女は何を愛したか?
朝日が昇って随分と経つ。見晴らしのいいとある港の船着場には、何人もの警察が集まっている。そこに一台の覆面パトカーが止まり、運転席から男が降りた。スーツの上に赤いジャンバーを着た髭面、頬にシワとホクロと目立つ格好をし、寒さを堪えている。警官達は男に敬礼する。そこに一人の若い男が走ってきた。
「ご苦労様です! 野々路警部!」
「……あれか」
野々路はビニールシートに囲まれた中に入り、地面に置かれたシートをめくる。そこには女性の遺体があった。遺体はずぶ濡れで、体に触れるとすでに死後硬直が始まっていた。
「……酷えな。まだ若いじゃねえか」
「被害者は豊毎夏。年齢二十一歳。死因はまだ分かっていません」
「二十一………お前と同い年か日揮?」
「いえ、僕は今年で二十二です。遺体の胸ポケットから財布とメモ帳が発見されました。財布の中に免許証があり、メモ帳は残念ながら、水で全く読めません」
「おー……まあお前は新米だからな。俺が来るまで遺体は保存しておけ。今回は許すが、他の奴だったら叩かれてたぞ」
「す、すいません!」
女性の遺体の方を確認すると、頭の後ろには何かで殴られた跡がある。だが濡れた髪に隠れて見えなかったが、首にも何か跡がある。
「死因は撲殺…いや、首に絞められた跡もあるな。絞殺かどちらかだろう」
「今の所はっきりしてませんが、殺人と見て間違いなさそうです。遺体はあの青い漁船の底に沈んでました。発見者は漁船の持ち主です」
日揮が指差した所に老人が一人いた。どう考えても殺人なんて出来そうもない。もし彼が見つけていなかったら、遺体は海に運ばれ腐敗していただろう。
「日揮、遺体の所持品を見せてくれ」
野々路はまずメモ帳を確認する。中は水で濁ってしまい、読む事はやはり出来ない。財布は女がよく使いそうな大きい財布だ。中身はレシートが数枚と車の免許証で、金は一円も入ってない。レシートはスーパーの食品ばかりだが、一枚だけ違うレシートがある。書いてあるのはカーペット、値段は一万二千円。
「……財布の中身が全く無い。抜かれているな。物盗りの犯行として捜査を…」
「相変わらず馬鹿な警察だ」
その声に野々路と日揮は振り向く。その先には歩いてくる男が一人。後ろには女の子が二人いる。男はスラリとした痩せ型で長身、ダボダボの黒い長ズボンと、長袖の灰色のシャツを着ている。前髪で目が隠れているが、若い男だ。日揮は自分とそんなに歳は変わらないと思う。だが後ろの女の子は二人とも歳は下に見える。随分と顔が似ているのでおそらく双子だろう。どちらも何処かの制服みたいな服だが違いはマフラーの色とマークぐらいだ。どう考えてもこの三人は部外者だ。
「君達! ここは関係者以外立入禁止だ!」
「そのセリフは聞き飽きるな。新米の子にはちゃんと教えてやらねえと……まあ上の方がアレだから無理か」
男は野々路を見てあざ笑う。日揮は男を止めようと前に立ち止まるが、後ろの女の子二人は日揮を通り越して、遺体に近付いた。
「おー! 死人だ死人だ!!」
「…………女の人、綺麗なのに醜くなったね。ざまあみろ」
赤くて太陽が描かれているマフラーの子は騒ぎ、青くて月が描かれているマフラーの子は小声で悪口を言う。日揮はすぐに二人を肩を掴んで、遺体から離れさせた。
「遺体に触っちゃダメだ! 誰なんだ君達は!?」
「無名探偵! 何故ここにいる?」
野々路は歯を食いしばりながらも男を探偵と呼んだ。探偵はニヤリと笑いながら答えた。
「たまたまここを通っただけだ。面白い事件かなと思えてね。そしたらあんたの話が聞こえ、余りにも笑える推理だから、つい口を挟みたくなったんだ」
「何だと!?」
探偵は遺体の胸を指差し、野々路と日揮に注目させた。
「馬鹿には分からんか? こんな大きい財布を胸ポケットに入れてるなんて不自然だ。女なら鞄に入れてるのが普通だ。こんな見え見えの罠に引っかかるとは……」
探偵は呆れて溜め息を吐く。日揮は話を聞いた途端、警察を騙す為に犯人が仕掛けた行動だと分かった。捜査を違う方向に向ける為に。
「つまり物盗りに見せかけた犯行だと言うこと……犯人は彼女の関係者!」
「新米君の方が頭の回転が速いな。殴った後、確実に殺す為にロープで絞めた。そして海に捨てた。だが運悪く船に引っかかたのかな」
船の底に沈めたんじゃない。そんな事したら船の関係者に気付かれる。野々路は気付かない事をスラスラと答える探偵。だが野々路は一つ分からず、探偵に問いかけた。
「何故絞めたのが、殴るより後だと分かる?」
「………ボケてんのか? ツッコミを待ってるぞ不明」
「普通首絞めた後に、殴るか!!」
不明と呼ばれた赤いマフラーの子は野々路の肩を手の平で叩いた。不明は弱く叩いたつもりだろうが野々路はとても痛く、思わず声が出た。
「いった! 私はボケで言ったつもりじゃない!」
「………警察がこんなバカとは、世の中の事件は迷宮入りだ……犯罪チャンス到来。国民が泣き叫ぶのが眼に浮かぶ」
「その辺にしてやれよ未明。警察だって頑張ってるんだ。無駄な努力をな」
青のマフラーを巻いた未明という女の子は、とてつもなく口が悪い。日揮は他の行動を考えて探偵に聞いてみた。
「犯人が被害者を憎み、後で殴ったという可能性は?」
「だったら首を絞めずに醜くなるまで顔を殴ってるさ。感情ありなら後頭部を殴るのも変だ」
探偵の言う通りだ。日揮の考えはすでに思いつき、どれが正しいのかを瞬時に判断する。この探偵は口は悪いが頭は良い。探偵とならこの事件はすぐに解決する。だが野々路は探偵に向けて声を上げた。
「もういい! 事件は我々が解決する。部外者の貴様らはすっこんでろ!!」
探偵と協力せずに解決すると言う野々路。彼の相変わらずの態度に探偵は呆れて溜め息を吐いた。
「その後泣きついて、解決してくれないかなんて言われなきゃいいが」
「警察をそこまでバカにするか! ならこの事件を解いてみせろ!」
簡単に挑発に乗った野々路。探偵は待ってましたと言わんばかりに、野々路へ手を広げた。
「なら依頼料を用意しろ。前払いがうちの決まりなんだ」
これが狙いだったんだと日揮は気付く。警察に金を要求するなんて探偵とは言えない人だ。だが野々路はすんなりと了承した。
「払ってやる。ただし我々より先に事件を解いてみせろ! 所詮現場調査も出来ん探偵に、何が出来る!?」
「うわー、警察が捜査協力なしで事件解決しろなんて」
「…………クズが」
「いいだろう。もし警察が先に解決したらこれはお返ししよう。だが警察は無能さを実感するだろう」
探偵には絶対に勝つ自信があるようだ。遺体が運ばれようとした時、二人の若い男が現場に入って来た。
「通して下さい! ……あ…ああ………どうして!?」
「嘘だろ? 本当なのか……毎夏」
短髪で黒髪の男は遺体を見た途端、黒いスーツを着ているにも関わらず、汚れた地に膝をつく。もう一人のメガネをかけた茶髪の男は放心状態になる。
「もしかして君達は毎夏さんの……」
「……夫の豊冬一です」
「俺は三高新季です。毎夏とこいつとは幼い頃から仲良く遊んでました………こんな事になるなんて」
三高はメガネを外し、手で目を覆う。しばらくの沈黙が続くと、豊は地に拳を叩きつける。
「どうして……どうしてだ!! 刑事さん! 一体誰がこんな事を!?」
豊は立ち上がり、日揮の肩を掴むと、激しく揺らしながら問いかけた。だが日揮には分からない事だ。彼を落ち着かせて話を聞かないと。彼等は容疑者に入る人達だ。
「おお、落ち着いて下さい! 警察は全力で捜査しますから! 落ち着いて下さい!」
「…………」
そんな様子を探偵は何も言わず見ている。探偵も二人に聞きたい事があるはずなのに、何かつまらなそうにしている。聞きたいのは警察も同じだ。
「豊さん、三高さん、二人にはお話を聞きたいのですが、お時間を貰えますか?」
「……私は、これから近くの家に戻ります。そこでよろしければ……」
「俺もそこに行きます」
「分かりました。それではそちらに伺います。彼女は近くの病院で解剖しますので」
「待って下さい! 解剖なんてそんな……彼女をもう傷付けないで下さい!」
「申し訳ないが事件解決の為です。ご了承下さい……て、何してる!?」
不明と未明は遺体を触って調べていた。閉じた瞼を開いてペンライトで覗いたり、後頭部の打撲跡を髪を退かしながら確認する。日揮はすぐに二人を持ち上げて止めさせた。
「猫の躾ぐらいやっとけ探偵!」
野々路は探偵に注意し、遺体を運ばせた。探偵はそれを見送ると、周りを見渡し始めた。何かに気付いた様子も無かった。
「じゃあ俺らはこれで……」
そう言うと探偵は歩いていく。彼は警察と同行するつもりはないらしい。不明と未明は日揮に降ろしてもらい、探偵を追いかけた。
「どれくらい分かった?」
「…………死亡推定時刻は、昨日の夜七時から九時までの間」
「殴ったのは細長い形だね。邪魔が入ってじっくり見れなかった。酷いな猫なんて」
二人には死体を調べてもらった。普通は調べないと分からない事だが、彼女達には大体分かるらしい。これは生まれながらの特異体質みたいなものだ。
「それくらいで十分だ。じゃあ不明はあの豊って奴の家に行ってくれ。後で連絡しろ」
「ガッテン承知!!」
「さあて未明、さっさと終わらせるか」
二手に別れて捜査を始める探偵の元に、日揮が走ってきた。
「待ってくれ! 君が本当に事件を解決する気なら協力するべきだ!」
「新米君。君の判断は正しいだろうね。だが現実はそうはならない。だから犯罪は起きる。これは探偵と警察の推理バトルだ」
「死人が出てるのに勝負なんか不謹慎だ!」
探偵は驚いた。急に大声を出したのに対してか、不謹慎と言ったことにかは分からない。何も言わない探偵、口を開いたのは未明の方だ。
「言う相手……違う。お前の上司が言って来た事だ」
未明の言う通り、この勝負は自分の上司が始めた事だ。文句を言える立場じゃない。
「君はあのおバカな上司が来る前に、死体を調べたそうだな。それは正しい判断だ。死体は正直だし嘘も吐かない。だが時間が過ぎると黙っていく。写真を撮って、すぐに調べるんだ。じゃあまた……」
そう言って探偵は歩いて行った。彼等を見送りながら、日揮は誰の言葉を信じていいか迷っていた。
「日揮! 何してる!? 彼等の家に向かうぞ!」
野々路に呼ばれた日揮は返事をして、野々路が乗ってきた覆面パトカーの運転席に座る。助手席には野々路、後ろの席には何故か不明が乗っている。
「な、何してる!? 降りなさい! 君は探偵と行ったんじゃないのか!?」
「私はお仕事! 豊冬一と死んだ豊毎夏が住んでた家に行くんでしょ! 連れてって!」
「ダメだ降りろ! 歩いて行け!」
「まさかか弱い少女を歩いて行かせるなんて、警察は紳士の風上にもならないね! 連れてけ連れてけ連れてけ連れてけ連れてけ」
「うるさい!! ……仕方ない。降ろす方が面倒だ」
車は容疑者の家に向かう。