立入禁止
――このまま、一緒に逃げちゃおうか?
例えば、これが少女漫画や昼ドラマのように、純粋に恋して長年の片思いの末想いを寄せ合った人に内緒話よろしく囁かれていたら迷わず首を縦に振っただろう。
ただ、この状況下で楽しみを見出しているこの人のことをひとつとして理解できなくて、手首に巻きついていた手を力任せに振りほどいた。
「お断りよ」
誰が喜んで友人の彼氏と一緒に逃避行なんてするものか。
関係者以外立入禁止の札がかけられた廊下で、まばらになってきた構内を眺める。札の内側と外側というだけで世界が違う。
今から、喧騒の中に帰っていくのだと考えると憂鬱にもなるものだ。そこを通らなければ、電車に乗らなければ、学校には行けないのだから仕方ないのだが、朝から面倒なことに巻き込まれ、厄介な人と出くわしてしまい、もう散々だった。
「えー? こんな時間から学校行ったって意味ないじゃん」
痴漢から助けてくれた彼は、金色にも茶色にも見える透明感のある髪を弄りながら甘えた声を出した。野良猫だってもっと上手に甘えてくる。髪だけじゃなく下心まで明け透けな人。
――大切な友人が泣きながら告白して実った恋。
好きになることに順番というのは関係なく、好きだと自覚することにも順番なんて関係ない。ただ、好きだと伝えることには関係があるらしい。
「あなたの彼女はだあれ?」
鼻先に向かって人差し指を上げると、それは小刻みに震えていて隠すように横髪を耳にかけて誤魔化した。第二ボタンまで寛いだ胸元には見慣れたネックレスが存在を主張している。目を光らせている。
「君のおさななじみ、だね」
「そう」
「オレと逃げちゃわないの?」
「――――なに? 行くと思った?」
あまりにも自信のある素振りに、つい質問をしてしまった。
三日月型に微笑むと、ゴツゴツとしたシルバーリングのはまった指がこちらに向けられた。
「鏡持ってない?」
「持ってるけど……」
「貸して」
まともに意思疎通もできないヘンな人。
スクールバッグから手のひらサイズの鏡を出すと「アイツとお揃いで買ったの?」と嬉しそうに口を開く。無言で頷き、半ば自棄になりながら突きだすと使うこともなくくるりとひっくり返した。
「ほら、こっち見て」
「っ、なに、なんかついてる!?」
牛乳、コーンスープ、六枚切り食パン、マーマレードジャム、サラダ、出掛ける前に一つ摘んだプロセスチーズ――起きてから口に入れたものを思い返して、羞恥心に苛まれながら覗きこむ。
「なによ……なにもついてないじゃない」
「オレを見る目、フツウじゃないよ」
「…………え」
「好きだって言ったら、なにか変わるかもしれないよ?」
カマをかけられたのか、本心なのか。
カラーコンタクトの入った瞳には、青い光が宿るだけ。さっぱり読み取れない大きすぎる瞳とたっぷり一秒ほど対峙して、わざとらしくローファーを履き直した。
踵の音が廊下に響く。鼓動が体に響く。
「…………お断りよ」
今度こそ、札を越えた。
一切振り返ることができないのは、多少なりともあった自覚と向き合ってしまったからだ。