此岸花・彼岸花
この作品は、お題小説企画「劇場『すぽっと』」に参加しています。「すぽっと」で検索していただけると、関連作品を読むことが出来ます。
ではどうぞ、お楽しみくださいませ。
その日、雄介があたしの部屋で初めて一夜を明かした朝、彼がカーテンを開ける音であたしは目を覚ました。
もう二年近く開いたことのないそのカーテンの間から、まぶしい光が差し込む。その光が、彼の引き締まった、裸の上半身を照らし出す。
だけど、あたしの心臓が大きくわなないたのは、そのせいなんかじゃない。
「やめて! カーテンを閉じてよ」
「どうして?」
不思議そうな顔をして、彼が振り向いた。
「ああ、そうか。大丈夫だって。窓のそとは川じゃないか。裸を見られる心配は――」
「そうじゃない……あ、あの、あたし庭いじりとか好きじゃないから、雑草だらけの庭をあなたに見られたくないの。だってみっともないじゃない」
あわててシーツを身体にまきつけながら、あたしはそう答えた。
あたしの部屋は、このマンションの一階にある。この階の各部屋には、小さな庭がついていて、他の部屋の住人は、家庭菜園をしたり、ガーデニングを楽しんだりしていた。
あたしもここに越してきた当初は、花を植えてみたりしたのだけれど、今は……
「そんなことないぜ。とてもきれいじゃないか」
そんなはずはない。いったい何が。
シーツを引きずりながら、あたしも窓際へ行く。雄介の腕が、肩をそっと抱えてくれる。
薄く汚れた窓の向こうに見えるのは、雲ひとつない秋空と、対岸のビルから半分顔を出した太陽。そして。
庭に咲く、赤く燃えるような、花の群れ。
「やだ、これって」
「なんだよ。自分ちの庭なのに知らなかったのか」
笑い交じりの彼の声が、耳をくすぐる。
「彼岸花って陰気なイメージがあって好きじゃなかったけど、こうやって見るときれいだな」
あたしはさらに不安になって、彼の顔を見上げた。彼はあたしを振り返りもせずに、すこし淋しげな表情で花を見ていた。
「カナもさ、この花が好きだって言ってた。正直変なやつだと思ってたけど、やっと分かったよ。本当に、きれいだ」
「やめてよ」
あたしは乱暴にカーテンを閉めた。部屋の中が再び薄闇に包まれる。
「あんなやつのことなんか。何も言わずにあなたを捨てて消えてしまったカナのことなんか、いまさら言わないで」
やっと、彼があたしを見てくれた。優しいまなざし。それを手に入れるまで、二年かかった。
「お前は、カナと親友だったじゃないか。なのにどうして」
「親友だから赦せないのよ! あなたを、あなたを……悲しませるなんて」
――あなたをあたしから奪うなんて!
あたしは胸元でつかんでいたシーツを離した。あたしを見つめる彼の瞳が、すこし、開いた。
「ねえ、あんな気味の悪い花じゃなくて、あたしを見てよ。あたしはあなたのためにきれいになる。あたしはあなたのために咲く。だから、あんな花なんか、見ないで」
「……そうだ、な。うん。お前は、とてもきれいだよ。あんな花なんかよりもよっぽど」
雄介はそう言って、あたしを抱きしめた。お互いの肌の温度が交じり合うのを待って、そしてキスをした。
そうよ。あいつのことなんか忘れて。死んだ花じゃなく、生きているあたしを見て。
閉じたカーテンの外では、彼岸花が揺れている。この人が帰ったら、全部焼き払ってやる。
彼岸花。死人花。この人はあたしのもの。
お前はあいつの死体を抱いて、せいぜい咲いているがいいわ。
(fin)