしい。

 一目で良家の出を確信させるような優雅さを醸す出すディアナだが、今はその美麗な顔立ちを憂鬱に染め小さく溜め息を吐いていた。


「待てこの曲者!」

「姫様をどこにやった!」

「止まれと言っているだろうッ‼︎」


 背後から響き渡るのは若い男達の怒声だ。虫の声や夜鳥の歌声も聞こえない静まり返った森の中で、彼等の怒鳴り声はいやに大きく反響していた。

 天を貫くように伸びる針葉樹から成る壮大な大森林だというのに、そこに風情や情緒は欠片もない。

 到底愉快にはなれず、心底面倒だとディアナは辟易とした想いを抱く。

 いったいどうしてこうなったのか。


(……まぁ、なんとなくは分かるんだけど)


 男達が口走っている内容から大体の事態は推測できていた。

 十中八九彼らの言う『姫様』が関わっているのだろう。

 鬼気迫る様子から判断するに、その姫様とやらは迷子もしくは誘拐、大穴で脱走といったところか。

 どれにせよ迷惑なことこの上ない。


「私はあなた達の姫様なんて知らないんだけどなー……」


 ディアナが偶々見つけた『境界』を渡ってこの森に入ったのは僅か数時間前だ。

 何か面白いものはないかなと呑気に探索していて、道中に出会ったのがあの三人組である。眉目秀麗な顔立ちに尖がった耳といった特徴から、一目で彼等がこの森に住むエルフであることは理解できた。

 エルフの住む『森境』にディアナは関心がなかったが、それでも道草をしようと思ったのは本当になんとなく。

 外界との関係を途絶している引きこもりの縄張りを面白半分で荒らすのも一興かなといった、常日頃なら考えるような邪な想いは決して持っていなかった。


 森の略奪者に容赦がないエルフに見つかった以上、悪戯は控え行動を阻害されないよう説得するのが定石。

 極めて常識的な見地から、ディアナは探索を穏便に済ませるため彼等に近付いて……。


 結果こうなった。


「うん、どう考えても私は悪くないね」


 そう、常識的に考えて自分に非はない。

 なんか脈絡もなく怒気を滾らせ迫ってきたのが癇に障り、咄嗟に箒を一閃して土塊を撒き散らしまくったが、全くもって自分は悪くないはずだ。


「大人しくしないならば攻撃する!」


 という完璧な自己弁護も虚しく、遂にエルフの一人がそんなことを言い出した。

 眦を吊り上げて言われるその台詞で誰が止まるというのか。

 自分から面倒事に顔を突っ込む高尚な自己犠牲の精神など、ディアナには存在しない。


「……流石に鬱陶しいな」


 苛立ちが滲む呟きが漏れる。

 流れるようにこの場で後腐れ無く叩き潰すという強行手段が脳裏を掠めるが、


「……おっ、はっけーん!」


 目当てのものが視界に映り、ディアナは愉快げな声を出した。

 視線の先にあるのは僅かな星明かりでもはっきりと目に映る、不自然に揺らぐ空間の波紋。

 暗闇を押し退け陽炎のように揺らめくそれは、世界のあらゆる地点に点在し、あらゆる地点と繋がる神秘の扉──『境界』である。

 『境界』さえ越えてしまえば、執拗に追跡されない限り逃げ切れるだろう。

 そもそも引きこもりのエルフが森から自発的に出るなど、鼻で笑って相手の顔面に解熱剤を投げ付けるくらいの珍事なのだ。


「やーい、この引きこもりどもー! 追い掛けて来れるもんなら来てみろこの引きこもりー!」


 爽やかな笑顔で対エルフ用の毒を吐く。


『──なんだと貴様ぁああああああああああっ‼︎』


 反応は劇的だった。

 怒髪天を衝くというのはまさにこのことだろう。

 発散される怒気が迸る魔力の波動として可視化され、物質界に現象として顕現する魔法に変換され解き放たれる。

 風の刃、土の弾丸、水の波動。ヒトを容易く殺傷できる魔法の数々がディアナに降り注いだ。


「あっははー♪」


 対するディアナは魔法の弾幕を箒を縦横無尽に高速機動させ、あえて笑いながら躱していく。


「えー、なになにー、なんですかそれー? もしかして魔法ですかー? そよ風の親戚かと思いましたー‼︎」


 他人をおちょくる事に関して、ディアナは卓越した技能を身に付けていた。


「魔法だけが取り柄のエルフさーん! こんなもんなんですかー? 拍子抜けなんですけどー! ご先祖様に謝ったらどうですかー⁉︎」

「このっ!」

「外道めっ!」

「成敗してくれる!」

「無様な引きこもりの怨嗟が耳に心地良いねー!」


 煽ると決めたらとことん煽る。

 清々しいほどの罵詈雑言と凶悪な魔法が雪合戦のように飛び交う中、ディアナは余裕の笑みを崩さない。

 むしろ嫌がらせを加速させることしか考えていない。


「……ふふっ」


 溜まった鬱憤の晴らし方を刹那の間に模索したディアナは、良いことを思い付いたという様子で微笑む。


 ──そうだ、置き土産を残そう。


「よっと」


 一陣の風となり『境界』を突っ切る前に、緋色の石が装飾された指輪に魔力を込める。

 すると、暗闇を切り裂く極光を纏った火球が瞬く間に具現化した。

 これを草木生い茂るこの森の枝葉に点火すれば、さぞかしよく燃えることだろう。

 ディアナの目論見を察した彼等は信じられないと言わんばかりに揃って瞠目し、動揺を露わにする。


「まさかあの女っ⁉︎」

「おい、おいおいおい待てっ! 早まるなっ‼︎」


 静止の声を上げるがもう遅い。

 ディアナはそのまさかを早まる気満々である。


「バイバーイ」

『やめろおおおおおおおおっ⁉︎』


 背後から焦燥に満ちた声が聴こえるがディアナは無視。躊躇いなく火球を大樹へと放つ。

 紅の輝きは一直線に突き進んで衝突し、樹齢何百年ともしれぬ大樹は面白いくらいに燃え上がった。


「なんて奴だ……」

「悪魔めっ‼︎」

「水だっ! 他に飛び火しないよう、直ちに火を消すんだ‼︎」


 追跡を諦めたエルフ達は魔法で消火作業を行ってゆく。

 その間にディアナは結末を見届けることなく、『境界』を突っ切って森の中から姿を消した。


 残されたのは燃え盛る樹々と、それを魔法で消火するエルフの男達のみ。

 焼け落ちる枝葉がパチパチと小気味良い音を立てて暗闇に包まれた森に響き渡り、拡がる炎と水の飛沫が交わることで辺りには霧が生まれる。


 濃霧が包み込む森の中。

 ディアナが通った『境界』は時が経つにつれ朧げに薄まり、やがて霞に溶けるかの如く消滅していった。





 ◇





 世界には『境界』が満ちていた。


 大陸の随所に、絶海の孤島に、海底の洞窟にと、場所を問わず現出する神秘の扉。

 遥か昔から『境界』は確認されているが、その起源は定かになっておらず、現象も解析されていない。


 『境界』の先は様々な場所に繋がっていた。

 異類異形の魔物が跳梁跋扈する『魔境』。

 清涼とした飛沫の舞う水景色や、御伽噺に描かれるような幻想的光景が舞台の『秘境』。

 目にしたことのない草花が隆盛し、至宝の鉱石が眠る『森境』。


 数多の地に繋がる『境界』の向こうには、同等の『未知』が満ちていたのだ。


 然りとて、『境界』を越えることは生命の危機に直結することに他ならない。ただの人間ではおよそ生存不可能な場所に飛ばされることや、人類の天敵である魔物蔓延る『魔境』に踏み込むことも多々あり得るから。

 安全が確保された常駐相互通行型の『境界』を渡るのはともかく、突発的に現れ何処とも知れぬ場所に繋がる『境界』を好き好んで渡る人間は多くはなかった。


 だが、どんな時代にも酔狂な者は存在するもので。

 決して多くはなかったが、一部の者達は率先して未開の地に繋がる『境界』へと突き進んでいった。

 彼等を突き動かす想いは唯一つ。

 未だ見たことのない『未知』を求めて。


 そんな『未知』の魅力に抗えきれなかった命知らずな者達は、時代を経るにつれて世間に様々な想いを抱かせた。

 常識に縛られた大人からは無理解と敬遠を。

 夢見る無垢な少年少女達からは憧れと尊敬を。


 どちらにしても彼等は世界からその存在を認められるようになり。

 そして、『境界』を超える者達はいつしかこう呼ばれるようになった。


 『越境者(エクシード)』と。





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